「ふさいで」で描かれる光

「ふさいで」で描かれている"光"というか、栄さんが"光"を感じている描写が好き、というだけの話。

「したさかのイメージってどんな?」と聞かれたときの「うーん、薄暗闇に光が射し込む感じ!」「…ふーん」「(あれ?伝わってない!)」というやり取りに端を発しております。

「ふさいで」は光の描写が多く、どれも印象的ですよね。やはり語り手の栄さん自身が光を意識しているからなんだろうなと思います。
まず冒頭。

設楽は立ち上がり「いい天気だよ」とカーテンを全開にした。
「バカ、やめろ」
まぶしさに目がくらむ。
(中略)
病室には晩夏の光がいっぱいにあふれ、目を閉じたくてたまらない。(ふさいでp9-10)

薄暗い部屋に光を入れるのは設楽さん。これは今後の展開を期待させる重要な場面なのでは!と読み返すうちに思うようになりました。
単純にキスにつながるのでその意味ではもちろん重要なのですが…
回想に行く直前の一文からも、栄さんが設楽さんに光あふれる場所に連れ出された印象を受けます。"目を閉じたい"というのは、本人の気持ちがまだ追いついていない状況を表しているのでは。

次は何といってもこのシーン!

窓の向こうの、何度か洗いをかけたように白っぽい青空。部屋じゅうが自然光で明るい、その眺めに心のとげが引っ込んだ。(ふさいでp36)

設楽さん・奥さまとの初交流の別れ際です。心のとげも引っ込んでしまうくらいの、穏やかで美しい光あふれる情景が目に浮かびますね…
人とこんなに楽しく喋ったのは、栄さんにとって初めてのことだったのではないかと。
そんな気持ちに寄り添うように"光"が描かれているなと感じます。

ここで舞台は熱海に。映画館と海岸、それぞれの"光"出てきます。
はじめに実家の映画館から。

映写機から放射される光の中、微細なほこりのようなものがゆっくり滞留するのを見るのが好きだった。時にそれは映画そのものより面白くていつまでも見入ってしまうほど。(ふさいでp76)

はっきりと「好き」と言葉にしているのがちょっと感動… 設楽さんのことも、テレビの仕事のことも、ニコラシカ(1杯目)のことも、なかなか「好き」と言わない栄さんが!「好き」って言ってる!

話を戻して…ほこりがキラキラ輝いて見えるというのは、日常に紛れ込む何気ない風景。でも、そんな景色が栄さんの心を捉えているんですよね。
エンドロールを最後まで見ていることを思うと、「いつまでも」見入るというのも納得です。

続いてはその翌朝、設楽さんと睦人が待つサンビーチへ向かったときのこと。

…朝の海は早くも水平線をきらめかせ、砂浜まで光をたたえて目も開けられないほどまぶしかった。(ふさいでp81)

この朝陽。終盤に回想されるんですよね…(泣)
友達(否定してますが)と一緒に地元に帰り、祖父母にも再会したこのときは、とても幸せで光り輝く瞬間だったのではないでしょうか。この時点で自覚はないと思いますが…
冒頭にもあった"まぶしい"が再び出てきているのも、そうした意味を含んでいるんじゃないかと考えてしまいます。

そんな熱海から戻った後。

大きな窓から射し込む陽射しが、まどろむような午後のとろみを帯びた空気を斜めに区切り、栄の上にも光と影のツートンができる。片目だけの視界に、空気中のちりが光の中をゆっくりとたゆたうのを追った。(ふさいでp86)

熱海の資料を探しに来た図書館で目を留めた景色は、先ほどの映画館のものを再現したかのよう。
自然光だけあって映写機よりも柔らかい雰囲気なのに、栄さんの物思いは穏やかさとは程遠い。その対比が「光と影のツートン」「片目だけの世界」とリンクしている気がします。

これ以降はしばらく光についての描写はありません。どうしても感じてしまう、奥さまの事件の闇…
唯一挟み込まれるのが、回想が終了後、病室で見ている花火の光です。

消灯時刻を過ぎた室内は真っ暗で、咲いては散る花火の光だけが栄を照らしていた。(ふさいでp150)

闇の中で美しい作り物の光に照らされているのがもう、なんとも言えない。
栄さん1人、花火は映像というのがのちに響いてくるんですよね…

そして光がしばらく不在だからこそ際立つ、終盤の素晴らしさ。

こうしている間にも波は寄せ、東の空がすこしずつ清明になっていく。
(中略)
その笑顔を、朝の光が照らして洗う。海から真ん丸い橙が昇ってくる。あの、晩夏の朝とはちがうやわらかな陽。(ふさいでp235-236)

出ました、晩夏の朝!あの朝はどれだけ栄さんにとって思い出深かったんでしょう…
今度はまぶしくはなく、やわらかい陽。心の穏やかさと充実感が伝わってくる本当に素敵な文章で、ここがクライマックスだと勘違いしそうです。
ですが、本当のラストはこの後。

目を閉じると、昼間の部屋にいるのに真っ暗で、そのうちエンドロールみたいな暗闇に、鮮やかな花火の光がいくつも弾けて散った。夢だろうか。モノクロの光景しか見ないはずなのに。どん、どん、と打ち上げる音は、たぶん自分や設楽の鼓動だった。(ふさいでp252)

栄さんの暗闇の中に、設楽さんと抱き合うことで色鮮やかな花火が現れる。冒頭のシーンにもありましたが、やはり栄さんに光を射し込むのは設楽さんなんだなと…
どうか早く一緒に花火を見てほしいです。

あと栄さんの夢といえば「モノクロの世界」ですが、"色"をつくるのは"光"。このときの花火に色がついていたのも、設楽さんによって光を与えられたからでは?と思いました。
さすがに深読みかもしれませんが…冒頭から何度も夢に色がないことが繰り返されているので、ラストのこの描写には意味があるのではと感じています。

以上、「ふさいで」の"光"についての話でした!


〈引用文献〉
一穂ミチ「ふさいで」(新書館、2018年12月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?