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怒られる。

「怒られる」ということがどうしてこんなにも苦手なんだろう。
思えば小学生の頃からだった。基本的に忘れものも少なく先生の言うことも聞ける子どもとして過ごしていたけど、それでもどうしても提出物を忘れてしまうことはあった。

”先生に伝えに行かないといけない”

頭ではわかっていたけど、今座っている椅子から立ち上がるのに3日くらいかかる気がした。目がぐわんぐわんして、ありもしない心臓がバクバク音を立てた。先生までの距離が、学校の廊下を端から端まで結んでも足りないくらい遠く感じた。言いに行かなければいけない。提出物を忘れてしまった。昨日の夜に確認したはずだ。でも確認しきれていなかったのかもしれない。僕が悪い。怒られても仕方のないことをした。僕が悪い。怒られてしまう。僕が悪い。僕が悪い。
席を立って前へ少しずつ歩きながら、右側に並んでいる机たちを、体を支えるように撫でた。言わなければいけない言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、震える唇を歯で黙らせて耐えた。先生の前に来た。口から出るはずの心臓が喉の所で引っかかっている。なんだか声が出にくい。体調が悪い事にして家に帰ろうか。思えば朝から体がだるかったような気がする。
色んな言い訳が浮かんでくるのに、嘘を吐くのはいけないことだと止める誰かがいる。みんなが見ている。クラスメイトが席に座っている中で、一人だけ先生の前に立って黙って俯いている僕がいる。
決められたことを守れなかった僕が悪い。

こんな感じの思考回路は今も健在で、怒られたり責められたりする機会をなるべく減らせるように、そういうきっかけを作らないようにしている。この傾向を知っている友人は「今のは〇〇の方がいいと思うよ!」と優しく教えてくれるけど、それでも心にかなり大きいダメージを受けてしまう。
少しの指摘で存在ごと全てを否定されたように感じてしまうのはどうしてだろう。きっと何かそう思うようになったきっかけがあるんだろうけど、僕にはもう思い出せそうもない。

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