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相手の思いを受け取るために


自閉症に関するエキスパートで、ICTでコミュニケーション上の障がいをサポートする研究をされている香川大学の坂井先生

その坂井先生のFacebookで、全国どこからでも、どなたでも、というご案内でしたので、行政の立場にいる者としてzoomセミナーに参加しました。夏休みの間、インターンとして私の議員活動に同行する香川大学生達も一緒(WEB上で)

講師の中邑先生は、香川大学助教授を経て現在東京大学先端科学技術センターの教授との事。そもそも香川とご縁があったんですね。

中邑先生によると

障害のある子ども達は

日頃から選択肢が与えられていない

本人が明確に意思を表現できないことから、周囲が先回りして行動を選択してしまう結果

1.依存的になる

2.行動が自動化し、何も考えなくなる

3.実は周囲もその方が楽だと思っている

4.いろいろできる事はあっても1人で物事を判断して生活していく事はできない

だから、選択肢を上手に設定しましょう、とのことでした。

でもこれ、障害児だけの話でしょうか?

いわゆる健常児でも、家庭の中だけでなく学校や学級の中でも、あるいは職場でも起こっている現象では無いでしょうか?

親子間や夫婦間、交際している同士、部活動内、上司と部下との関係など

コミュニケーションの様々な場で、弱い立場の側の選択の自由がせばめられ、自律・自立の機会を奪い取られていて、その結果、自尊感情を傷つけられたり

逆に、いつも相手の優位に立とうとする行為が習慣化され、相手が自分の言動に従うことで自分自身の承認欲求を満足させようとする、いびつな人間関係が生まれていないでしょうか。

また中邑先生は続けます。

「いつもオレンジジュースを出している時、それは子ども達が好きで飲んでいるのでしょうか?それとも出されたから飲んでいる、という事なのでしょうか?」

安定の中ではコミュニケーションは生じない

同じジュースだけしか飲ませない、つまり、もっと美味しく感じるもの、あるいは逆に苦手だと感じるものを体験させることなく、決まったルーティーンを繰り返すことは、コミュニケーション能力の発達を妨げる事にもなってしまいます。

これも障害児の対応に限ったことではなく、一般的に家庭内で、学級内で、職場の中で行われていることではないでしょうか?

その場がスムーズに進むことが第一とされて、不規則発言や違和感を避け、効率が最優先されるような雰囲気の存在

例えばこんな話があります。

今年はコロナ禍で短くなった夏休み。ある学校では「何でも良いから、ひとつテーマを決めて、それについて調べてまとめる」という宿題が出されたそうです。いつもの夏休みの自由研究とは違って、身の回りの気になった事、何でも良い、という事で子ども達は喜んで「これもいいの?」「こんなのでもいい?」と先生に尋ねては認められて喜んでいたそうです。

ただ「じゃ、ぼくはなぜ宿題があるのか調べます」という声に

先生「それはいけません」

ネットコラムのエピソードなので裏付けはとれて無いのですが、ありそうな話だと思いました。

必ずしも答えのないものに対して、ああでもない、こうでもない、お互いの意思を伝え合うのが、そもそもコミュニケーションだと思いますが

家庭でも学校でも職場でも、リーダーの一方的なコミュニケーションになる事が多く、またその方が楽だと感じてしまうところがあるのかな、と思いました。

でも、それではコミュニケーション能力は育たないし、新しいアイデアも生まれません。

障害児の家庭や教員、支援者のためのセミナー、ということでしたが、広く一般化できる様々な視点を教わることができました。

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