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相馬栄の心の動き①

ー栄にとっての「嘘」と「本当」ー


『ひらいて』で取り上げられている「テレビの嘘」。
この問題と向き合う上で重要になるのが、栄にとっての「嘘」の捉え方の変化ではないでしょうか。
ここでは、作中における栄の「嘘」と「本当」に対する感情を探っていきたいと思います。


◆思ってもないことは言えない

そもそも、栄は「嘘」と「本当」をどのように捉えていたのでしょうか。『ふさいで』を中心に見ていくと…
物語序盤、設楽・睦人と初めて個人的に関わる場面で、栄は設楽に次のような言葉を発しています。

「思ってもないこと、言えるか」(ふさいでp26)


この言葉から分かるように、まだ設楽とは関わりが浅い時点での栄は、「嘘」に否定的でした。
一方で設楽は

「……思ってること言うほうが、遥かに難しいんだけどな」(ふさいでp26)


と返答。栄とは違い、設楽は「嘘」を許容しているように受け取れます。
また、栄が感じた設楽の印象からも「嘘」の気配が読み取れます。

にこにこしてはいるが、読めない男だと思った。栄に語っているのが本音だという確証もない。(ふさいでp15)

よかった、なんて本当は思っていないのかもしれない。この笑顔も自然発生したものではないのかもしれない。誰だってそんなもんだろうと分かっているはずなのに、腹が立った。(ふさいでp28)


「読めない男」との印象は局内で初めて顔を合わせたときのもの。交流を持つ前は、単に自分に「嘘」をつき得るという感想にとどまっています。
ところが、映画館で偶然会い家に行った後は、設楽の笑顔が「嘘」ならば腹立たしいと思うように。設楽が栄の気持ちを揺るがしていく、その始まりだったのではないでしょうか。


◆嘘をつく人間への拒絶

栄が否定的なのは、自身や設楽がつく「嘘」に限りません。設楽に怒りを感じた直後、「テレビの嘘」についての考えが述べられます。

ただおぞましいのだ。嘘にまみれ、嘘をふりまいて笑える連中が。テレビで放送するものなんて、突き詰めればすべてが虚構に過ぎないけれど。いつも誰かの主観が入り、誰かの手で操作され、肥大化と矮小化を経て切り刻まれ、流され、そしてすぐ忘れられていく、いびつな現実のレプリカ。(ふさいでp31-32)

「嘘」をつく人間を「おぞましい」という強い言葉で否定した上で、テレビは虚構、現実の複製品であると断じます。テレビ番組の制作に打ち込む一方で、テレビと「嘘」は切り離すことはできない、その現実を仕方がないと受け入れている様子が窺えます。

そんな割り切った考えを持ちつつも、栄個人としては「嘘」を拒絶し「本当」を求める姿勢がその後も続きます。

嘘のない目だ、と瞬間、思った。(ふさいでp33)

「急がせて悪かったとかよくやってくれたとか、嘘でも言えねーのかよ」「嘘だったら言わないほうがいいだろ」(ふさいでp47)

以上はいずれも睦人との交流に関わる描写。「嘘」が介在しない関係を好ましく思ったことが、陸人との距離が縮まった理由の一つではと思います。


◆「本当」のことを知る怖さ

こうした中で、栄の認識が変化するきっかけが描かれます。

…ゆうべの「憎らしい」発言だ。「一緒に仕事してみたかった」と初対面から言っていたくせに、どっちなのか。(中略)いやになるほど健やかな風景の中で設楽の答えを聞くのが何だか怖い。映画館の中には嘘しかないけれど自然はすべてが本当で、夜の中に紛れさせることができないから―怖い? 俺が? 何で?(ふさいでp83–84)

設楽に「憎らしい」と言われ、その発言の真意を確かめることに恐れを感じています。
それは、「本当」があふれる屋外の自然の中だと、望まない答えだったとしても「嘘」だとごまかすことができないから。無意識のうちに、設楽に憎まれたくないという思いが働いているのが分かります。

栄が「本当」を怖いと認識するようになる決定的な出来事が、睦人が起こした事件。傷ついた栄は胸中で次のように語ります。

もう本当のことは見たくない、本当のことは聞きたくない、本当のことを話したくない。(ふさいでp111)


「本当」から逃げたい、そんな苦しいまでの願いを抱くようになるのです。
報道番組からバラエティ番組の制作に異動した後も、栄はその思いを抱き続けます。

初めてのバラエティは、驚くほど自分に合っていた。すべては最初から嘘、それを作り手も受け手も了解したうえで、最高にばかばかしくて笑える嘘をつくり上げようと知恵を絞り、真剣勝負する(ふさいでp137–138)

「現実なんか撮って何が面白いんだよ」と答えた。「人の不幸でめし食うより、人笑わせてめし食うほうがいいに決まってる」(横顔と虹彩p81)

このように、以前は「嘘」を拒絶していた栄は、睦人の事件を機に「本当」に背を向けるようになりました。
バラエティ番組でつくり出す「嘘」は、栄の支えになっていたのだといえます。


◆「嘘」と「本当」の折り合い

しかし、11年ぶりに設楽と関わり、栄は再び変わります。
ストライキが起こり、「ザ・ニュース」の1日プロデューサーを引き受けたときのこと。つくり上げた「嘘」ではない「現実」を視聴者に伝えることになるのです。
生放送のオンエアDをするのは、睦人の事件以来。もしまた番組が終わるような何かが起きてしまったら? 怖さに震える栄の耳に、設楽の言葉が届きました。

…設楽は実に軽い口調で言う。
『きょう、何かあったら相馬Pのせいってことで、もし恨みを抱いてる人がいたらチャンスです』
   (中略)
それでも、口約束ですらない嘘に救われてここにいる。(ふさいでp193)

実際に問題が起きたら責任は設楽に降りかかるはず。ですが、設楽のこの「嘘」は栄の心を軽くします。
さまざまな障害を跳ね除け見事にオンエアを乗り切った時点で、栄の中で「嘘」と「本当」の折り合いがついたのではないでしょうか。

さらに、この後設楽に熱海へ連れて行かれ、睦人と再会。11年前の事件に区切りをつけます。
「本当」への恐れも断ち切った栄は、今までは好むにしても拒否するにしても極端といえた「嘘」と「本当」の両方を、設楽によって受け入れることができたのだと感じます。


〈引用文献〉
一穂ミチ「横顔と虹彩」(新書館、2017年2月)
一穂ミチ「ふさいで」(新書館、2018年12月)

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