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チョロQ

ここに、一台のミニカーがある。これは私が覚えている限りで、いちばん最初にもらった「お土産」だ。4、5歳くらいだったと思う。相手は祖父からだった。大のお爺ちゃん子だった私が、祖父が出掛ける前にギャン泣きしたので、帰りに買ってきてくれたらしい。そんなことはとっくに忘れたが、とにかくこの緑のミニカーが嬉しくてめちゃくちゃ遊んだし、どこへ行くのにも持って行ったのを覚えている。すこぶる調子の良い脳みそである。だが、それにいちばん喜んだのは私ではなく、祖父だった。父いわく、私が生まれてからの祖父はそれまでとは全然違い、寡黙で頑固だった祖父は、常にニコニコして孫にデロンデロンな祖父になったらしい。そんな祖父に父はちょっと引いたらしい。いや、だいぶ引いたらしい。


そしてそれからというもの、祖父は出かける度に私にあるものを買ってきてくれるようになった。それがチョロQだ。はじめは、最初にもらったミニカーよりも小さかったので文句を言っていたものの、引っ張って自分で走るところや、毎回違うものを買ってきてくれるところに見事にハマり、祖父が出かけるたびに楽しみにして、いつの間にか出かける際に泣くこともなくなっていた。


私の住んでいるところは、陸から20分ほど船に乗っていく離島だった。1日に10本も無い市営定期船は、一本乗り逃すと次が2、3時間後というのも平気であった。定期船乗り場のまわりにはコンビニやお店もほとんどなく、お土産とは簡単に言っても、毎回買うのは容易ではなかっただろう。それでも祖父は、急ぎの用事でも、寄っていたら船に乗り遅れることになっても、定期船乗り場に併設されている小さなお土産屋さんで、たった数百円のために時間を使ってくれた。


子どもというのは本当に素直である。良くも悪くも。そしてそれに加えて、私はアホであった。毎回出かけるたびに買ってきてくれるチョロQは、しばらくするとそれなりの量になる。すると、どうしても大人の記憶力では覚えきれなくて被るものや、私の好みではないものも出てくる。その度に怒る私に祖父は怒ることもなくただただ困りながら謝っていた。


私はとにかく、どうしようもなくアホで、そして友だちを作るのが下手だった。ある日、友だちが家に遊びに来た。小学校1年生くらいのころだったと思う。私が大量に持っていたチョロQを見て興奮していた友だちに私は「それ2個あるから1個あげよか?」と言った。友だちはすごく喜んで、それをもらって帰っていった。私はそれがすごく嬉しかった。それから私は、友だちが来る度にチョロQをあげるようになった。みんなから好かれたくて。一緒に遊んで欲しくて。遊びにくる友だちも増え、被っているチョロQはなくなり、お気に入りじゃないチョロQもなくなり、好きなチョロQをあげることも出てきたくらいの時、とうとう父にバレてしまった。父はそれはもう、ものすごい勢いで怒った。とにかくものすごく怒られた。だが、そんな父を止めてくれたのは祖父だった。「あれは俺がモトキ(私)にあげたやつなんやから、モトキのやつや。モトキが好きにしたらええ」もし、自分の子どもがそんなことをしたときに、果たして私は祖父のように言えるのだろうか。


4、5歳ごろから買ってきてくれていたチョロQは、小学校2年生くらいにはとっくにもう飽きていた。ど田舎の小さな町の、さらにど田舎の小さなお土産屋さんだ。毎回新しいものが入荷されるわけもなく、被るものばかりな上に、友だちにあげたのを父に怒られたこともあって、すっかり興味はなくなっていた。それでも祖父は、出かける度に買ってきたチョロQを私に見せては「これはあるやつか?」「これは持ってなかったか?」といつも聞いてきた。


小学校3年生くらいのころ、祖父はパーキンソン病になった。今までと違い、ひとりで出かけることが困難になった。用事や病院の送り迎えには常に父が付き添うようになり、お土産屋さんに寄ることも少なくなった。それでも祖父は、少しでも余裕があれば父に寄ってもらっては、顔馴染みのお土産屋さんのおばちゃんと「これはもう買ったかな」「これは喜ぶかな」と相談していたらしい。なんであの時、もっと嬉しそうにできなかったんだろう。なんであの時間、嬉しそうに見せる祖父を邪険に扱ってしまったのだろう。


祖父は病気がどんどん進行して、小学校5年生頃には家でみれなくなり、施設に入った。そして、中学1年生の時に亡くなった。祖父が最後に買ってきてくれたチョロQはいつで、どれだったんだろうか。私はどんな顔で受け取ったのだろうか。きっと祖父は、期待と不安と申し訳なさのなかで、それでも私の喜ぶ顔が見たくて、いつものように笑顔で渡してくれたんだろうなあ。自分のどうしようもなさが本当にいやになる。


私には今、子どもがふたりいる。ひとりで出かけた帰りにはお菓子やアイスなど、家族にちょっとしたお土産を帰るようにしている。喜ぶ顔を想像して買ったつもりでも、子どもにとっては好みじゃなかったり、それの気分じゃなくて怒られる時もあって、なかなか難しいものである。それでもやっぱり、それを買うときに想像してしまうのは、怒った顔ではなく、喜ぶ顔やみんなで食べる時間だったりして。それで最近やっと、本当にやっと、あの時の祖父の気持ちがちょっとだけ分かるようになったのかなと思っている。爺ちゃん、あの時爺ちゃんにできなかった顔を、あの時爺ちゃんに見せたかった顔を子どもたちに見せながら、今日もコンビニでお土産をさがすよ。そんでさ爺ちゃん、この前娘が喜んでたアイス、どれやったっけ?

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