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くたばれ自意識。でも,それでも主人公になりたい。

この一文目を読んでくださっているあなた、
突然ですが、

「映画やアニメを見ているときに、もし自分がこの世界にいたらこの役かなあ・・」と重ね合わせてみたことってないですか?

「ドラえもんだったら、おれはのび太ってよりはスネ夫だなあ」とか。

僕はずっとハリーポッターになりたかったけど、ネビルロングボトムだったし、ルフィみたく仲間救いたかったけどウソップのように泣きべそかいちゃう。「主人公になりたいけど、なれない」人生を送ってきました。
(ちなみにネビルもウソップも今は大好き!です!)

小中高ではいわゆるいじめれっ子で、根暗なキョロ充。
そのとき周りからの扱いに対しての鬱憤とか劣等感を持ったまま、
大学デビュー。
美化されまくったヤンキー漫画じゃ描かれなった「迷惑かけられた側」の話。自意識に溺れた若者が人生を彷徨う話を書きたいと思います。

まず、小中高時代です。あの時代、ぼくの知らないところで足が早い奴、頭いい奴、不良、ウェイ系、リーダー、イケメン、お金持ちが上位に君臨するカースト制度が生まれてました。
(※独断と偏見です)

何も持ち合わせていない僕は、そのカースト制度に見事にしばかれ、
劣等感を抱えまま12年間を過ごします。
当時、僕は世界が好きだったけど、世界は僕のことが好きじゃなかった。

その後、県外の大学に進学。
環境を変え、無事に(?)大学デビューを果たします。
そこから、かっけえ(と巷で言われる)服着たり、おしゃれ(とインスタやポパイで書いてある)カフェ行ったり、クラブへ行ってみては女の子ナンパしてみたり、イケてる奴がしてるであろうことをとにかくやります。

おれってもしかしたら、変われたんじゃね? イケてるんじゃね?と変な期待を自分に持ちます。実際、周りいた人は変わっていきました。

ここまでって、正直よくある話ですよね。
「ああ〜、なんか成人式ですげえキャラ変わってた奴いたなあ〜」と思う人もいるかも。
僕はみなさんの思い浮かぶ「あいつ」です。

で、そんなどうや!おれいけてるやろ!と鼻息荒く臨んだ成人式が終わってから、ずっと謎の喪失感がありました。

そこで、その謎の喪失感の話を、
当時のインターン先の人事の先輩と話して、言われた言葉で気づくんです。

「お前をいじめてた奴ら、誰もお前のことなんか気にしてないよ」

冷水をね、20階からぶっかけられた気分でした。もうね、20階からの冷水は寒いを超えて”痛い”、嗚咽するくらい泣きました。
「自分以外の誰も自分のことを気にしていない、
おれが傷ついて取り返そうとした時間って(奮発して買ったネックレスが飛行石みたいと言われたり、背伸びしてエスプレッソ飲んでお腹壊したり、無駄に何十枚も撮り直したのにいいねが全然来なかったインスタの時間とか)、超無駄だったんだ、、」、と。

褒められたい、認められたい、だから努力する生き方って、
自分にベクトル向きまくってのに、評価軸が他人にしかない。

そんな生き方はもう止めよう、と心に決めます。

でも、ここまでも、正直よくある話ですよね・・笑
ここで書き終わってハッピーエンドにしようかと思いました。
最後に「じぶんらしく生きる」とか「ありのままの自分がいちばん美しい」みたいな安っぽいキャッチコピーがつきそうな話です。

本当の地獄は、ここから始まるんです。


当時の自分って、「おれは脇役、いいとこ助演男優。」
「でも、見てろ、いつかお前らのその伸びた鼻を折ってやるからな!」
そんな邪悪なパワーがエネルギーとなっていました。

で、そんな奴がいきなり
「本当の自分のためで生きよう、自分の生き方に美学を持とう」と思っても無理でした。
今まで”自意識”と”反骨心”が原動力がなってた奴がいきなりそんな綺麗な生き方なんてできない。

その後は、
少しづつですが自分じゃなくて、他人にベクトルを向けることができたり、
恥ずかしい過去もちょっとずつ自己開示できるようになって、
人間関係も仕事もうまくいきます。

でもね、でもね、ぼくは圧倒的に”足りない”んです。
「今の自分もいいんじゃない?周りには恵まれるし、ここからまた成功体験重ねていきなよ、もっと楽になりなよ」
って言ってくる”足りてるぼく”もいます。

でも、そう言い聞かせても、言い聞かせても、
あの頃の認められなかった自分が亡霊のようにまとわり付いてきて離してくれない。

亡霊がまとわり付くと、
飲み会で上手い挨拶しようと準備するのにめっちゃスベる、
後輩に相談されたらテンション上がっていい感じのこと言おうとしちゃう、
女の子に自然な感じ装いつつモテようとしちゃう、、、(多分バレてる)

くたばれ自意識!!!!!笑


この、『自意識をめぐる冒険』(鼠もいるかホテルも出てこない)
をこのあと数年間、ぐるぐると繰り返します。

その冒険を繰り返した結果、
いま行き着いた境地は、前向きな諦めです。

もう自意識を受け入れて生きていくしかないんだな、と。
おれは憧れてたあいつやモテるイケイケのやつにはなれない。
DJも、合コンも、グランピングも、しない!背伸びしない!(※偏見です)
ださい自分で生きていこう、と。

それと同時に気づいたことがあります。
ぼくはきっと誰よりも自分のことが好きなんですよね。
「足りない」って焦燥感とか怒りって、
自分にめちゃくちゃ期待してるんです。笑

卑屈にみえて、めちゃくちゃ傲慢。

だったらその期待にいい意味で勘違いしてやろう、と。
卑屈でネガティブな自意識が巡り巡って、なぜか超ポジティブに行き着くという謎展開。

前向きな諦めに気づけて、
おれってキラキラした綺麗な生き方はできないことにも気付きます。

認められなくて誰かに認められたかった、モテたいと思ってた当時も
前向きな諦めに気づいた今も僕の奥底にあるのは「怒り」です。

昔は「ふざけんな、おれはもっといけてる、おれを見ろ!」っていう嫉妬に近い、しかも相手に依存する「怒り」

今は「もっとよくできるはず」っていうシンプルな怒り。
在りたい自分とか世界に対する自己矛盾=怒り
「おれはA級になるより 逃げないやつになりたい」(ちはやふる)

ぼくみたいな人間は、持ってるカードで戦うしかない。
ルフィにも、ナルトにも、孫悟空にもなれなかったけど、
おれはおれになりたい。(ジャンプばっかだな)

前向きな諦めをしても生きるのは楽にならないし、
辛いことも多いけど変な嫉妬は減った気がします。

「生きづらい世界だな、優しくないな」ってずっと思ってたけどそれは僕の色眼鏡のせいでした。

これが美化されまくったヤンキー漫画じゃ描かれなった「迷惑かけられた側」の話。自意識に溺れた若者が人生を彷徨っている話です。

最後に読んでくれているあなたとか、いまもしかしたら自意識とか閉鎖的な社会とかに苦しんでる人にアドバイス的なのを書いて締めるかもしれませんが、特に何かを言える立場でもないので何もアドバイスとかは書けません。
もしこれを読んで、少しでも生き辛さが和らげば嬉しいです。

世界があなたに優しくありますように、
あなたが世界を好きになれますように。

あ、僕は「Creepy Nuts」に出会って少しづづ前向きな諦めができるようになりました。
もしよかったら聞いてみてください。
サントラたりないふたり助演男優賞トレンチコートマフィアとかは僕らみたいな人には刺さるはず。
(本文にもリリックを何度か使わせてもらいました)

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