三浦くんハクと萌音ちゃん千尋の最強コンビについて考察する

正直舞台版「千と千尋の神隠し」はそんなに期待して観劇に臨んでいなかった。映画はたくさん観に行ったけど、さすがのジョン・ケアード氏でもジブリの舞台化は無理じゃね?と本気で思っていた。推しである三浦くんの出演する舞台だし、申し込んでみよう!と申し込んでみたものの、取れたのは1公演のみ。さすがジブリ。恐るべしやで。
推しである三浦くんはミュージカルが多いですし、舞台版かぁ歌わないのかなぁと最初は本当にテンション低めだった。萌音ちゃんも友人から『ナイツテイル』よかったと聞いていたし、紅白でのあの美声に度肝を抜かれたから、ミュージカルじゃないのかぁと観劇する前はこちらも同じくテンション低めだった。
蓋を開けてみたらどうだ。この有様である。そしてなぜに私をここまでこの二人の若い役者さんに情緒を乱されているのだろう、と考えてみた。考えてみたが、私の湧いた脳みそでは答えを探すのは無理だった。数日が過ぎ、備考録も書き、あらかた落ち着いた時、その答えがツイッターランドくんからもたらされた。


『二人の芝居が掛け算になっている』


これだ!!!私は手を叩いて喜んだ。


・千尋とハクの出会いからすごかった

ハクが千尋の手を取って見つからないように走り回る場面。体の動き、使い方が実に見事だった。アンサンブルさんが職人すぎたのもあるが、二人の動きに風と疾走感が見えた。私は趣味で漫画を描く。漫画でいうところの集中線みたいなものが見えたのだ。錯覚かな?と思って目を擦ってしまった。花粉症なのにやばいやばいと慌てた。伝わらなかったら申し訳ない。
結局解決できなくて、ハクは決断する。油屋で働いて、その時(千尋が元いた世界に戻れる時)が来るまで待つということにしようと。その為にはここで湯婆婆と契約をせねばならないことを。
千尋はこれからどうするかハクに指南してもらうのだが、元来の甘えん坊が顔を出す。その時の二人のやりとりがこれまた良い。間の取り方が実に絶妙だった。このシーンだけで、あ、めっちゃ波長あってる。芝居のキャッチボールができてるコンビだと唸った。
中にはアドリブがあったのかもしれない。極端な言い方かもしれないが、片方がセリフをど忘れてしてまったとしよう。ど忘れして台詞が抜けてしまっても、この二人なら片方が軌道修正して本筋まで話を戻すことが可能だろう。そう思わせてくれるのだ、この二人の芝居には。


・数々の映画の名シーンの再現度の高さ

ハクがおにぎりを千尋に渡すシーン。これは何度も映画館や円盤や地上波放送で見てきた名シーンである。
何も食べていない千尋を心配したハクが渡したおにぎり。最初千尋は受け取ろうとしなかった。その理由はハクの態度に戸惑っているからに他ならなかった。
出会った頃のハクは優しかった。だが湯婆婆と契約を済ませ、戻ってきた時のハクは先程とは別人だった。

「ハクって二人いるの?」
リンに聞いた時の萌音ちゃん演じる千尋が本当に戸惑っているようにダイレクトに伝わってきた。唸るしかなかった。
そんな経緯もあって、千尋はすぐおにぎりを受け取らなかった(のだと思う)のだけど、千尋は食べる。泣きながらおにぎりを食べる。食べないと生きてはいけないから。生きないと豚にされてしまった両親を助け出して、この不思議な町から出ることができないから。
萌音ちゃんの演じる千尋のこの時の泣き方が、実に見事なのである。原作映画の千尋の泣く姿がフラッシュバックした。泣き方も原作映画の千尋そのものなのである。自分のオリジナル要素も入れているのだろうが、千尋そのものだった。
だからかもしれない。近隣の席の方皆、啜り泣いていた。そうじゃないとあそこまで観客皆啜り泣かない。萌音ちゃんが演じる千尋ではなく、千尋が泣いている。映画館で、ブラウン管で私たちがかつて観た千尋が目の前に体現されていたのだ。もうこの舞台は成功だ。私は早い段階でそれを確信した。
このおにぎりの名シーンでの三浦くんの演じるハクはいわゆるギャン泣きしている千尋にそっと優しく寄り添う。萌音ちゃん演じる千尋の体に添える手が実に優しいのだ。優しくて、切ない。なぜ切なく感じるのか、千尋とハクがゆくゆくはどうなるのか分かっているというのもあるが、三浦くんの表情がそう感じさせるのだ。千尋を見つめる視線が優しくて、切ない。
原作映画より大人な雰囲気のハクと捉える方もいるかもしれないが、私はそうは感じなかった。ハクは神様である。容姿は若く見えるかもしれないが、神なのである。
大人な雰囲気に感じるのは、千尋がまだ幼い10歳の女の子故だと思える。千尋が次第に成長していくことによって、そのことが全然気にならなくなる。それもこの二人が計算して芝居を作っていたとしたら、脱帽である。
備考録に萌音ちゃんは相手役の役者さんの魅力を引き出す天才ではないかと書いた。それはお互いに言えるのかもしれないと思った。萌音ちゃんは三浦くんの良さを引き出し、三浦くんは萌音ちゃんの良さを引き出した。芝居が日々アップデートしていく。それを知れば観客はこの二人の芝居が見たくなってしまう。もう観劇オタは通うしかないではないか!それには一つ問題があって、チケットがない!ということだ。実に悩ましい。
あとこれは三浦くんに是非聞いてみたいのだが(聞けるものならば)、千尋と湯婆婆たちに対する視線があまりにも違いすぎてそれは意識して作っていたのか聞いてみたいところである。千尋に向ける優しい視線に対して、湯婆婆に向ける視線は絶対零度ならぬ絶対氷点下だと思って。意識してやっていたら、オタク大喜びします。いつか聞かせてほしい。


・対等な関係になる千尋とハク

ハクが怪我を負い意識が戻らない中、千尋は一人奮闘する。助けてくれた大切な存在であるハクを助けるために。
それによって千尋は成長していく。片やハクも目覚めてすぐ千尋のことを案じる辺り、愛である。思わず釜爺みたいなセリフを呟いてしまう。
千尋が銭婆の家にいる時の萌音ちゃんの千尋の芝居が本当に素晴らしいのだ。ハクの名を呼ぶ声が切なくて泣けてくる。泣きながら、ハクが死んでしまったらどうしようと銭婆に訴える場面は圧巻だった。ここでも私のいや、近隣の席の方の涙腺は崩壊していた。
そしてハクが本当の名前を取り戻す時の下りでも涙腺は崩壊する。もはや決壊しているではないかと思う。
この時の萌音ちゃん演じる千尋の笑顔がキラッキラに輝いていて、眩しいのである。ただ残念なことに、この時の三浦くんの表情が確認できなくて悔やんでいるところである。誰か詳しく教えてほしい。それかもう一度観劇させて欲しい。もしくはブロマイドにして売ってくださいと東宝さんにお願いしたいくらいである。
職人気質のアンサンブルさんたちに持ち上げられているすごく辛い体勢なのに、台詞回しが全然崩れない萌音ちゃんと三浦くんすげーんだなと唸った。冒頭の走り抜ける場面でも思ったが、体の動かし方が上手で舞台慣れしてるからこそだよな〜と感心しきりである。
湯婆婆との契約が消滅する前、千尋の手を離した時のハクの表情も秀逸だった。そして契約が消滅して、千尋を連れて油屋を去るとき、千尋がまた会える?と聞くんだけど、この時の三浦くんの芝居が感情を抑えているように感じた。少しずつ変えて演じているらしいので、今はどういう風に演じているのだろう。気になって夜しか眠れない!
千尋が元の世界に戻って、一度だけハクが登場するんだけど、その雰囲気も神らしかった。千尋とハクが交わる世界線はないのかなとしんみりしてしまった。それこそが余韻。余韻が切なさを余計感じさせる。ジョン・ケアード、恐るべし!
両親に呼ばれて返事するところも、冒頭とラストシーンでは確実に声のトーン変えてるよね、萌音ちゃん。冒頭の千尋は「は~い」だけど、ラストのシーンの千尋は「はーい」だよね、と思う。同じセリフでも、千尋の成長が感じられる。ここもすげーと唸った。

つらつら三浦くんハクと萌音ちゃん千尋について勢いのまま書いたが、また落ち着かなくなったら書くと思うので、あーまた発作が出てきたんだな程度の生暖かい目で見て頂けると大変助かります。
何とか地方公演行けないか、画策してみようと思う。ここまで同じ舞台を何回も観てみたいと思ったのは初めてかもしれない。それもこれも三浦くんと萌音ちゃんの二人の芝居があってこそである。

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