【易競馬#16】土用と丑の日と中京記念
東京は下町。
隅田川のほとりにある、カウンター数席の小さな居酒屋。
絶品の酒と肴に吸い寄せられるよう、今日も今日とて常連が集う。
「あー鰻食べたいなー鰻ーもうしばらく食べてないなー鰻ー」
7月23日は土用の丑の日。CMやコンビニ、スーパーの幟に煽られたポロシャツが、店主の健に聞こえるように独りごちていた。
「。。。ないよ」
健は言葉少なにお通しの小鉢を差し出す。
「んもー知ってますよーでも、もしかしたら。。と思ってですね、言ってみたのです」
「それ、鰻ざくの鰻ぬきだぞ。『う』のつくものなんだから文句言うな」
ポロシャツは恨めしそうに、小鉢のきゅうりの三杯酢をぽりぽりと食べた。
「でも。。土用の丑の日ってなんなんです??どうやって決まるんだろ??」
「そういうことは先生が詳しいんじゃないですか?」
健はカウンターの端で飲んでいた占い師に話を振った。
「土用の丑の日がどう決まるか。ですね。ところでポロシャツさん、今年の干支は知ってますか?」
「え?今年は確か。。寅年ですよね?」
「そうです寅年。ただ、もっと正確にいうと壬寅の年といいます」
「みずのえとら?ですか」
「はい。『子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥』のいわゆる十二支の上に、『甲乙丙丁戊己庚辛壬癸』という十干がくっついて、十【干】と十二【支】で【干支】ということなのですね」
「干支は甲子から始まってそれぞれ順番に組み合わさり、乙丑→丙寅→丁卯…と60種類の組み合わせが巡ってます」
「へぇーなるほど!そうだったんですね!十干の方は鬼滅の刃の階級でも使われてたやつだ」
「焼酎の甲類、乙類ってのにも使われてるな」
「はい。生まれた時の干支が再度巡ってくるのは60歳の時で、干支が還ってくる=還暦というお祝いになってるんです」
「ほうほう!!あれ?健さんもうすぐ還暦でしたっけ?」
「うるせぇ、まだちっとは先だ」
「そして、この60種類の干支は、月や日にもついてるんです。ちなみに明日、7月23日を干支で表すと、壬寅年・丁未月・丁丑の日となります」
「あ!丑の日!しかも土曜!」
「あいや、土用は土曜日とは関係ありませんよ。土用というのは各季節が切り替わる前の18日間のことを言います。なお、ここでいう季節というのは立春、立夏、立秋、立冬の、二十四節気上での季節の節目です。今年は8月7日が立秋ですので、今はちょうど【夏の土用】の期間なんです」
「へぇーするってぇと土用の丑の日ってのは各季節、年に4回もあるんですね」
「日の干支は12日で巡りますし、土用期間が18日あるので土用の丑の日が2回ある季節もありますから、5~8回ある年も。現に8月4日が己丑の日なので今季2回目ですからね」
「わ!健さん、8月4日、ちゃんとした鰻ざくでお願いします!」
「。。。ないよ」
「えー!」
占い師は二人のやり取りに笑いを押し殺した。
「ところで、今週は競馬の方はよろしいのですか?一応、賽は持ってきてますが。。」
「はっ!?そうでした!でも、なんかためになる話が聞けて満足しちゃったなぁ」
「今週の重賞は中京記念か。小倉競馬場での開催だが」
「中京のマイル重賞なのに小倉1800mってちょっと何を言ってるかよくわからないですよね」
「なるほど。ではせっかくなので一応卦を立ててみましょうか」
そういうと占い師は、三つのサイコロを取り出し、いつものように目を瞑り、ふぅ。。と大きく息を吐いた。
チンチロリン!占い師の手から放たれた賽は小皿の上で小気味の良い音を立て、止まった。
「内卦・坤、外卦・乾、そして変爻の賽が三。天地否の三爻、天山遯へ之く。が出ました」
「天と地がくっついてるなんて縁起よさそうですね!」
「いえ。。それが。。。この天地否という卦はですね。。」
地を表す八卦「坤」の上に、天を表す八卦「乾」が乗っている
「否」は否定。天は上を目指し、地は下を目指すことから、陰陽が融合せず、ちぐはぐな状態を表す卦である
各十二か月を表す「消息卦」の一つで、否は7月を表す
卦辞は「否は之れ人にあらず。君子の貞によろしからず。大往き小来たる」
三爻の爻辞は「羞を包む」
「。。。というものなんです」
「えー!人にあらずとかめちゃくちゃヤバそうじゃないですか!!」
「しかも三爻は分不相応といった辞ですし、之卦の天山遯は逃げる、という意味ですから。。」
「なるほどなぁ、ここは無理して買うべきではない。と」
「それもよいかと思いますよ。ここで自制が効くかどうかで、陽である天へ突入する、好転する兆しが出てこようというものです」
「そうかーでも確かにこの暑さで馬だって参ってるだろうしなにが起こってもおかしくないレースを買うなんて無駄遣いですかね。ボクも今週はケンします!!」
「ほう。珍しいなポロ。おまいさんが馬券を休むなんて」
「ちょうど給料日前ですしね、鰻を想像しながらイワシのかば焼き缶で偽うな丼でもつくって食べますよ」
占い師は脂ののった鰯を口に運びながら(今日はいつものセリフは必要ないな)とほほ笑んだ。
下町の夜は、静かに更けていく。
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