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受け取るものは人それぞれ

私はこのnoteの他に、ブログを書いている。
ブログにはコメント欄をつけることもできるが、あえてつけていない。
律儀な性格なので、もらったコメントにはきちんと返事をしなきゃと思ってしまう。
同じようなコメントがきても、同じような返事を返しては失礼だと思ってしまう。
なのでコメント欄の管理が大変なのだ。
だからあえてコメント欄はつけていない。

コメント欄はつけていないが、インターネットに自分の意見を発表している以上、言いっ放しもズルいような気がしている。
だから私はブログでメールアドレスを公開している。

コメント欄があれば気楽にコメントできるのにと言われるが、気楽にコメントして欲しくないからこそつけていない。
コメントと違い、メールを送るというのはハードルが高いようだ。
たまにメールをもらうが、どうしても伝えたいことがある人だけがくれる。
私も真剣に向き合う。

メールをくれる人というのは、自分の中にある感情を私のブログによって大きく動かされた時に、メールをしようと思ってくれるらしい。
その人の人生における大きなターニングポイントになった単語に反応して、メールをくれているように感じる。

私がいくら熱量を持ってブログを書いたって、読んでくれている人の中にすでにあるものにしか、響かないということなのかもしれない。
そして、同じ文章を読んだって、人によって感じ方が違う。
人によってメールを送りたくなる記事は違う。
結局人は読みたいように他人の文章を読むので、私はもっと気楽でいていいのかもしれない。

ただ、ずっと読んでくれていた人が、何かのきっかけでメールをくれることがある。
メールを送るという行為のハードルが高い分、大きなきかっけがない限り、黙って読んでくれている人がいるのだ。
わざわざ声をあげない人の存在も、ちゃんと意識しておきたい。