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情報の価値

(約 1,500文字の記事です。)

*情報には価値がある。

これから先、多分、無償で情報をネットに流すことはないと思う。

情報には価値がある。それを認めてくれる人と、認めずに単にむさぼる人。どっちが多いかは、言わずもがな。それに疲れた。

これから先、多分、価値ある情報を無償で公開することはないと思う。集めた情報は、私の血肉になる。それは間違いない。それだけの色々な技術を駆使して集めた情報だから、価値があるのは間違いない。だが、

*情報収集のコストはゼロじゃない。

だから無償では開放できない。無償で集めた情報であっても、その収集コストは発生している。だから無償で開放せよというのはエゴだ。拒否する。必要ならご自身で集めればいい。それだけだ。

そもそも一次の情報提供者が無償でそれを提供しているからといって、集めた人がそれを無償で提供しなければならないなんてのは、誰のルールだい?樹木が地表にに無償で生えるからといって、トイレットペーパーや紙資源が0円でなければならないなんてことにはならないでしょ?

日本語で収集できる情報ならご自由にどうぞ。誰が集めても大差ない。だが、英語になるとどうだ?だいぶ違うだろう。日本語、英語、集めた情報を取捨選択して、本当に価値のある情報はどれか?それだけでかなりのコストが発生する。特に古い情報は役に立たないことが多い。応用できない古い情報の破棄、間違った情報の無視、そういうコストも含めて、本当に役に立つ情報だけを洗練した結果に、価値がないはずがない。

だから、今後、私が集めて取捨選択し、洗練して本当に価値がある情報だと思ったものは、有料でしか公開しない。無償公開のステージは終了です。それによって誰が得をし、誰が損するかは、大した問題じゃない。そもそもネットは開放されている。不満があるならご自身で探せばいいだけのことだ。それだけ。

*情報の取捨選択が重要

今の時代、情報そのものの価値よりも、洗練されて「今」役に立つ情報にだけに価値がある。その取捨選択の手腕が重要なのだ。それがご自身でできるならそれでいいだろう。そこに私は関与しない。だが、それができない人も多い。そんな人に価値ある情報を提供し、その価値を認めてもらえるならば、そんな人に情報を提供したい。むやみやたらと情報提供するステージは終わった。

必要な人にだけ届けばいい。他の人はどうでもいい。冷たくなければ暖かくできない。総エネルギー量は限られている。

リーチしたい対象の取捨選択。ボランティアは終了です。

また、それと自己の成長とは無関係だから。自分の成長のために情報収集して、その結果自分が成長したならば、それで1次的な価値は昇華している。それを2次的に開放することで自分と他人との利益になることを考えている。自己犠牲はするつもりはない。それは既に終わった。

自分がいいと思った情報だけを洗練して、その価値を認めてくれる人だけに提供する。認めない人は、まぁ、自分でなんとかすればいい。それは自由だ。関与しない。冷たくなければ自分と大切なモノをを守れない。自分が壊れれば、そもそも情報提供も相互成長も何もない。コアは、自分がまともに成長し続けることなのだ。

SNSは、馴れ合えるほどの情報量がない。どちらかが一方的に依存している。それに疲れた。結局の所、利用した者が有利になるだけだ。それだけだ。それに気が付いた。今までが「お人好し過ぎた」のだ。だがそれも終了です。

今後の執筆スタイルが今までと大きく変わる理由は、これです。



今回の創作活動は約30分(累積 約1,188時間)
(362回目のnote更新)

読んでくれてありがとう。気長にマイペースに書いてます。この出会いに感謝😊