タレとか塩とか




例えば。
焼き鳥の有名店でずーっと修行してきて、毎日毎日毎日焼き鳥を作ってきた人が言う

「モモはタレ」

これはわかる。
焼き鳥が大好きすぎて年間何万本も焼き鳥を食べていて、焼き鳥に関する本も出している人が言う

「ムネは塩」

まあ、わかる。


趣味が食べ歩きで焼き鳥もまあちょいちょい食べて、自称食通のおじさんが自信満々で言う

「モモは塩」

これはわからん。

まったくわからん。

全然わからん。


まあわたしみたいな何を食べてもおいしい人間からすると、そもそもおいしいものをどう食べようがそれはもうおいしいわけで、そのおいしいものの食べ方をどうこう言われてもそれはそもそもおいしいわけだから別にそれをどうこう言われてもすでにおいしいわけでこの文章なに言ってるか分かりますかわたしは全然分かりませんありがとうございます。


まあ例えで焼き鳥にしたけど、別に焼き鳥の話がしたいわけではなくて、つまりなにが言いたいかと言うとだね、「正しい」って難しいんじゃないのと。それを発言するためにはそれなりの知識や覚悟が必要なんじゃないのかなと思うわけです。そのわりにその「正しい」って、どうしても押し付けがましくなったり、争いになったり、それに対するリターンってあまりにも少ないんじゃないかなと。だからあんまりね、「正しい」ことを言うのはね、あんまり正しくないんじゃないの。という、深そうで全然深くない名言を残してみました。

モテるかもしれません。

ありがとうございます。



で。

で、だ。


で、だよ?


ここからよ。


こういう人、いません?

「なんかこいつの話聞いてたら無性に焼き鳥食べたくなってきた!」

「俺、今までモモってタレ派だったけど、この人の話聞いてたらだんだん塩で食べたくなってきた!」

「はいもう塩。ずっとタレだったけど絶対ムネは塩」

「もういいわ!この話やめ!とりあえず焼き鳥行こう!続きはそこで!」

「焼き鳥しか勝たん!」

「焼き鳥のある生活!」

「焼き鳥好きさんと繋がりたい!」


みたいなさ、自分が今まで「こう」だと思ってたのとか全部どうでもよくなって、その人の話が気になって、それをやりたくてたまらなくなる、みたいな話をする人、いるでしょう?そういう人って自分の「正しい」を一切言わなくて、その代わりに「好き」がものすごいの。別に詳しいわけでもないし、ひょっとしたら間違えてるとこもあるかもしれないけど、もうそういうのがどうでもいいくらい聞いてて楽しくなる話ばっかりすんの。「好き」が溢れてるやつ。ああいう話をする人がね、大好きなんですよわたしは。みんなも好きじゃない?好きだよね?あと俺のことも好きだよね?そうだよね?好きって言って?ねえ笑って?


だからね、ああいう人になりたいなって、思ったって話。笑


嫌いとか、正しいとか、悪いとか、そういう話って簡単にできる上に感染力が強くて、簡単にいろんな人に影響を及ぼせる話だと思うんだよ。でも「好き」って恥ずかしいし、正しい話にもなりがちだし、言う方はちょっと勇気が必要な話だと思う。でもそれが伝わった時の嬉しさや、それが広がっていくときの楽しさは他のなによりも強くて、そうでなくても「好き」がある、「好き」を話せる自分ってなかなか最高だと思うんですよ。

だからさ、「好き」の話をみんなでしていこうよ。別にめちゃくちゃ好きなこととか、誰にも負けないくらい好きなことじゃなくてもいいんだよ。コメダの豆菓子っておいしいよねとか、コメダのシロノワールって最高だよねとか、コメダのクリームソーダのグラスふたつ買って靴にして歩きたいよねとか、そんな話でいいんだよ。わたしはみんなの「好き」に興味があるし、みんなの「好き」が聞きたいよ。


でもたまに悪口でも盛り上がろうね♡
おしまい♡

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