何かに対して一生懸命ってのが一番いいのかも知れない
(約 1,600文字の記事です。)
またYouTubeネタなのだが。平沢進というアーティストを知っていますか?私は最近知った。だが、知る人は知っている大御所だ。そうらしい。いや、そう感じた。
*平沢進というアーティスト
パプリカというアニメーションで音楽に感銘を受けて調べてみると平沢氏が出てきた。
パプリカは古い作品みたいだが、最近まで知らなかった。そして作品の好みは非常に分かれると感じる。クオリティは高いのだが世界観と表現が独特すぎる。気持ち悪いと感じる人も多いかも知れないな、と思う。
パプリカとは無関係だろうが、YouTube上にあったURLを紹介しておく。
で、そのライブ映像を見て思ったこと。
*一生懸命だ
そう感じたのだ。何かを伝えようとすることを、熱くもなく、冷たくもなく、ただ一生懸命に伝えようとしている姿に感銘を受けた。
ナチュラルでありながら、芯がある。そして独特だ。だが、誇張もなく、力みもなく、表現しようとしていることを素直に表現している。そう感じた。
若くはない。見て分かる。けど、眼光の鋭さは凄い。何か違う。アーティストだと感じる。アートを体現している。
現代にはノイズが多い。だが、
*表現したいことにきちんと向き合って表現している人が一番強い
そう感じたのだ。普通だとかそうでないとか、どうでもいい。それは時代の影響を受けた人々の感性でコロコロ変わる。だが、表現しようとしている人からすれば何も変わらないだろう。時代が味方するかどうかの違いかも知れない。でもそれは自分では制御できない。ラッキーで終わるか不幸で終わるかは、神様にお任せするとして。
で、最終的にどっちに転んでも、
*死ぬときに幸せなのはどっちだろう?
自分が表現したいことを表現し尽くした方が幸せだろう、アーティストならば。それはとても幸せなことだと思う。
だったら、表現者として、一番幸せなことを今から追求してはどうか?それが悪いことにはならないし、明日死んだとしても後悔はないはずだ。
と、ちょっと極論なのでブレーキを踏もう。
*表現者=クリエーターとして、満足はどこにある?
これは重要なことだ。生きる=経済的な成立とはまた別次元の話で。生きるための活動ならばそもそも表現が必要かどうかの判断も変わる。プロならば生きるためにお客様を満たす表現が必要なのは当たり前だ。それが生業だからだ。
で、表現することが生きることとは無関係な状態だと仮定して、では表現するということとは何なんだ?と。
それはつまり、自己満足なのだ。自分を満たすための活動である。それが趣味の活動なのだ。
生きるための活動は趣味ではなく、商売、生業(なりわい)なのだ。だがそれを鞍替えすれば別に表現する必要はないわけで、生きていくことはできるわけで。だから表現は手段に過ぎないことになる。
*それでも表現したいと思える人は真のクリエーター
それは生まれ持った資質。クリエーターという資質なのかも知れない。
……。
カッコいい締めの文句が思いつかない。
ただ、私は表現を諦めたくない。そう思った。平沢氏の動画を見ていて。
素直な表現が一番力強い、そう感じた。
多分私はクリエーターなのかも知れない。
さて、何を作ろうか。
構想はあるが、色々と自信はない(笑)不安はあるよ、完成するか・満足できる仕上がりになるかどうかすら分からないわけだから。でも、その不安はもしかしたらクリエーターの誰しもがそう感じる当たり前の感情なのかも知れない。
詳細はまた今度。発表先はnoteかブログかはまだ決めていないけれども。
今回の創作活動は約45分(累積 約1,469時間)
(427回目のnote更新)
読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊