サラダは取り分けない

高校生のときは、吹奏楽部だった。
吹奏楽部は、文化系だけど体育会系の一面もある、とよく言われるけれど、私の所属していた部にもそういう雰囲気はあった。
先輩と後輩の上下関係がくっきりと存在したし、顧問は情熱溢れるあまりに練習中に血管が切れそうなほど怒鳴る。
怒鳴ることがよいと思っていたわけではないけど、でも、私は顧問のことを慕っていた。
吹奏楽コンクールなどの大会で思うような結果が出なかったとき、貸切バスに乗り込んで、みんなで泣きながら帰る。そんなとき、部員たちに向けて話をする顧問は、絶対に生徒を責めたり反省を促したりはしなかった。「私の力不足で、みなさんを引き上げてあげられなかった」という言い方をした。そういうところが、人間的に信頼できた。
怒鳴りつけることはあっても、それは演奏のミスに対してで、生徒の人間性を否定したり、やめちまえなどという暴言を吐くことも、なかった。

顧問はよく、「自販機で飲み物買ってきて」と頼んできた。そんなとき、必ず買いに行く生徒の分もお金を渡してくれた。
顧問に頼まれたからには、一秒でも早く頼まれた飲み物を持って来なければと私は妙に張り切って、5階にある音楽室から階段を駆け下りて、2階の自販機でコーヒーを買い(ついでに自分用の紙パックに入ったココアも買い)、また5階まで駆け上がっていた。
顧問は、「もちだに頼むと、早いなー」と言ってにこにこしてくれた。使いっ走りをよく頼まれた。
体育会系の雰囲気があるので、先輩から『気が利く』と思われることは大事だった。ぼんやりしていてはいけない。先輩が重たいものを持っていたら代わる。合宿でのお弁当は後輩が配り、空き容器も回収して捨てに行く。とにかく気を回そうとする。おなじ音楽系の部活でも、上下関係がなくのんびりしていた中学時代の部活とは大違いだった。
ただ先輩だというだけで偉そうな態度をとってくる嫌な人もいたけれど、ほとんどの先輩は優しい人で、「いつも誰より先に走って、行動していて、もちちゃんはえらいねえ」と、褒めてくれた。

大学生になって、サークルに入り、飲み会に参加するようになると、自分が酒の席では驚くほど気が利かない人間だということに直面した。
とにかく、人のグラスが空いても気がつかない。ビールを飲んでいる人に、どうぞとお酌するタイミングがよくわからない。
社会人になるとますます、酒の席で気が利かないことが大きな短所のように思えてきた。小さくなって座っていると、よく女性の先輩から「ほら、もちちゃん、◯◯さんにビール注いで!」と怒られた。会社の飲み会は仕事のうちだとよく言うが、なんて面倒くさい仕事なんだろうと辟易した。
私の父がよく、「飲みかけのグラスにビールを注ぎ足されるのが嫌いだし、自分のペースで飲みたいからお酌されたくない」と話していたので、目の前のこの人のグラスにいまビールを注ぐべき?飲み干すまで待つべき?と悩んでいるうちに、誰かが「おつかれさまでーす!」と切り込んできて愛想よく注ぎ足してしまう。本当によくわからなかった。

そして、現在である。
私はもう、自信を持って若者ですと言える年齢ではなくなった。
だから、とても楽になった。
今時、女にばかりお酌させようと思っているような人は、若い女にお酌してほしいのだろうから、私が頑張らなくてもいいやと思う(でも、若い女性にばかり押し付けるのは申し訳ない、という気持ちはある…。やりたくなければ、誰もやる必要なんてない)。
サラダを取り分けるのが『女子力』だ、という言われ方にも違和感がある。それは気遣う能力の一種ではあるだろうけど、女性であることとはなんの関連性もない。取り分けてもらったサラダに嫌いなアボカドが入っていて、言い出せなかった経験もあるので、皿に手が届くなら自分で取ればいいと思う私だ。

サラダは取り分けないで、生きたい。
どうしてもサラダに手が届かない人がいるなら、もちろん話は別だけど。

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