なんで、人は月に行きたがるの?
突然ですが、
皆さんのこれまでで、1番高い買い物はなんでしょうか?
僕は、最近までノートパソコンがダントツでした。(最近、洗濯機に抜かれましたが…)
初めて一人で買いに行った数十万単位の買い物は今でも鮮明に覚えている。レシートに並ぶ6桁の数字を見て、「これで何個ファミチキ食えるの?」と戦慄しながら、見ていた記憶がある。
そんな高価なパソコンですが、何回も悩ませられたのが、充電器の紛失&故障問題...
なぜ、パソコンの充電器はあんなに僕の元から去っていってしまうのか。ロシア語の辞書で潰しながら、持ち運んでいたからか?あれ、重いよな。本当にごめんな。
真相は、はなはだ謎である。
さて、充電器がないと、どんなに高いパソコンも、スタバに持っていて、「私、若いけど仕事出来るんです」ってアピールする小物ぐらいにしか使えない。
故障した日に、さっそく、充電器を楽天で検索。
正規品の値段は1万円超え...
やめてよ。買う時に、あれだけチキってた僕が1万の充電器をあっさりポチれるわけないだろ。
そしたら、なんと、驚くべきことに、5000円で買えるどこが作ったかよくわからない同じような製品があるじゃないですか。
「え!5000円以上も浮く?これで来月の昼食代分稼いだのと一緒やん!!!!レビューもそこそこ良いし!
あぁーこれは完全に得だわ!ポチろ!
よっしゃ、これで安心!」
この時の安易な意思決定を後々、僕は後悔することになる。
届いた模造品は、形も本物にそっくり!
ちゃんも充電も出来る!
安心して、るんるん♫でスタバで使っていた。
寒い年明けもバッテリー部分が温まって、かじかんだ指先の暖もとれる。ないすぅ👍
って思っていた数ヶ月後...
使っていたら、急に「パチッ」とか言い始める充電器さん。おやおや、どうしたのかね?と覗いてみたら、パソコンに接続している部分が真っ赤になっているではありませんか...
あげくの果てに、火花が飛び始めるじゃないですか...
これはいかん。ショートしとる...
うちのマンションがいつか火事でメラメラ燃える。怒られるぐらいじゃすまん...
大学2年生の怒涛のロシア語の課題に追われる中で、時間をぬって、必死に楽天で探す。
そしたら、前回より安い4000円台のものを発見!!!
もう、これでいいや!早く欲しいし!!
そして、ポチッとな。
よっし!これで安心!
そして、届いた模造品は、形も本物にそっくり!
ちゃんも充電も出来る!
また、安心して、るんるん♫でスタバで使っていた。
が、その数ヶ月後...
お家に帰って、充電器さんを使おうとバッグから取り出そうとしたら、
ない。よく探すけど、ない。辞書の下にも、ない。
きっと、どこかで無くしたのである...
まだ数ヶ月しか使っていないのに。
まぁしょーがないか...
安物だったし、また買うか...
テスト期間で忙しい中、再び楽天で探す。
そしたら、なんと前回よりさらに安い3000円台のものを発見!!
さらにさらに、貯まった楽天ポイントだけで買えるではないですか!さすがの還元だよ、楽天さん!いつもお世話になってて良かった!
そして、届いた模造品は、形も本物にそっくり!
ちゃんと充電も出来る!
今度こそ、安心して、るんるん♫でスタバで使っていた。
と思っていた数ヶ月後...
充電器を差して、スタバで作業してるようにみせて、youtubeで動画見てたのに、画面に「充電が無くなります」の文字。
ん?いや、ちゃんと差さってますよ。パソコンさん?
と思って、覗いてみたら、充電ランプがついていない...
これはいかん。接触不良や...
また、パソコンがアピール用の小物になってしまう...
充電器さん、何回、僕を悩ませるん?
1年以内に3回て...
塵も積もれば、なんとやら。合計したら、正規品買えたやん...
なにしてんの、自分...
お金と悩んだ時間と探した時間返してよ...
教訓
「その場しのぎで安いものを買うより、高くても、最初から大事に出来るものを買いましょう。」
そんな多分、受講生の小学生の方が頭が良いのではないかという気づきを僕は大学時代に初めて経験したのです。
と、大学時代の嘘みたいな悲しい実話を思い出していたら、横道に逸れて、いつの間にか、ジャングルの中に迷い込んでしまっていた。
ジャングルじゃなくて、宇宙の話は?
あれ、制作と全然関係なくない?
とツッコミながらも、1800字以上の小話を、ここまで読んでくださった心優しき皆さま。
ありがとうございます。ようやく本題です。
ここからも寄り道しながらになりますが、適度に休みながら、最後まで読んでもらえたら、幸いです。
突然ですが、
あなたは宇宙に行きたいですか?
現実では、時間とお金と資格が必要。
だけど、もし、そのコストが全くなくなったとしたら?
人類が月に降り立ったアポロ11号から約50年後、世界では今、「アルテミス計画」という月へ再び人類を送り、移住し、遂には火星を目指すプランが動き始めています。
それも遠い未来ではなく、約10年ほどで。
僕らが生きているうちに火星に住めるようになるかもしれない。
「君、出身どこ?僕は埼玉だけど?」
「私ですか?私は月で生まれて、火星で育ちました。」
「へ、へー、そ、そうなんだ、すごいじゃん」
「秩父」の自然に加え、小江戸と呼ばれる観光地「川越」を擁し、「桶川」という紅花産業の中心地を持つ大人気都道府県「埼玉県」(僕調べ)も、月と火星と比べられたら、残念ながらさすがに見劣りします。
授業中も、「月に住みたい人ー?」と聞いたら、手を挙げる子供達でZoomの画面が埋まっていました。中には隣の小学生より目をキラキラさせている大きなお子さん??もいましたね。
なぜ、僕たちは月、そして宇宙に行ってみたいのでしょうか?
宇宙は、温度が目まぐるしく変わり、緑もなく、水もなく、酸素もない。もしそこで生きるとしたら、リスクはとっても高いのです。ぶっちゃけ、埼玉県の方が100000倍も住みやすい。
それでも、僕らは月を目指す。
なんのメリットがあるのか?
なにがそこまで、人を突き動かすのか?
僕らは体験するあらゆる物事を自身の判断軸に沿って、評価・判断しています。
時間やお金・体験を対価として、何を得て、何を失うのか。無意識の内に、その交換条件を考えながら、生活しています。もしかしたら、大人になればなるほど、そういう打算的な考え方をするのかもしれない。
少なくとも、僕はそう考える。
(その結果、「完全に得じゃん!」と思ってたのに、損をする事もあるけど。)
この答えを人類を月に連れていくと明言した一人、アメリカ合衆国35代大統領 ジョン・F・ケネディさんは以下のように述べています。
と。
誰も見たことのない景色を見てみたい。
そこに本当は何があるのか知りたい。
これまでにない体験をしたい。
そして、もっと世界を知りたい。
損得勘定、打算的な思考からは生まれない。
そんなピュアな願いがそこにはあるのではないでしょうか?
今では、人工衛星や宇宙飛行士を乗せたロケットの打ち上げが当たり前になり、某有名起業家が行ったように、宇宙旅行さえ現実のものになりつつあります。
それは本当に、本当に、多くの、そして、困難な障害を乗り越えて果たされてきました。
それは最初、単なる空想だったかもしれない。
しかし、それを確かな現実としていった。
それは、綺麗事だけではなされなかった。
そこには、苦しく、悲しい現実もあった。
しかし、決して諦めない心が、人の希望が紡いでいった宇宙開発の歴史。
僕たちはそんな人類の歩みを驚きと感動と共に、みんなと分かち合いたい。
再び宇宙と向き合うこの世界と人々と。
それが僕ら、探究学舎の願いである。
探究学舎、広げるコース8月「宇宙」であった。
さて、ここからは制作に関するつぶらのつぶやきをさせて頂きます。
遅くなりましたが、ここらで自己紹介を。
私、探究学舎で授業制作を担当しています、「つぶ」こと粒良と申します。
制作を担当していると言っても、数いるメンバーの中の1人ですが、宇宙に関して、伝えたいことがありましたので、この度、このような文章とさせて頂いております。
まずは振り返りから。
まず、一章は宇宙開発の歴史を概観を見た上で、そのきっかけがSFの父、ジュール・ベルヌさんという人の空想から生まれたこと。
そして、その空想が宇宙開発のパイオニア、ロバート・ゴダードさんによって、「ロケット」という形になり始めるまでを見ていきました。
宇宙を、月を目指す人類の歩みの一歩目です。
次に二章では、宇宙開発を推進した2人の天才。セルゲイ・コロリョフとヴェルナー・フォン・ブラウンが登場。2人のどちらに似ているかという診断テストをした上で、2人の夢との出会いからから戦争に巻き込まれるまでを描きました。
夢と悲劇、宇宙開発を2つの側面から見ました。
そして、三章。遂に始まるソ連とアメリカを舞台とした2人のロケット開発競争。人工衛星・生き物・人間、3ラウンドの戦いはいずれもソ連のコロリョフの勝利に終わります。
衝撃の結果で、ソ連の優勢のまま、終わるかと思われましたが…
最後に四章。遂に始まる月への挑戦。その高い高いハードルを超え、アポロ計画を成功させたアメリカの英雄と現代まで続く宇宙開発について、見ていきました。
この制作に関して、宇宙を探究している者として、3つだけお話ししたいことがあります。
ストーリー構成上、どうしても伝えられなかったが、ここまで読んでくださるほど、探究学舎に関心を寄せてくださる皆さまには知って欲しいストーリーです。
1つ目は、ゴダードを酷評したニューヨークタイムスのその後について。
ゴダードを今一度、復習しておきましょう。
ゴダードは「海底2万里」などで有名なSF小説家 ジュール・ベルヌが「地球から月へ」を発表した後、現代も使われている液体燃料を使ったロケットの開発を行い、最初は12mだったロケットを最終的に2.7kmまで飛ばします。
彼の挑戦がなければ、ロケットで宇宙に行くなど、まさに夢物語だったでしょう。
さっそく、横道にそれますが、夏休み期間中、探究学舎は探究スペシャルというオフラインの2日間のプログラムを行っています。
https://tanqgakusha.jp/join/special/
8月2日3日の戦国軍師編の生徒に、1章を受けた子がいたので、感想を聞いてみた所、
「ゴダードに感動した。何事も諦めずに続けるってとっても大事なんだなと思った。」
と、この8月最後の僕らが伝えたいメッセージングを一章にして、言葉にしてくれた大人な子がいました。
Yちゃん、流石に早いよ、超嬉しいけど。笑
さて、本題に戻りまして、
ゴダードは 1882年10月5日にアメリカのマサチューセッツ州で生まれます。時代は7月の広げるコース「発明」で活躍した 発明王 トーマス・エジソンらが電力供給を始めた頃です。
エジソンの行動は、幼きゴダードの心にも何かを灯したのか、彼は科学・工学・技術に興味を持ち始めたようです。
彼が16歳になった時、ある転機が訪れます。
フランスのSF作家ジュール・ベルヌと並ぶアメリカのSG作家 H・G・ウェルズによって、描かれた『宇宙戦争』が彼を宇宙の探究へと誘いました。
そして、多段ロケット・液体燃料といった現代ロケット開発に通ずる技術を編み出していきました。
しかし、授業中も扱いましたが、マスコミや他の科学者は彼の理論を信じておらず、むしろ嘲笑していました。
その一例が、ゴダードの1919年の論文「A Method of Reaching Extreme Altitudes」に対して、アメリカの大手新聞会社であるニューヨークタイムズが出した記事は
ゴダードは怒ったでしょうね。彼にはコミュニケーションが上手くないという欠点があったと考えられていますが、それは彼の頭の良さとこのような社会に対する自身の受け止められ方から来ているのかもしれません。
当時、世界の常識は、ロケットの推進力は爆発によって生み出された排気が大気を押すことによって、飛んでいくというものでした。
「大気がない宇宙でどうして、ロケットが進むことが出来るだろうか?これは実現出来るはずがない」というのが一般的な考え方だったのです。
しかし、皆さんもご存知の通り、この後、1969年アポロ11号は月へと着陸を成功させます。
このとき、ニューヨークタイムズは'A Correction'(訂正)と称し、次のような記事を発表します。
時代と共に、”常識”も”正解”も変わります。
僕たちが今、教えていることは多くの人たちの真摯な探究によって、未来の人にとっての”間違い”となる可能性は大いにあります。
いえ、もしかしたら、時代だけではないのかもしれません。
今を生きる私たち1人1人にとっても、”正解”は異なるものです。
だからこそ、「もしかしたら、自分が間違っているのかもしれない。」という意識と自分にとっての正解を人に押し付けないこと。
そして、もしその”間違い”に気づいた時に、きちんと受け止められるかどうか。
それが一番大事なことなのかもしれません。
物語の構成上、ニューヨークタイムズをゴダードにとっての障壁、悪役としてしまいましたが、彼らの自らの発言に対する責任からも僕たちは学ぶことがありそうです。そんなことを心のどこかに置いてもらえると嬉しいです。
次に、2つ目、早すぎた大天才、ツィオルコフスキーさんという人物について。
ツィオルコフスキーさんは、時系列で言うと、ベルヌさんとゴダードさんの間に当たる、19世紀後半から20世紀前半を時代を生きていた人です。
彼はロシアの貧乏な家庭に生まれます。
パンをギリギリ食べられるくらいの...
さらに彼は病気で耳が聞こえなかったのです。そのため、いわゆる”普通”の生き方は出来ませんでした。
そんな彼の唯一の楽しみは本でした。
幼少期からなけなしのお金を使って、本を読んでは自分の世界を広げて行きました。
そして、彼は大学時代、ある論文を発表します。題名は「惑星間ロケットの研究」
当時、まだロケットは打ち上げて、宇宙にいくようなものではなく、ロケット花火のようなおもちゃの状態でした。
当然、彼の論文は評価されることなく、歴史の中に埋もれていきます。
しかし、彼はその後も、研究を続けます。
ロシアの田舎で耳が聞こえない中で必死に教師として生計を立てながら。
その後、宇宙にロケットが行くようになってから、初めて彼の研究は脚光を浴び始めます。
その研究は、まだ、飛行機が一般になっていない時代にも関わらず、重い鉄で飛ぶという現代の飛行機に繋がる設計図を書いていたり、他にも月へと向かうロケットの速度の計算式、そして、現代でようやく技術的に実現可能性が現れ始めた宇宙エレベーターなどなどなど。
宇宙開発の歴史は彼の研究、予言通りに進んだと言っても過言ではないでしょう。
そして、21世紀になって、ようやく彼の頭の中に人類と技術が追いつくようになった。
彼は研究していた時に、どんな気持ちだったのでしょうか。
報われないままで生涯を閉じたツィオルコフスキー。
僕は彼こそ、真の探究者だと思います。
「宇宙に行くためにはどうしたらいいのか。」その問いを生涯向き合い続けた。富や名声に執着することなく。田舎で障害を抱えながら。
もし、宇宙の授業をもう一度することがあったならば、僕は彼の生涯を子供達に伝えたいと思っています。
彼の厳しくも、美しい人生を。
最後に、3つ目。コロリョフという悲劇の中の優しき天才について。
コロリョフという人間には、優しさと強かさが両立している。
彼の幼少期は、両親が不在。同世代の友人もいない孤独の中、祖父母に育てられた。
それでも、幼少期に出会った飛行機に憧れ、高校生の時には、アルバイトで屋根の雨漏り直し等で小遣いや学費を稼いだ。大学になって、ようやく航空学部に進学、好きなことに没頭とはいかず、生活は新聞配達や屋根直しで生計を立てながらであった。
そして、その後、GIRDと呼ばれるロケット研究グループに入り、夢を同じくする若者達と出会う。その時の写真が残っている。左端の隅で少しだけ微笑んでいるように見えるのが、コロリョフだ。
孤独で貧乏だった彼にとって、その仲間達との日々はどれだけ幸せなことだっただろうか。
しかし、世界は残酷だ。
彼にその小さな幸福も許しはしない。
1936年、スターリンの大粛清が始まる。
31歳となり、妻と3歳の娘との家庭を築いていたコロリョフの元にも、その魔の手は忍び寄る。
当時の同僚であったグルシュコという技術者の告発による冤罪である。
ドン、ドンドン。
1938年6月7日早朝、アパートのドアを叩く音。
秘密警察だ。
彼は有無を言わさず、連行される。
家族にサヨナラも告げることができず。
送られた先は、シベリアの収容所。
数千万人が亡くなったとされる地獄である。
彼は、看守の暴行であごは砕かれ変形し、栄養失調から壊血病になり、血を流す歯茎からは歯が抜け落ちた。心臓も弱り、生きているのが不思議なぐらいであった。いや、彼は「死んだ」も同然だったという。
そんな中でも彼は希望を捨てなかった。
彼はロケットを描くその手を止めなかった。
彼は、その後、ソ連のロケット開発を牽引していく。
いや、ロケットだけではない。軍用の衛星・ミサイル・通信衛星・気象衛星。
国のために仕事を引き受け続ける。
しかし、その時に彼には大きな壁があった。
冤罪を告発したグルシュコと共に開発することを余儀なくされるのである。
自身を家族から引き剥がし、冷酷な暴力に晒されることになった元凶とも言えるグルシュコと。
さらに、彼は暗殺を恐れたソ連によって、どんな偉業を成し遂げても世間に名前は公表されない。名前では呼ばれず、記号で呼ばれていたという。
しかし、彼は国のために仕事を続ける。
拷問によって、弱った体に鞭を打ちながら。
そして、多くのことを達成しながらも、悲願であった月への飛行を前に亡くなるのである。
享年59歳。
彼の開発したロケットは、現在でも世界で一番安全なロケットと呼ばれ、1500回以上の打ち上げに成功している。
彼のライバル、人類を月に送ったNASAの天才技術者、ヴェルナー・フォン・ブラウンは彼の死後にこのような言葉を残している。
彼の強さはどこから来るのであろうか。
不運であり、不遇。
彼の人生は栄光とは程遠いものであった。
彼は、現在のウクライナ領ジトーミル。ウクライナ人とロシアの人のハーフとして生まれている。もしかしたら、人種による障害もあったかもしれない。
彼の人生は、現代の僕の心をも震わせる。
まだ自分も頑張れるかもしれない、そんな勇気をもらえる。
このコンテンツを作りながら、僕自身が一番励まされていたかもしれない。
コロリョフにも感謝を伝えたい。
蛇足にはなるが、最後に僕個人の話を。
僕は大学でロシア語学科に所属していた。”地獄のロシア”と呼ばれ、単位を落とすと退学させられる可能性のある、正直厳しい学科だった。
そして、僕はあまり成績がいい方ではなかった。
ある試験の時、直前まで体調を崩していた僕は、全く試験対策ができなかった。その結果は散々で、ロシア人の先生に事情を説明した。
その時、彼女は
「大変な中、来てくれてありがとうござます。粒良くんが出したある課題をとても良く覚えています。夢についての文章だったのですが、笑いの要素も含みながら、その時の様子がとてもイメージできて、私は好きでした。試験の結果については確約はできませんが、とりあえず、今日はゆっくり休んでください」
と言ってくれた。
成績は良いとは言えなかったが、僕は無事に卒業することができた。
僕らが卒業する時、ロシアはウクライナに侵攻していた。
学科の先生たちは、僕らにこんな言葉を投げかけてくれた。
「今、世界は大変なことになっています。ロシアという文化や言葉に触れた皆さんにとって、苦しい時代かもしれない。
ただ、君たちがこの学科を卒業したことが世界の助けになりますように。」
僕が当事者だったら、絶対にいえない。
家族や親戚・友達はロシアにいるだろう。自分や身近な人が傷つく可能性もあるだろう。
それなのに…
「僕たちは世界を自分の見たいように見ている」と思う。
自分達を正当化するために、いくらでも理由を作り出すし、それがきっかけで争いになることだってある。
それは別に世界の話だけではなく、人間が集まる以上はどんな所でも。
時に残酷に見えるこの世界。
それでも、世界の美しさと人間の素晴らしさを感じていたい。
だからこそ、僕らは過去や現在に感謝しながら、ストーリーを紡いでいくんだよな。未来に向かって。
それを忘れずにいたい。
ということで、ちょっとしんみりしちゃいましたが、最後の最後にお知らせを!
8月の制作を終えた粒良は、今度11月の制作に向かっております。
6月で「歴史」を一緒に制作を担当した柿木と再びタッグを組んで!!
ちょっとだけネタバレ!
テーマは、普段当たり前に見て、使っている”モノ”。
僕らは身の回りにある”モノ”とどのように向き合っているでしょうか?
「大量生産、大量消費」の資本主義の世の中で、一つ一つの”モノ”にどれだけ心を寄せられているだろうか?
その”モノ”に対する意識の変革がテーマの広げるコース11月。
お楽しみに!!!
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