風の歌を聞け

小説を書きたいと思いながら、なかなかうまく書くこと尾ができなかった主人公の『僕』。20代の最期を迎えた年に、ある小説を書くことを決意する。
物語の本編は、当時21歳の「僕」から始まる。東京の大学に通っている「僕」は、夏休みに故郷である海辺の町に帰ってきた。故郷には、高校時代からなじみのバー「ジェイズ・バー」があり、友人の「鼠」がいる。「僕」と「鼠」は、「ジェイズ・バー」で毎晩のようにビールを飲んでいる。お互い、心の奥に何らかの悩みを抱えながら。
 そんな中で、「僕」は、今までの人生を振り返っていく。「鼠」と一緒に飲酒運転をして公園の石柱にぶつかり、それでも奇跡的に無事だったこと。子供の頃、無口すぎることを両親に心配され、嫌々ながら精神科医のもとに通ったこと。今まで付き合った三人の彼女の事。そして、三人目の彼女がこの春に自殺してしまった事。

この物語では、恋愛や友情、だれもが味わう青春時代、のほろ苦い思い出が語られる。しかし、この物語のテーマの中心に据えられているのは、青春とは何か、ではない。なぜ人は文章を書くのか、文章を書く行為は何を意味するのか、それがテーマになっている。
 主人公の「僕」は、物語で、書くことは自己療養への試みだと話す。主人公は学生時代に大切な恋人を自殺という形で失った。文章を書くという行為は、主人公にとって、その喪失感を克服するためのイニシエーションなのだ。
 しかし、文章を書く理由は、それだけにとどまらない。同じく物語の冒頭で、主人公は文章を書く苦しみについても語っている。完璧な文章など存在しないと思いながらも、完璧をめざし、そして自分の書くことのできる領域があまりにも少ないことに絶望する。それでも、書かずにはいられない主人公の強い気持ちが伝わってくる。
 これは、書くという行為そのものが、自身の欲望であることを意味している。自分の中の何かを表現したい、よりよいものを作りたいという欲望が小説を書くことへと向かわせる。
 それは、作家として村上自身の欲望であるといえるだろう

村上は、小説を書こうと思ったきっかけについて、いくつかのエッセイやインタビューの中で、29歳の時に神宮球場でヤクルトの開幕戦を観戦中にふと思い立ったと述べている。そうして描かれたのが、デビュー作「風の歌を聞け」だ
⁽の主人公である「僕」も、29歳の時に小説を書くことを決意する。物語の冒頭に書かれた決意は、当時の村上自身の思いを映し出したものだといえるだろう。ちなみに、主人公が文章を書くことについて学んだというアメリカの作家、デレク・ハートフィールドは全くの架空の人物。具体的な作品名などが書かれているために、実在の作家と勘違いしてしまう読者が多いという。デレク・ハートフィールドは、村上の師というよりも村上自身と言ったほうがちかいのだろう。
 短いストーリーの中に、過去と現在、虚構と事実という、村上作品の特徴ともいえる二重構造が詰め込まれている。

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