ポケット
コンビニで抱えきれないほどのビールを買う24時。
「家主をパシリに使うなんて…」と独り言つ。半狂乱と化した若者たちにじゃんけんで負けただけで、0度を切る寒空の下、徒歩10分の距離を一人空しく歩く。4人で宅呑みするのに、焼酎瓶を3本、酎ハイを5本とあけ、紹興酒まで飲み干し手土産のワイン2本すらもすっからかん。追加でビールを20本…一人暮らしの家にこの数が入る冷蔵庫があるわけもなく、もし残ったら外で冷やすかな、なんてぼんやりと考える帰路。寒さで酒も随分抜けてきた。
「すまんすまん」
家まであと少しの距離で、見覚えのある顔。
「家で待っててよかったのに」
「まぁ、半分ぐらい俺のせいだし…」
尋常じゃない量の酒を8割食らったのは、荷物を肩代わりしてくれたこの男。井上は、あっけらかんとしているようで、気の利く…というか、周りをよく見ているので女子から人気だ。色白でシュッとしているのに着飾らない、というか少しダサい?そんなところも良いのだろうが、何より小学生から大学に入るまで留学していた経験が、スペック重視でマウントを取る女子大生たちにはよく見えるのだろう。
「いや~それにしてもよく飲むな。まだ全然いけんの?」
「ホームパーティーなんてこの比じゃなかったよ。ありゃこの国で言ういじめだね。」
「俺は今まさにそのいじめを食らってるんだが」
「? そんな呑んでないだろ。呑ませてもないし。」
「真冬に独りぼっちで歩くのがいじめってーの」
「そんな拗ねるなよ。呑みなおそうぜ。」
アホみたいな量の酒を持ち寄ったのも、買い足しを命じたのもこいつではない。その上こいつは自分で買いに行くとまで言っていたが、酔っぱらったアホ女がじゃんけん大会を申し出たので仕方なく行ったのだ。八つ当たりする相手が違うよな、なんて少し後悔しつつ古びたアパートの1室をいつも通り開けると
「寝てやがる…」
「ありゃ~。もう起きないねこりゃ。二人で呑む?」
「いや、俺らも寝よう。先風呂入れよ。」
「え、いいよ。終電で帰るよ。」
「帰るったって…もう動いてないっしょ。この辺タクシーなんか来ないし。遠慮せず泊まれよ。」
「何から何まで悪いな。そんじゃ…」
お風呂頂戴します、そう言っていそいそと風呂場に向かった。着替えでも用意しておくか。というか、寒い中帰って来たんだから俺が先に入ってもよかったな。いやでも今更…アホ女も、デブ男もよく寝ている。寝息一つ立てず…死んでないかこいつら?鼻をつまむと、デカイ屁をお見舞いされた。どういう原理なんだ。
つけっぱなしのつまらん深夜番組を眺めていると、井上が風呂から出てきた。
「早かったな。これ、着て先寝ていーよ。」
「林が先は入った方が良かったよな…冷えてないか?」
すまんな、と言いスウェットを受け取る手が、止まった。
「どした?」
「…借りる身で悪いんだが、あの…何もついてない服、ほかに無いか?」
「何もついてない…?柄なんて誰も見ねえだろ。あーボタンとか?」
まぁボタン付いてると寝にくいしな。意外と神経質だな。でもなんも付いてない…
「紐か?ゴムのスウェットあるか探すよ」
「あーいや、そうじゃなくて…」
「ハッキリ言ってくれよ。なぞなぞか?」
「……。」
どんどん眉間にしわを寄せていく。眠りに命かけてるんだな…。あと付いてるもの…
「ポッケか?」
びくり。
少しだけ震えた、井上が「うん…」と小さな声で言った。
「無ければパンツで寝るから気にしないで!」
「そうはいかないだろ…真冬におんぼろアパートで…凍えて寝るどころじゃなくなるぞ…」
温度の方がよっぽど睡眠の妨げになるんじゃないか?そんな風に思いながら
「ポケットひっくり返すか?出しときゃ気にならねーんじゃねーの?」
「やめろ!!!!!!!!!!」
スウェットを持っていた手を全力で叩かれた。鬼の形相で怒鳴られ、初めて見る姿に動揺した。何が気に障ったのか分からず「ご、ごめん」と返し両手を上に、降伏のポーズを取った。酒が入って情緒不安定になっているのか?温和で他人のやることに感情的になるような奴じゃない、そう思っていたけど人は見た目によらないな…。
叩いた手が震えている。
「本当に…ごめん…違うんだ…」
「いや、俺の方こそ…。でもポッケがないズボン持ってないわ…悪いけど布団多めにかけて下着で寝てもらってもいいか…?」
「うん…本当にごめん…ごめんな…」
それ以上謝られても…
「俺風呂入るからさ、自由に寛いでてよ。寝ちゃっていいし。」
逃げるように浴場に行った。ポッケという言葉を出す度、少し震える井上を見て、色んな恐怖症?があるんだなぁとドライヤーの風にあたっていた時、突然叫び声が聞こえた。
「え!?どした!?」
「あ…!!!よかった…!!ごめん、そのズボン…」
ポケットの部分から引き裂かれたような俺のスウェット。どんな恨み辛みが?でも、さっきのは引き裂いた雄たけびっていうより…
「え、なんか悲鳴が聞こえた気がするんだけど…大丈夫…?」
「あ、いや、うん、えっと、あの…」
「落ち着けって。安物だしさ。これ、井上がやったの?」
明らかに震えている手、へたり込んだ姿を見て、悲鳴を上げながらズボンを引き裂いたようには見えなかった。こんな細腕で突然布をビリビリにできるとも思えなかった。となると…。強盗が家に忍び込んで、実は潜んでいる?言えない事情があるなら、こんなに怯えた表情を引き出すなら、それが最も納得がいく…警察を呼ぼうにも携帯電話は部屋の方…でもなんでズボンを引き裂く必要があるんだ?
混乱していると井上が「もう、大丈夫…だと思う…ごめんね…」と言い、近づいてきた。
「えーどしたの、酔いすぎ?」
「…」
「言いたくないこと?」
「言ったら、来ちゃいそうで…でも言わなきゃ、繰り返しそうで…」
オカルトかよ。言い訳もっとあっただろ。まぁ全然いいけど…相当酒回ってたんだな。悪いことしたわ。
「おー、幽霊?が来た?」
「幽霊とかじゃないんだと思うんだけど…いや、わからないんだよ…ずっと…忘れたくて、怖くて…寝れない日とかバカみたいに酒吞んで寝てさ…。」
あー結構入り込んでるんだな…。合わせた方がいいのかな。
しんとした8畳のワンルームの中、ほんの少し違和感があった。さっきまで雑魚寝していた2人が、同じ方向に脚を向けて寝ている。片足だけ。狭いしそういう寝相もあるだろうな、でも…不思議な光景だな。
「あのさ」
「ん?」
「…あんま言いたくないんだけど、でも聞いてほしくて…」
これ、元カノにも言われたな。
「うん。」
「なんか、聞いてくれたら…凄く嬉しいんだけど…でも…」
「でも何?」
正直もう寝たい。深夜も2時前だろうか。
「だれか死ぬかもしれない。」
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不穏なことを言う井上。こいつ、相当オカルトにハマってるんだな…だからって雰囲気作りで友人のズボン引き裂くなよ。どうやったんだあれ。ハサミ入れたら結構綺麗に裂けるのか?
さっきの話を聞くに、アルコール中毒で妄想とか…精神疾患の類だろうか。
「俺、地元の小学校が制服でさ。それ着るのが嫌で、留学したんだよね。」
物心ついた時から、なんとなくポケットの付いた服が嫌いだったという井上。着ると必ず、中に何か入っている。それに気づくのは、ふとした時。最初はセミの抜け殻や、虫の死骸だったらしい。誰かに入れられてる、そんな意識はあったが、いじめとかではない。
「だんだんエスカレートしていってさ、虫とかじゃなくて、もっと生温かいものが入るようになって…」
小さなネズミが息も絶え絶えの状態で入っていたり、ポケットに手を突っ込むと、血のようなものが溢れ出したり…。
「子供だったけど、さすがにこれが良くないものだってわかるっていうか…気味悪くなってきてさ。どうしようかな、って思って、これをひっくり返してれば何も入れられないぞって。」
名案が浮かんだと思って、早速外に出しっぱなし。親もおかしなもの家に運んでこなくて助かったと思ったのか、なんも言わなかったんだよね。
そしたら、次の日ぐらいから、なんか引っ張られてるような…中から出したそれを誰かに掴まれてるような感じ?とにかく、日に日にそれも引っ張る力が強いというか、重くなっていって…。
何も見えないんだけど、引っ張られてる方を見ると視線が合う感じがしてさ。なんかしかも、笑いかけてきてる…だんだんそれに近づいているのか、こっちが世界と離れてるのか分からなくなっちゃって…子供ながらちょっとおかしくなっちゃったんだよね。子供の服ってだいたい…付いてるからさ…園服もだけど、ズボンも…。どうにも逃げられなくて、でも脱いだら大人に怒られるし。怖いのに誰も信じてくれないし。拒絶されている感じがして、その分どんどん連れていかれている気がして…。
もう、動けなくなっちゃって…引きずるように毎日生きてたから…どんどん増えているような気がして…親も心霊とか信じてないんだけど、さすがにまずいぞってなって…最初は精神科に行って、気休め程度にお祓いにも行ったんだ。
「で、死んじゃったんだ。」
「え、誰が。」
「祓ってくれた人」
随分また急展開だな…。まぁでも作り話で親族死んだ設定にはできないしな。
「でも、凄く軽くなった?というか…死んじゃった人には悪いんだけど、あー助かった!って思ったんだよね」
「そこで祓われた?なら良かったじゃん。」
「祓われたんじゃなくて、そこにいた奴らを引き取らせただけだったみたいなんだ。」
「?」
結局、また日に日に重みは増していったんだ。逆に閉まってみたらいいんじゃ?と思って閉まったら、今度は人の爪とか髪とか…あと、臍の緒なのかな…なんかもう、ほんとずっと気持ち悪いものばかりで…すぐにまた出すようになってさ…。
重みは増す、しかも段々、それの内側…脇腹とか、脚の付け根とかに手垢みたいなのが付くようになって…。いよいよ連れてかれるんだなって思った。
でも、外傷みたいなのはなくて…。家族もみんな何ともなくて…。周りの大人全員に、妄想癖があって少し虐められてる子って思われてたんだと思う。だから、新しい場所で頑張れるように留学の意もすんなり受け入れてくれたんじゃないかな…俺子供の時日本の小学校はみんな制服あると思ってたから、あと神社とかもなんか怖くて、日本から出なきゃってそればっかりだったんだよね。
「? ごめん、結局どうやって解決したの?」
「なんか突然。留学したあたりから。」
「えー、つまり、マジで日本にいたのが悪かったってこと?」
「……どうなんだろう。でも…」
包まっていた毛布から身を出す井上の脇腹や脚、胸元にまで、さっきまでなかった真っ赤な人の手の痕。すごいな、ここまで仕込んでたのか。
「なんかさ、引っ越した後に隣に住んでた女の子が死んじゃったんだ。」
「こりゃまた急展開だな」
「その子、儀式?みたいなことしてたらしくて。ネズミ殺したり、自分の爪とか髪の毛とか、集めてさ。」
「サイコパス?怖えな」
「でも、そんなの用意できるような年ごろじゃなかったらしいんだ。まだ3歳ぐらい」
「その儀式って、大人がやってたのを子供がやってたように見せてたんじゃないの?」
「親もみんな、儀式の材料になったんだって」
「何の儀式なんだよ。その子は何で死んだの?」
「わかんないんだけど、中に色んなものが詰まってたらしい」
「ポケットの?」
「…うん」
は~。壮大な妄想もついに終盤かな。
「ねえ、林、身体…」
「え」
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サイレンの音で目が覚めた。
酔いすぎて寝ていたのか?それすらわからない。
一緒に呑んでた2人を見る。慌てふためき、俺に泣きながら声をかけている。2人とも、何故か脚が…脚か?周りに何かがまとわりついてよく見えない。
2人…以外、誰かと呑んでいたような気がする。何も思い出せない。
自分の姿すらよく見えない。けど、何十人もいるような…視線ばかりが突き刺している。
辛うじて首を動かすと、俺の脚にも何かいる。なんだこれ…?引っ張られてるような…でもなんだか温かいような…。
履いた覚えのない、引き裂かれたスウェットを身に纏っていた。
昔元彼と「制限時間内にホラー小説を書いてみよう!」という遊びをやっていて残った産物。
「これホラーじゃなくてBLじゃん」と言われて普通にちょっとムカついたけど読み返すと違う意味で寒いな。掘り起こしたのでここで供養。
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