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僕が死んでも回っていくこの世の中で。

自分という存在が消えた世界を想像したことはあるだろうか?
僕は、ある。それも頻繁に。

いじめられて自殺を考えたとき、仕事を失って無職になったとき、深夜のオフィスでひとり働くとき、
いろんな場面で世界と自身のつながりを考える。

そして気づく、世の中のことはほぼ全て代替可能だと。
自分なんて所詮替えのきく、大勢の中のひとり。自分なんて存在しなくても、地球は回り続ける。
社会や仕事は幸か不幸か残酷だけど、代替可能なシステムになっている。

それなのに、今の世の中は「自分らしさ」とか、「本当のあなた」とか「多様性を認めましょう」とかいうありきたりで聞こえのいいワードで僕を、あなたを、”何者”かに仕立て上げる。
勝手に期待し、期待される。
本当の自分とか、生きる意味とかを追い求めすぎて、絶望する。
幸福は相対的なものじゃないのに、他人の幸せと自分を重ね合わせて妬んだり、一喜一憂したりする。(その人にはその人の地獄があるのに)

でも、だからこそ、僕は僕と戦っていかなければならない、と思う。
自分らしさも、生きる意味もきっとないけど、
他人や今いる環境を通してしか自分を認識できないかもしれないけど。

誰かが決めた”あなたらしさ”になんか中指を立てていきたい、
ありのままの自分を愛せるほど強くはないけど、
目指したことに、もがいてきた日々は愛せる。

自分らしさや生きる意味なんて、自分が死ぬとき、それこそ世界から消滅する直前に決まるくらいでいいのかもしれない。
いま目の前で起きてることに向き合う、いまできないことを、できるようになる、努力する。
何者かにはなることはできないけど、なりたい自分にはなれる。きっとなれる。

そうやって人生という自分だけのゲームで、自分をどこまで高められるか、そんな日々を楽しいって言えるようになっていけたらいい。そんな風に思います。

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