あのホーム

いまの会社に転職して、一年目のこと。
春からしばらくは楽しく面白く、仕事を覚えていこうと思えていた。
でも夏から状況はじわじわ変わり、秋になるとどうにもならない繁忙期の波で溺れ始めた。
先輩たちに迷惑をかけている自覚があった。
仕事が遅いしクオリティも低い。
作ったものに赤字がびっしり入り、それを直すのに精一杯で、また次の仕事、並行してまた次…
本当に、『溺れかけている』状態でいた。

残っても仕事は終わらないのに、残らないと仕事は進んでいかないし、毎日遅くまで残業。
終電まで働くことが続く。
終わらないから。

チームによって一年目の『教え方』は違うようで、私のチームはたまたま、歴の長い、その職種だけ経験してきた先輩たちしかおらず、「初心者でも、仕事やらせながら覚えさせよう」という方針?だった、ようだ。
あとから入ってくる新人の人たちは、みんな少しずつ手取り足取り教わってるように見えて、「おなじ初心者なのに私はだいぶスパルタだな…」と思ったし、正直うらやましかったけど、言えるわけもなかった。
ため息をめちゃくちゃつかれながら仕事をする。
「あなたが席を外すと、先輩たちはあなたの悪口言ってるよ」と吹き込んでくる最低のやつもいて(その情報まじでいらない)、気持ちはどんどん病んでいった。

それでも仕事に行っていたのは、「こんな私でもいないより少しはマシかもしれない、私が抜けたら完全に私の仕事を誰かに振らなきゃいけなくて、より迷惑をかける」と思っていたからだった。

終電で帰るとき、乗り換えの駅のホームまで、階段を下りる。
そのとき、いつも絶望感みたいなものに襲われた。
また電車に乗る。
帰る。
風呂に入って眠る。
起きたら仕事。
またできない自分に落ち込みながら、頭と手を動かしていかなきゃいけない…。

ホームに電車が入ってくる瞬間がこわくて、いつも両足にぐっと力を入れた。
ふらつくな。
吸い込まれるな。
そう思わないと、フラフラと近づいてしまう気がした。

私の場合、怒涛の繁忙期が終わってチームでの年度末の飲み会があった帰りに、ある先輩から「あなたのことをダメだと思ってない。やめてほしいと思わない」というようなことを言われたために、退職を思い立つタイミングを失った。
私はいつもそうで、とてもしんどいと思っていたはずなのに、渦中から抜け出すと、喉元を過ぎると、ちょっとおかしいくらい忘れてしまうのだ。

でもあの、ホームへ下る階段。
あのときの気持ちだけは、忘れることができていない。
いまは時短勤務で明るいうちに乗り換え駅を通る生活だけれど、たまーに用事があって夜にそこを通りかかると、心臓が締め付けられる。

いやだなーと思うことも、
不安だなーも思うことも、やっぱりたくさんある。

それでも、あのとき吸い込まれなくてよかった、生きていてよかった、と思っている。
(吸い込まれそうな気持ちになったのは、これより前の時期にもしばらくあったことで、人間そういう時期がくることってあるんだな…という気はする)

この類の話は夫にしかしたことがない。

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