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【SD】ピーター・サイドラーの遺産

サンディエゴ出身のメイジャー・ギャレットはCBSのベテラン政治ジャーナリストである以前に、生まれついてのパドレスファンだ。数年前、ギャレットは当時サンディエゴ・パドレス共同オーナーだったロン・ファウラーの計らいでペトコパークのオーナー用スイートルームに足を踏み入れた。

もう一人のオーナーに会えると知らされ招かれていたが、そう見受けられる人物は見当たらない。その代わりに、瀟洒なスイートルームに凡そ似つかわしくない、非常にくだけた服装の痩せた初老の男が佇んでいた。

「この男は誰だ?」とギャレットは訝しげに思った。

疑問をそのまま口にしなかったことはギャレットにとって賢明な選択だった。その男はピーター・サイドラー。もう一人の球団共同オーナーで、2020年にチェアマン兼筆頭オーナーとなった大富豪だ。

そのサイドラーが、米国11月14日に闘病の末63歳の若さで亡くなった。日本のメディアでもそのニュースは取り上げられていたので目にした読者も多いだろう。二度非ホジキンリンパ腫の治療を受け、予てから1型糖尿病を患っていたが死因は明らかにされていない。パドレスにとって現役筆頭オーナーの死去は1984年のレイ・クロック以来だ。

記事の通り、サイドラーはロサンジェルス・ドジャースの元オーナーである叔父ピーター・オマリーに球団所有の話を持ち掛けられ、先述のファウラー達と2012年にパドレス買収に至った。そう、サイドラーのファーストネームは叔父にあやかり名づけられた。かつてオマリーが父ウォルターの時代から所有したドジャースは手が届かないほど高額になっていたところ、LAより南部でジェフ・ムーラドが売りに出していた球団が目に留まったという経緯だった。

歯に衣着せぬ発言が多く、時折威圧感すら与える個性の持ち主であるファウラーが当初球団チェアマンだったこともあり、「もう片方のオーナー」サイドラーは目立たず、その人柄は多く語られることがなかった。そしてその二人によるパドレスへの投資が始まった。

球団買収時に30球団中最下位だった選手総年俸$55Mは2015年に$100Mを突破。2016-2017年に年俸を下げプロスペクトを貯め込む雌伏の時を経て、2018年以降はエリック・ホズマーマニー・マチャド、ザンダー・ボガーツら大物FAを獲得。またファウラーがパドレスから身を引きサイドラーがチェアマンと筆頭オーナーに就任した後、補強の勢いは衰えるどころかさらに増した。トレードで今季サイヤング賞に輝いたブレイク・スネルダルビッシュ有ジョー・マスグローブを獲得。後者2投手に加えフェルナンド・タティス・ジュニアジェイク・クローネンワースと大型長期契約を結んだ。フアン・ソトのトレード獲得も資金力あっての補強だ。

市場サイズに見合わない大盤振る舞いに他球団のオーナーやロブ・マンフレッドコミッショナーから球団経営の持続性を疑問視されていたが、どこ吹く風でチームへの投資を止めなかった。チームの費用を圧縮して得た収益を自身のポケットに捻じ込む球団オーナーも少なくない一方、サイドラーは自身のポケットに入っている資金を球団に注ぎ込むという全く逆の施しを敢行した。その振る舞いはディーン・スパノスのそれと対照的に映った。新スタジアム建設で10年以上にわたり市と揉めた挙句に2016年シーズンを最後にNFLのチャージャーズをロサンジェルスに移転させたために忌み嫌われたオーナーだ。1980年代にはNBAのサンディエゴ・クリッパーズもロサンジェルスに移転している。サンディエゴに唯一残された4大スポーツチームとなったパドレスは、市民ファンの心の拠り所として支持を集め始めた。特徴のない退屈な紺色のユニフォームは球団創設時代の茶色に代わり、アイデンティティを得たいファンの思いに寄り添った。

物理的にもファンのそばに居た。ペトコパークではオーナーのボックス席よりもフィールドに近いスタンドでパドレスのアパレルウェアを着て観戦する姿が見受けられた。他のオーナーの周りに見かけるようなお付きのPR係や側近に囲まれることなく、スタンドを歩き回り気さくにファンと交流した。その姿がファンの目に留まると"Peter, Peter!"と名前を呼ぶコールやスタンディングオベーションが起こることもあった。過去のパドレスオーナーに限らず、他のスポーツチームのオーナーに対してもめったに見られない歓迎ぶりだ。

積極的な投資の甲斐もあり2020年にパドレスは短縮シーズンながらも2010年以来の勝ち越しと2006年以来のプレーオフ出場を果たし、昨年2022年にはナショナルリーグディビジョンシリーズでかつて叔父が所有していたドジャースを破り、1998年以来のチャンピオンシリーズに進出した。またサンディエゴのファンからすれば、チャージャーズとクリッパーズを奪った街と見做している怪物級の大都市、ロサンジェルスのチームを打ち負かしたことにより留飲を下げたことにもなる。2023年の開幕選手年俸は買収時の4倍強の$249Mにまでのぼった。これより高額の年俸を負担するチームはメッツとヤンキース、街の規模がサンディエゴとは比較にならないほど大きいニューヨークを本拠地とする2チームのみだ。また2012年に212万人でリーグ20位だった観客は2023年に327万人、ドジャースに次ぐ2位まで増加した。かつてペトコパークや前球場のクアルコムスタジアムはドジャース戦でLAロゴの帽子やユニフォームをまとったファンが多く押し寄せるため、"Dodger Stadium South"と揶揄された時期もあったが、近年は茶色の帽子とユニフォームがスタンドが埋め尽くし牙城を守っている。伸びしろのない若手と峠を越えたベテランで構成されたロースターや、長きに渡りサンディエゴの内外で抱かれていた笑い物球団の印象は過去のものとなった。

またサイドラーがサンディエゴという街にもたらした影響は球場内に留まらなかった。

ペトコパークの周辺や車で20分ほどの距離にあるパシフィックビーチなど、近年ホームレスが増加しているこの地域をサイドラーは幾度となく歩いて見回っていた。柔らかいベッドで眠ることができない人々に語り掛け、話を聞き、励まし、時にホットドッグをふるまっていた。球団買収後ロサンジェルスからサンディエゴに移り住んだ彼は、深刻化するこの街のホームレス問題の解決に乗り出した。毎週火曜日にサンディエゴの政治家や名士とペトコパークのオフィスで会合を開き、環境の改善について知恵を絞り、そしてプランを実行した。彼らが新しい住まいを見つけられるまでに健康で安心して過ごせるベッド付きシェルター設置費用$1.5Mを負担し、今年も新たな超大型居住用テントを設置。A型肝炎や新型コロナウィルスのパンデミックが起きた時にもレストラン経営者らと協力し食事の無料提供など様々な援助を行っていた。またその様な過酷な環境に置かれた子供達に学習の機会を与える学校にも支援を惜しまなかった。

今年の夏、生前最後となったシンシナティでのインタビューでパドレスの低迷について心境を問われた際こう答えていた。「この手のことに腹は立たない。怒りを覚えるのは、自身のせいで苦境に追い込まれた訳ではないホームレスの人々が虐げられるのを見た時だ。」「(野球は)楽しいものだ。負けが込んでくるとどうしてもその状況をひっくり返したくなる。そのために自分が何ができて適切な問いができるか考える。選手達は全力を尽くしている」

14年$340Mという高額契約を結んだタティスがバイク事故とPED使用違反で2022年シーズンを棒に振った後も「腹を立ててはいない。人はそれぞれで物事を選ぶ。20代の若さで失敗の一つや二つを犯してない人間には会ったことがない。自分自身も含めてね」と返し、タティスを信じていると答えていた。大型補強の割には期待通りの結果をフィールド上にもたらすシーズンが少ないA.J.プレラーGMについても強い信頼をチーム外に示した。

「お金を使うことは好きだ。あの世までは持っていけないからね」とサイドラーはうそぶいていた。だが晩年その使い道の多くは損得勘定を超えた他者への支えや喜びに費やされた。それは病魔との戦いの中で残された人生が限られたものであると強く認識した故の施しだったとも受け取れなくもない。

今年のキャンプでサイドラーはこう語った。「いつか野球の神様が微笑み、私達はパレードをすることになるよ」

しかし残念ながらサイドラーが見届けた(であろう)最後のシーズンである今季のパドレスは82勝80敗でプレーオフ進出を逃した。だがパドレスという球団とファンとサンディエゴという街が彼の様な聖人の如き働きを垣間見ることできた僥倖は、パレードでも足りないほどの祝福に値するだろう。そしてそれほどの喪失である。

当面はサイドラーと共に株式ファンドを創設したエリック・クツェンダが球団の代表代行を務める。ただ今後のパドレスにおける経営体制や、球団年俸や戦力、さらにサイドラーの希望通りまだ子供が小学生と幼い家族が今後50年や75年もの間チームを保有するか否かなど、将来の明暗や何が残されるかはまだ分からない(当面ピーターの球団所有分は信託に預けられる)。ただサイドラーが生き方を通して体現したポジティブな情熱と友愛、寛容さこそが野球ファンやサンディエゴ市民一人一人の心に残した最も大きくまた永続する遺産であり、彼なき未来においても学びと励みの糧となるだろう。

まさに殿堂入り級の球団オーナーであり慈善家だった。ありがとう、さようなら。

トップ写真:https://padres.mlblogs.com/padres-chairman-owner-peter-seidler-passes-away-9b00c0718c25

追記
サイドラーの訃報を受けた当日、FelixさんとX上のスペースにて対談させていただいたのでまだお聞きでない方はぜひご試聴ください。


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