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梅園
前のバンドを解散して6年が経過した頃。
ギターとピアノだけの編成で
従兄弟の拓也と2人組のユニットを組んだ。
麗蘭みたいな漢字2文字に憧れて
拓也の実家が在った東京の清瀬市の
地名から"梅園"と名付けた。
記念にTシャツを作りに雑誌"ぴあ"で見つけた
錦糸町の販促屋さんへ発注に行った際
[ラーメン屋さんですか?(´・ω・`)]
と言われた。ちゃうわいっ。
1回も着た事ないし今後も着る事ないけど
捨てられず眠ってる。
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そのころ拓也は長野県の松本に住んでいて
曲を作るとカセットテープに録音して
文通みたいに送っていた。
そんなやり取りが3年ほど続いた。
やがて月に1度のペースでお互いが
松本⇔東京を行き来する気色の悪い
遠距離恋愛みたいな練習が始まった。
自分が松本に行く時は仕事を終えて
新宿から特急あずさに飛び乗った。
"さすらいもしないで
このまま死なねえぞ"
BGMはいつも民生だった。
LIVEは長野県の浅間温泉近くに在る
"赤いピアノ"というレストランBarで演奏した。
店内に本当に赤いピアノが置いてある
素敵なお店だった。
今でも在るのかな。在ると良いな。
優しいマスターと奥さんが経営してた。
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静岡や石川から友達と知人
東京からは家族も来てくれた。
ギターはチャボさんと同じ
ギブソンのチェット・アトキンスと
フェンダーのストラトとアンプを持って行った。
LIVEが始まると直ぐに違和感を覚えた。
店内の照明が点けっぱなしなのだ。
営業時間内で他にもお客さんが居るから
仕方ないが目の前に友達が座っているのは
緊張して慣れるまでに数曲かかった。
曲は昼間に聴けるようなものでは無かった。
突っ込む標的は街宣車の歌。
17才の時の友人との日々の歌。
亡くなった弟に捧げた歌。
ボーナスをおくれよ。清志郎のカバー。
瓶に詰めたメッセージの歌。
佐藤正美さんのインストのカバー。
行先不明のバスの歌。
排水口に流れていった反逆分子達の歌。
深夜に働く労働者の歌。
真夜中の絵描きの歌。
etc.
書いてるだけで憂鬱になるような歌ばかりだ。
十代の頃。
青春なんて無かったけど
この夜が短い短い青春の終わりだったのだ
と思う。
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拓也とは車で10分の距離に住んでいるが
近すぎて逆に会う機会が減ってしまった。
なぁ拓也よ。
俺たちは間違ってなかったよな?
お前から預かったキーボードは
まだ在るからさ。落ち着いたら
また音を出そうぜ。
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