2022年を迎えて
明けましておめでとうございます。
昨年は我ながらよく働いたと思う。教務委員長や学会の事務局長、編集委員長など、慣れない仕事をこなしながら、単著を出し、論文や雑文も何本か書けた。頻繁な出張に加え、もろもろの雑務がとにかく多かった。トークイベントもいくつか企画し、またゲストとしても何度か登壇したりした。もちろん、日々の授業や論文指導をゆるがせにすることなく。そんな中で、新たな嬉しい出会いもあった。一方で、大人になって初めての入院を経験し、終始体調には恵まれなかった。あまり表には見せないようにしていたが、実はけっこうたいへんだった。
時間には〈直線的時間〉と〈円環的時間〉があると言われるが、やり残したことや年明けのイベントがいくつもあって、円環的時間よりも直線的時間を生きているという感覚のほうが遥かに強い。シンボルスカの恋愛詩にあるように「始まりはすべて続きにすぎない」とすれば、終わりもまたすべて何かへと続いていくものであって、特に年の瀬にはなんだかそんな思いが例年にもまして執拗に去来していた。
さて、年が明けて新年。縁もゆかりもなかった九州大学に着任して早11年目。終わりなき日常が続いている。今年も昨年の自分より少しでも成長、跳躍していけるよう、そのときそのときにしたいこと、しなければならないことを丁寧にやっていきたいと思う。能動的というよりは、中動態的に。損得より欲望に忠実に。流れに身を委ねつつ、偶発的な出会いを大切に。これといった明確な目標はない。目標を立ててしまうと、それに繋縛されてしまうからだ。目標は一方的にやってくる様々なチャンスの羈絆になりうるし、何よりも、事後的に回顧する際、その目標の達成如何がその年の印象全体を色塗りしてしまう。大事なことは日々のもっと小さな営みの中に在る。もし目標を立てるとしても、それはオープンエンドで「ゆるい」ものにしておかねばならない。言語的に矛盾しているように見えるが、目標は手段に過ぎない。
初詣には行けず、そのかわりというわけではないが、福岡アジア美術館の「ヒンドゥーの神々の物語」展でサラスヴァティーに学問成就を祈った。
コロナが終息に近づき、移動の自由が妨げられなくなる日が来ますように。会いたい人に会え、行きたいところに行けるようになりますように。みなさまの多幸多福をお祈りします。
写真は昨年と変わらない私の研究室。
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