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一徹短慮

こんばんは


最近日に日に芽生えてきた感情について、今から綴っていこうと思います。




こんなこと考えながら生きてしまう私って変なのかな、変わっているのかな



ここ数日、親しい友人の言葉にハッとする機会がありました。

私は世間体では就活生という枠に属する訳なのですが、、なんせやりたいことが思いつかない日々を過ごしておりました。

お気づきですか?

そんなぼんやりとした日々を過ごしておりました。 ですので、現在は以前と比較しますと徐々にではありますが、興味のある事柄が浮かんで参りました。


将来に対する不安や焦りから、とにかく安定と安心を求めて企業を見漁っていた私は、やりたいことなど考えようと実際していなかったのでしょう


考える振りをしていたんですきっと。
少なくとも振り返った現在、そう思うのです。


どこまでもやりたいことに突き進んでいく友人、やりたいことを模索しながら自分と向き合い続けている友人


本当に私は恵まれていると実感します。


素敵な友人たちの何気なかったかもしれない一言や言動で、我に返りました。


遅いかもしれないけれど、原点に戻って考えた時、昔から抱いてる疑問へと辿り着きました。



普通ってなんだろう


昔からあらゆる事に対して好奇心が強く、常に何故?と聞いていたことを思い出しました。

怒られた際にも理解出来ず質問していたこと。


その時に返ってくる答えは決まって


それが普通なの。


そう思うと私は成長出来ていないですね。


普通って何でしょうか。その基準は何で定めされているのでしょう。人それぞれの基準じゃダメなんでしょうか。


もちろん、やって良い事、悪い事

その分別は必要です。

その分別の基準は常識のような、これこそが『普通』に囚われているような気さえしますが、そんなことは言ってられません。


上手に循環させる為に、最低限度のマナー、ルールは必要とされます。理解しています。


私が未だに疑問に思っている点は、そこでは無いんですね。


私の日常の規模で話しますと、仲間はずれというものが挙げられます。


何故弱いものを作りたがり、差別したがるのでしょうか。



何がそんなに違うのでしょうか。

人種が違っていても、信じるものが違っていても、きっと誰しもが同じような心を持って生まれているように思うのです。


生まれながらに身体に障害があっても、元気な身体であっても、恋愛対象が同性であっても、異性であっても、常に元気でいられる方であっても、心が弱ってしまっている方であっても、根本は何も変わらない。


みんな愛されるべきだし、『みんな違ってみんな良い』という言葉がある通り、人それぞれ特徴があって、俗に言う完璧な人なんて存在してないと思ってしまいます。


先日、『グレイテストショーマン』という映画を観ました。

身体的特徴に個性を持っている方を中心に、『ユニークな方』という枠組みで捉えられていました。

やはり、社会的地位が弱く、受け入れて貰えないという現状。 人種差別がテーマの1つとしてあるにせよないにせよ、心苦しかった。


物語自体前向きな終わり方をしていたように思いましたが、私が見ている世界、日常生活に重ねて考えてしまった私は深い深い答えの見えない問へと吸い込まれていきました。


この世界の基準って何だろう。


『この仕事に興味がある』

って何気なく発した言葉に返ってきた言葉は


『もっと無難な普通の生活を求めた方がいいんじゃない』


でした。


これも考え方の違いで、1意見として受け止めますが、私の人生で、1度しかない人生なので冒険してみます。


とりあえずは何とかなると信じています。

(初任給を時給に換算したことで、バイト生活悪くないと思ってしまったが故の冒険心)


協調性を大切にしながら、それでも自分の気持ちに1番に向き合って、人様に迷惑をかけないように、自分を愛して、周りにいてくださる方々を愛して、たくさんの感謝の心を持ちながらゆっくり生きていきましょう🌱

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