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いのちの表現 その奇跡のあらわれ

わたしがnoteにはじめて書いた記事は
6/13日「命名の神秘」である。

わたしの記事のなかで一番ビューが多い記事でもある。

最初にその記事を書いた時から
あと2日で一か月になる。

不思議なことに承に関するきもちが
自分でも驚くほど変化している。

記事に書いたエピソードは身近な人には
すべて、話したことがあるものだ。

やはり、「書く」という行為には、
何か魔訶不思議な力が
働くのかもしれない。

このnoteという「場」での発信にも意味があるとおもう。
ここでしか、キャッチできないインスピレーションがあるのだ。

承の存在は、
承のいのちの表現は
常に、わたしの予想や予期、考えの枠を軽々と超える

以前も今も。

同じ読みの名前で連続性、一貫性をもたせようとすることすら
小手先の小細工なのだ。

自然の前に、自分ができることなどほんとうに何もないのだ。

動物は、承は自然だ。
自然のあらわれは予測など出来ないのだ。
そして、自然な存在はわたしのなかからも、
自然を引き出してくれる。
本質を引き出してくれるのを感じる。

承の存在から、立ち上ってくる何かは
説明などできないが
説明などする必要はないのだ。

なぜ、生まれ変わりを証明することにこだわったのか?
罪悪感から、必死で「上書き」をしようとしていたのだ、
と今はわかる。

直観で自分が腑に落ちていたら、
それでよく、
それだけでよく、
それがすべてなのだ。

発信したものが、
不特定多数の方々に読まれるということも
書き手の意識になんらかの影響を及ぼしているのかもしれない。

書いて発信することで、意識が「自ずと」変化するのを実感している。。
それはこれまで書いた、すべての記事に対していえるのだ。

(ビューは読まれた数ではないが、)
今現在の全体ビューは5,049になった。

承の記事が、一番上に来ているのが、本当に嬉しい 笑

お読みいただきまして、ありがとうございます。
スキをつけてくださった方、ありがとうございます。

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