好きな科学者の話

好きな科学者の話をしよう。


そういうと、すごく学術的で、論理的な難しい文章が続きそうな気がする。
「科学的」という言葉は、現代において、プラスなイメージが強い一方で、なにか機械のような無機質な感じもする。
目指すべき目標のようで、あまり近づきたくはない不思議な言葉だ。

僕はもともと言語学専攻の文系なので、少し恐さすら感じる。



でも、今日僕が話したいのは、もっとシンプルな願いなのである。

好きな人について、話したい。

その人がたまたま科学者だっただけの話。


僕が好きな人とは、中谷宇吉郎先生である。

ご存知であろうか?
僕はつい最近まで知らなかった。

高校までの教科書に出てくるような人ではないし、ノーベル賞のような世界的に名誉ある賞を取ったわけでもない。

一言で功績を表すなら、「世界で初めて人工雪を作った人物」

世界で初めて、人工雪を作ったのが、日本人であることは意外ではなかろうか。世界にはたくさんの雪が降る土地がある。ロシアやフィンランド、カナダなど、寒冷地と呼ばれる場所である。

気候的な条件で言えば、雪が作りやすそうなのは、そういった世界的にも寒い地域である。

では、なぜ、宇吉郎先生は人工雪を作ったのだろうか?
いや、そもそも、人工雪とはなにで、どんなことがあったら、人工雪を作りたいと思うのだろうか?

22年間、埼玉県で生きてきた僕には、雪はたまに降る珍しいものであって、作りたいと思うようなものではない。いや、まあキレイではあるし、たまに降った時に雪合戦とか、雪だるまを作るのが好きではあったが。。。


宇吉郎先生はそのきっかけについて、このように述べている。

雪の結晶の研究を始めたのはもう五年も前の話であるが、ありあわせの顕微鏡を廊下の吹きさらしのところへ持ち出して、初めて完全な結晶をのぞいて見た時の印象はなかなか忘れ難いものである。水晶の針を集めたような実物の結晶の巧緻さはふつうの教科書などに出ている顕微鏡写真とはまるで違った感じであった。冷徹無比の結晶母体、鋭い輪郭。その中にちりばめられた変化無限の花模様、それら全くの透明でなんら濁りの色を含んでいないだけにちょっとその特殊の美しさは比喩を見出すことが困難である。
その後毎日のように顕微鏡をのぞいているうちにこれほど美しいものが文字通り無数にあって、しかもほとんど誰の目にも止まらずに消えていくのがもったいないような気がし出した。そして実験室のなかでいつでもこのような結晶ができたら、雪の成因の研究などという問題を離れても、ずいぶん楽しいであろうと考えてみた。

雪は天からの手紙

(科学者なのに、この文章表現の豊かさよ。。。余談だが、宇吉郎は夏目漱石の弟子の寺田寅彦教授から教えを受けており、詩的な表現が本当に豊かなのである。)


この動機がとってもいい。
特に最後の文章、『雪の成因の研究などという問題を離れても、ずいぶん楽しいであろうと考えてみた。』


宇吉郎先生は、1900年生まれの科学者なので、写真が数多く残っている。

その中で目に留まるのは、彼の満面の笑み、少しいたずらっぽい笑顔である。

僕の科学者のイメージが覆された。
科学者といえば、実験室に籠って、白衣を着て、わけのわからない数式を黒板に並べながら、眉間に皺を寄せて、ちょっと怖い顔をしているイメージ。


宇吉郎は真に『雪』が好きだったのだろうと思う。
そして、それを真理のためとか、正義のためとか、小難しい名目ではなく、心から湧き出る感性から、探究していたのではないだろうか?

その彼なりの喜びを彼のその優しい笑顔から、感じるのだ。


その彼が慕う科学者がいる。
それが『白銀荘の老人』なる人物である。

1930年代、彼は雪の研究を北海道にて、行なっている。
白銀荘とは、彼が研究の際に泊まっていた宿の名前である。

その老人は、零下10度以下になる冬の十勝岳をさまざまな道具を駆使しながら、自由に散策する、地元のとんでも爺ちゃんである。


彼について、宇吉郎は次のように述べている。

白銀荘の老人は文明の利器を多用し、自分一人の体験で作り上げた科学の体系を持っていて、初めて山の生活が安全に遂行されるのであろう。

雪は天からの手紙

地元のとんでも爺ちゃん=科学者
この姿勢にこそ、宇吉郎の科学に対する想いが表れているのだと思う。


僕は、科学者や研究者と呼ばれる人に対して、少し浮世離れしたイメージを持ってしまう。だからこそ、「難しさ」を最初に想起してしまう。

だが、宇吉郎はそうではない。

ある時は、白銀荘の老人を称え、
ある時は、女子高生の霜の自由研究を褒め、
ある時は、湯気の出る茶碗から物理学の全てが見えるなどと言う。

彼は科学とは学問として、単体で存在するものではなく、日常に込められた科学こそ、本当に大切にすべきことだという想いを持っていたのではなかろうか。


宇吉郎はこんなことを述べている。

不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも重要な要素であろう。

簪を挿した蛇

さらに、

そしてその不思議さと美しさにおどろく心は、単に科学の芽生えばかりではなく、人間性の芽生えでもある。

雪を作る話

とも。

もう少しだけ、彼の背景を付けたそうと思う。

1900年生まれ。このことから、勘の良い方なら気づくと思うが、彼は戦争と研究時期が被っているのである。

だからこそ、「日本が戦に勝つため」の研究を軍から命じられていた時期もある。不可能を可能にせよという無理難題を吹っ掛けられながら。。。


彼は戦争に加担するような科学の扱いにどのように感じていたのであろうか?

終戦後、急に自分の仕事の意義について考えるようになり、そういう目で周囲を見回してみると、いろいろなことが目に映った。そして、現在の国の姿は、いますこし科学的なものの考え方を導入するだけでも、かなりよくなるのではないかという気が多分にした。
どんな素朴な見方でもよいから自分の眼でものを見、どんな単純な考え方でも結構だから、自分の頭でものごとを考える習慣をつけるのが先決問題である。そして、それが科学の第一歩である。

科学と社会


彼の人生からは教育者としても学ぶ所が大いにある。

今の教育というのは、知識偏重という側面がある。
言葉を知っていることが偉い。
方式を知っていることが偉い。
考え方を知っていることが偉い。
広く言えば、知識があることに重きが置かれる。

しかし、みなさんもご存知の通り、ググれば大体のことはわかる。
それどころか、今は、AIで質問に対して、答えを用意してくれるものまで現れた。

もはや知識があることには全く価値がないと思うのだ。
少なくとも、社会では。

ただ、教育はその実情にあっていない。
いや、これから徐々に合わせていく途中なのだと信じている。


だからこそ、『自分の眼でものを見、どんな単純な考え方でも結構だから、自分の頭でものごとを考える習慣をつける』

これが第一歩なのだ。
これが教育の本質なのだと思う。

(本質とか言い出すと、固くなってしまうので、子供の楽しさや面白さが第一優先ではあるのだが。)


最後に僕が最も好きな彼の考え方を紹介したい。
『私の履歴書』という文章だ。

一番感謝していることは、生まれた家が、非常に貧乏でもなく、また決して金持ちでもなかった点である。あまり貧乏で中学へも出せないようでは、もちろん困るが、家が金持ちであることは、決して子供のために士合わせだとは限らない。無理をすれば、大学まで何とかやれるというくらいの家庭が、一番幸福な家庭であり、私の家はまさにその階級に属していた。

私の履歴書

彼は謙虚な人物だと思う。
そして、それ以上に、運命を愛していたように思える。

彼は、小学生の時に父親を亡くし、最初に目指すかもしれなかった工芸の道を諦める。
さらに高等学校を落第したことで自信も無くす。

ただ、最後に「実験物理学」の科学者になったことについて、彼は以下のように語っている。

考えてみれば、最後の実験物理学に到達するまでには、ずいぶん回り道をしたものである。しかもその回り道の角々では、大まじめでその時々の志望の方向へ邁進する気でいた。こういう回り道をしなくて、その方向に向かって準備的な勉強をしていたら、ずいぶんよかったであろうとは決して考えない。途中の道草がどれも後になってみると、それぞれ役に立っている。
将来の希望を早く決めて、その方向に着々と進むなどということは、普通の人間にはできないことである。だからその時々に若気の至りでも良いから、ちゃんとした希望をもって進めば、それで十分である。それが何度変転してもかまわない。その時々に大まじめでさえあれば、きっと何かが残るものである。注意すべきことは打算的な考え方をしないという点だけである。と、この頃考えるようになった。

私の履歴書


この前向きさと考え方。
科学者うんぬんを置いておいて、僕は彼のこの姿勢が大好きなのである。

本当に、彼の人生に感動し得る。さらに彼の科学者としての探究を知ると、この言葉の1つ1つがさらにさらに心に刺さるのである。



彼の探究人生を知りたい方はぜひ、天気の第1章無料体験を申し込んでみてほしい。そう良さそうな話の最後にガッツリ宣伝を挟ませて頂く。笑

たいっちゃんとマンゴーと作っております。多分、楽しいよ。
宇吉郎先生が出てくるのは第4章です。
なにとぞ、なにとぞです。


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