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私たちはずっと舞台の上だって言ったじゃん!!なのになんでそんなこと言うの!?

少女☆歌劇レヴュースタァライトという作品に、かれこれもう4年近く脳を揺さぶられ続けている。

スタァライトはざっくり言えば演劇青春モノだ。
だが他の演劇青春モノとは絶対に違う。スタァライトは異質だ。哲学、宗教、光と影、生きることと死ぬこと。それら全てを舞台の上でぶち撒け全力タイマンで殺し合いながら、でもなんだかんだで結局は青春している。なんなんだ。

スタァライトには舞台やアプリゲームなどさまざまなメディアが存在するが、私が特に好きなのはアニメTVシリーズと劇場版である。特に最新劇場版の「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」はもう、も、も、も〜〜〜〜本ッ当にすごい、物凄いのだ。
私がスタァライトを好きだから良く思える、というよりも一本の映画としての完成度が異次元なのだ。意味がわからんことを延々やって、その画面や音楽や演出の物凄さにわけもわからないまま泣いて、そして鑑賞後には謎の快感に包まれている。劇スでは意味がわからない鑑賞体験ができる。

人に好きな映画は何かと問われたときはいつも「ホームアローンですかね」「天使にラブソングをですかね」の2択でなんとかやりきるのだが、本当は劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトなのだ。一番好きなアニメも、もしかしたら少女☆歌劇レヴュースタァライトかも。それか響け!ユーフォニアム。芸事に狂ったように夢中になる人間の生き様が好きなのかもしれない。

そんな劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトだが、なんと今月末からイオンシネマでリバイバル上映が始まる。

や、やった〜〜😭

私にとって映画館で劇スを観れるのは映画が公開された2021年以来のことで、今から興奮が止まらない。ワクワクしている。現在の私の人生は劇スリバイバル上映に焦点を合わせて進んでいる。

なぜってやはりスタァライトの物語は舞台の物語、劇場で見なければ始まらないのだ。家のちっちゃいちっちゃいテレビとしょっぼいしょっぼいスピーカーじゃお話にならない。
映画館のデカいスクリーンで!デカいスピーカーで!圧倒されながら!観ないと始まらない。最高の映画体験を叶える凄まじい作品なのだ。私はたまたま劇ス公開当時に映画館で初めて劇スを見る羽目になったのだが、本当に幸運だったなと思う。劇ス初見がアマプラだったらこうはならなかった。絶対劇ス初見は映画館がいい。お願いだから。頼むから。マジで!!

と、劇場版の話をめちゃくちゃしてしまったが実は今日の本題は全く違う。劇場版が好きすぎて劇場版の話をせずにはいられなかった。これ読んだ人間全員イオンシネマ行きなね。

今日どうしてもしたいのは、8月8日に発売されるコンシューマーゲーム「少女☆歌劇レヴュースタァライト 舞台奏像劇 遥かなるエルドラド」

主題歌「Star Darling」

た、た、た、た、

たすけて〜〜〜〜!!!!

仕事からの帰り道にこれを聞いて、聞いている間じゅう立ち止まった全ての信号待ちで青信号になってもなんだか歩けなくなってしまった。な、なに、なんなんですか?これは、一体、これ何?これ、これって何!?!?なんなのこの曲!!
とにかくなんでそんなこと言うの!?!?!?の連続なのである……!


曲の前に「エルドラド」、そしてスタァライトという作品の物語について少し説明させて欲しい。

スタァライトのキャラクターたちが通う聖翔音楽学園には文化祭のようなイベントで各学年ごとに一丸となって演劇を上演する。毎年違うものを演じるのではなく、一年次から三年次まで同じ戯曲を題材に、演出や脚本を変えて演じる。
主人公・愛城華恋たち99期生に与えられた戯曲は「スタァライト」。これを3年間演じる。彼女たちの一年はまさに「スタァライト」のための一年であり、彼女たちの高校生活はスタァライトのための高校生活なのだ。

文化祭でスタァライトを上演するのは三学期。ではそれまで彼女たちは何を演じるのか。
高校3年生の初夏、彼女たちに与えられた演題が「エルドラド」なのである。

ついてきてますか?ここからさらに難しくなります。

彼女たちは舞台少女。舞台の上で生きることに人生の意義を見出し、普通の女の子としての喜びを捨て、舞台のキラめきをエネルギーとして生きる。そんな彼女たちが高2の時に命懸けで挑んだのが「オーディション」である。

ただの演劇のオーディションではない。
このオーディションはレヴュー(語りや演技よりも歌と踊りを中心とした視覚的なパフォーマンス)を以て友人でもあるライバルの首を狩り、のしあがり、トップスターの座を手に入れるための舞台なのだ。
オーディションを取り仕切るのは人語を喋るキリン(CV津田健二郎)。マジで意味がわからない。でもそういうもんなんです、スタァライトって。

トップスターとなった者は、自分が一番望む「運命の舞台」を上演することができる。一番美しかった舞台を切り取って再演を重ねることも、自分だけを舞台の世界に切り取って一生演じ続けることもできる。
言ってしまえば、なんでもできる。彼女たち舞台少女が望むものは全て舞台の上にあるのだから、「運命の舞台」の上には全てを作り上げることができるのだ。

しかし運命の舞台の上演にはエネルギーが必要だ。エネルギーとは舞台少女たちの舞台に対する「キラめき」。舞台に立つ高揚感や憧れを原動力として運命の舞台は上演される。
オーディションの失格者は、問答無用でこの「キラめき」を奪われるのだ。己がキラめきを奪われないためにも、舞台少女たちは戦う。

そんな「オーディション」を経て、彼女たちはライバルたちとガチンコバチバチにやりあって、なんだかんだうまいことおさまりました。

これが、TVシリーズ。

それに繋がったストーリーである劇場版は、主人公らメインキャラクターがそれぞれ進路希望調査を提出するシーン、そして「エルドラド」の練習シーンから始まる。

エルドラドは旅の物語だ。詳細が語られていないのでよく分からない部分も多いが、「行かねばならないんだ、あの大海原へ!」「友よ、君はなぜ行ってしまうのだ」という台詞が進路に揺れ動く彼女たちの心情と重なるシーンは印象深い。

ほんでこれまでエルドラドが出てきたのは、その一瞬だけです。これ以外、オタクは何も知りません。

その後、皆各々平和にそれぞれの進路を見据える中で「いやいやなんか終わった感じ出してるけどまだ言ってない本音あるよね?腹ン中全部掻っ捌いて地獄の亡者共に汚ねぇ臓腑を開陳しなさいよ」というタイマンが始まるのが劇場版。地獄に落ちろ!はギリ言ってないけど精神的には言ってる。正座するルームメイトに「これで自害しろよ」と言わんばかりにドス乗っかった三宝を足で突きつける女がいるし。マジで何なんだよ。

時間軸も何もかも全部無視して縦横無尽にハデなレヴューで本音全部ぶつけ合おうぜ!という魂のぶつかり合いが詰まったのが劇場版。ぶつけ合うので、当然人が2人必要になるし2人で本音をぶつかりあって首を狩合う。女2人の激情がぶつかり合い壮大なスペクタクルを生み出す物語なのだ。
私はこういう話が大好きなので、めちゃくちゃスタァライトが好きです。

劇場版は嬉しいことにハッピーエンドで終わる。めちゃくちゃな大喧嘩をしてめちゃくちゃな闘い方をしてもなんとか折り合いをつけて、彼女たちはこれまでの一つ一つにケリをつけていく。全てが集結し、ハッピーエンド。ああ良かった!清々しい気持ち!みんなの物語がまた始まるんだ!!皆気持ちを新たに次の舞台へと進むことができ

え?

な、何よこの曲…………

何も解決してないじゃない…………!!!!


ようやく本題です。
「エルドラド」は公式Webサイトのキャラクター詳細を見る限り劇場版を経た後の物語らしいが、劇場版の着地は一体なんだったんですか?と思わざるを得ないことしか歌われていないのだ。な、なんで、なんでぇ!?!?

決して落とさぬよう
夢を縫い付けていたんだね
もう あなたに必要ないよね
最後の一刺しで切り離してあげるよ

中村彼方作詞『Star Darling』より

「もうあなたに必要ないよね」!?
「最後の一刺しで切り離してあげるよ」!?!?

そこにいる人間ってみんなみんな全員夢を叶えるための舞台に対するキラめきを絶対に手放さないために戦ってたんじゃないんですか!?!?

約束しなくちゃ果たされない絆なんてさ
最初からなかったってことなんでしょう

中村彼方作詞『Star Darling』より

約束しなくちゃ果たされない絆なんて最初からなかった!?!?!?

あんたらみんな約束をしまくってしまくってその上に重なった絆に振り回されてオーディションに臨むことになったんでしょうが!!!!

ねえ 大事なことは舞台を降りて言ってよ
青い蛍光灯が嘘を(嘘を)ことごとく暴いて

中村彼方作詞『Star Darling』より

「大事なことは舞台を降りて言ってよ」!?!?!?!?!?!?!?

二度とそんな残酷なこと言うな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


もうへとへとだ。鯉のように口をパクパクと喘ぎながら聞いている。聞くだけで周りの酸素が減っていく。富士山登頂に向けた低酸素トレーニングにうってつけかもしれない。私は当分富士山を登る予定なんてないので普通にしんどい。

でも、確かに舞台の鮮やかなホリゾントライトや眩しいスポットライトはその光で嘘もごまかせてしまう。

舞台に立ったことがある人なら分かると思うが、ステージのライトは多方向から向けられるので影がいくつもできるのである。一つ長い影を落とすなんてことは、そういった「演出」を狙わないとできない。
演出として際立たせようとした時点でそれは演技となる。自分のありのまま、たった一つの像を舞台に表すことなんて不可能である。

舞台を降りて、熱い照明ではなく無機質な蛍光灯の下でしか語られない心情だってきっとあるはずだ。
しかし彼女たちはそれができない。自分の想いを一番完璧に表すことができるのは舞台の上なのだと、誰よりも自分が理解しているからだ。

それを、「舞台を降りて言ってよ」と……!?
ついこの前、本音のぶつかり合いをレヴューで演じたばかりだと言うのに……!?

レヴューの舞台じゃないと本音のホの字も言えねぇようなお前らだから舞台に立っているんだろうが!!!!!!!!!!!!!!

登れば嘘が本当に 降りた途端幻に
目の前を塗り替える
そんな場所はどこでしょう

中村彼方作詞『Star Darling』より

まあ、確かにオーディションも𝒘𝒊(𝒍)𝒅-𝒔𝒄𝒓𝒆𝒆𝒏 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲(劇場版で繰り広げられたレヴューの総称)も全て幻のようなものだからな。本音をいくらレヴューの中でぶつけたとてそれは幻でしかない。舞台の強いライトが見せたまやかしでしかない。しかしそのレヴューの中で歌った言葉は全て本当なんだよ。それなのに……。

そもそもこの「大事なことは舞台を降りて言ってよ」と歌っている露崎まひるさんが作中屈指の激ヤバ女であるから更に深刻さが増しているというのもあるけども。

露崎まひるさんが劇場版で繰り広げたレヴューは異質だった。「本音」というか、むしろ「狂気」だった。「劇場版で描かれるこれらはこれまでの全てに本音で決着をつけるレヴューなんだ」と気づいたのはまひるのレヴューを観た後のことだった。

TVシリーズでも劇場版でも、まひるはレヴューで「本音見せてよ!!」と言わんばかりに相手にも自白を強いる。ほとんどのレヴューが自分の激情を吐露する中で、まひるはハナから肉弾戦を望んでいるのである。まひるにとって本音のぶつかり合いは舞台よりも序列が高いものですらあるかもしれない、と思うほとだ。

そんなまひるが、「大事なことは舞台を降りて言ってよ」……ええ……ぶ、舞台を……降りる……という選択が彼女たちにあったなんて……

まひるは場外乱闘どんとこい!かもしれないが、まひるが対話を望む人間は舞台から降りられないかもしれない。その時一体どうするんだ、まひる。お前だけリング外に出ても喧嘩はできないんだぞ。

いやこれもしかしたら劇スの話してるのかもしれん。そう思ったら少し辻褄が合う。相手を蛍光灯の下に引き摺り出してあたしの本音みさらせや〜!!をやる【演技】をすれば、それすらレヴューになってしまうのではないか。その錯覚を操ってこその舞台人なのではないか。
そもそも彼女たちにとっての舞台の定義とは「人生」であると劇場版でひとつ答えが出された(と、私は思っている)のに、その広い舞台から「降りる」というのは不可能なのではないか。舞台には相対性理論が通用する。言語論的展開も通用する。それが「舞台」であると認識すれば、彼女たちが歩む先はすべからく舞台なのである。人生が「舞台」であると認識し、舞台と呼ぶのであれば「舞台を降りる」時は2択しかない。舞台少女としての魂の死か、肉体的な死か。前者でも後者でも恐ろしい。しかし露崎まひるは狂気的な女なので、「お前に言わなきゃならねーことがあるから一旦ここまで降りてこいや」と対戦相手の神楽ひかりを煽ることができる。どう見てもリングではないそこは、限りなく奈落に近い舞台なのだ。「舞台を降りて言ってよ」とはつまり「舞台から降りろ」と言っているのではなく、「舞台から降りるくらいの心意気で私とタイマンしろや」ってことなのでは!?そう思うと納得がいく……!!
でも劇場版でまひるは舞台を降りたまひるに「ちゃんと演技してよ」と憤っていた。どういうことだ。でもこのレヴューが主軸とした歌詞になっているのは間違いないはずである。

あ〜〜〜〜…………!!!!

楽しすぎる…………!!!!

スタァライトの色々からさまざまな方向に考えの枝を伸ばし言葉をこねくり回しているのが一番楽しい。これまで私が学んだ文化や美学や一般的に教養と呼ばれるものを総動員して一つの作品に向き合っていると、人生の答え合わせをしているような気持ちになる。「再生讃美曲」がボヘミアンラプソディのオマージュである=皆殺しのレヴューに繋がる の図式が脳内に成立した瞬間なんて、いっそ逆立ちしようかと思ったほどだ。嬉しすぎて。自分の人生の伏線回収を、このスタァライトという作品でしすぎている。

スタァライト、本当に大好きすぎる作品です。もっかい言うけど、劇場版が5/31〜イオンシネマでリバイバル上映されます!!!!

絶対見て!!!!!!!!!!!!

TVシリーズ観てなくても、まあ大丈夫ではないんだけど、大丈夫。それよりも「劇場版少女⭐︎歌劇レヴュースタァライトの初見を映画館で観た」という経験がもたらす財産の方がずっとデカいから。

正直、万人受けする作品ではない。ただ「めっちゃめちゃめちゃ好きでレヴュースタァライトの虜になる」か「マジで意味がわかんなくて何これキッショ!になる」の2択だと思います。「まあまあら面白かったかな。割と普通」という感想が絶対に出てこない映画作品であるのは間違いない。

頼むから見てほしい。私の人生に大きな影響を与えた作品の一つです。頼む!!

ほんでゲームも楽しみ!!早くやりたい!!
夢を「もう必要ないよね」と歌う曲が主題歌なんて、どんなエグバチタイマンが待ってるんだよ!もう勘弁しておくれやす〜

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