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オンライン面接と「圧」

 昨日、今日は大学院修士課程の入試だった。言語科目、専門科目、面接、すべてがオンラインで実施された。
 対面面接とオンライン面接とでは何が違うのか。それは、端的に言って、面接官の「圧」の有無である。オンライン面接には「圧」がほとんどない。いわゆる「圧迫面接」が云々という話ではなく、人間はただ現在するだけである種の「圧」を発していて(「オーラ」とか「独特の雰囲気」などとパラフレーズしてもよい)、それが力のある人物であればあるほど、眼前の人間は勝手にその「圧」を強めに感じ取ってしまう。それによって、受験者は、思考が停止してしまったり、緘黙してしまったりする。
 ところが、オンライン面接では、その「圧」が希釈される。人間が不可避的に纏っているこうした「圧」に耐えつつ、パニックに陥らず、自身の知識と思考を当意即妙に理性的なことばで語れるかどうかを試すのが面接という場だと思うのだが、オンライン面接ではそれが十全に機能しない。「圧」耐性は、学会発表や討論、講演、授業などでも要請される力能で、研究者には不可欠な要素だが、それを正確に査定できないのはオンライン面接の決定的な弱点だろう。ポストコロナの世界でも、学会、講演、授業のすべてがオンラインのままなら別にいいのだが、完全にはそうならないだろうと予想する。
  オンライン授業が教師にとっても学生にとっても楽なのは、教室まで行かなくていいという点だけでなく、互いの「圧」を感じなくて済むという点が大きい。吃音の人も独り言だとどもりにくいという話があるが、これも他者の「圧」がないことと関わっているのだろうと思う。
 ちなみに、私自身が修士課程の入試面接を受けたときは、8名の著名な先生方がずらりと並んで端座していた。それだけで壮観であり、面接室に入った瞬間、曰く言い難い至強なる「圧」に圧倒された記憶がある。大仰な言い方をすれば、かかる「圧」に臆さない図太さと生意気さを持ち合わせていたから、今の自分があると思っている。

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