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ゼミのレジュメ作りはかどらない

いま「旅と観光の人類学」(橋本和也)を読んでいて、水曜日のゼミのためにやっとまとめる作業を始めたんだけど、関連用語を調べていたら、まとめる気にもならず、もう無理です!って感じ。

それで、今日出会った小説的な場面を回想したり、インスタのストーリーのハイライトを謎にまとめたりし始めて、ちょっともう無理だから、noteやっほう。

次の授業まであと20分くらい、書けるだけ書き殴る。


先週の水曜日から、ワクワクが止まらない。

喫茶おおねこで、椋本湧也くんの出した日記集「日常をうたう」の朗読会に参加した。その1ヶ月前くらいかな?なりさちゃんが私の本をあげているストーリーにコメントをくれて、「椋本くんに会ったことないの?会ったほうがいいよ!身体のこと興味あって、整体とかも行ってるらしいよ!」と教えてくれた。

椋本くんのことは、私がいくつかの小さな本屋さんのインスタをフォローしてることもあって、彼の出版した本を幾度か目にして「なんかしっかりとした本を自分で出版している人がいるんだな〜」くらいには知っていた。

なりちゃんの言うように、彼のインスタをチェックしてみる(結構ストーカーレベルには見たと思う)と、私の読んだ本をだいぶ前に読んでいたり、気になる本ばかり挙げていた。そして、インスタ上で共有されている本棚を見る限り、結構好きだな、と思っていた。

でも、話せることあるのかな?自分よりもかなり知識がありそうだし、考えている次元も違いそう〜、とどきどきしていた。

まあ、それで、おおねこで朗読会のイベントを開催すると知って、これってば「行きましょう」ということよね!と精霊たち(いきなりスピ)が伝えてくれたので、参加することに。

朗読会というものも初めてだったし、一応人見知りなので、人が多いところだと内気な感じになっちゃうかと心配だったけど、そんな心配は喫茶おおねこという空間では杞憂でした。へへ。


だいぶ記述が飽きてきたので割愛する。


身体を一緒に動かすことと、声に出すこと。

そして、リズムを合わせること、と彼は言っていた。

最近、リズムという単語をよくよくよく聞くんだけど、この言葉の意味があまりわからない、ということは置いておくけど。

朗読は、みんなで声を出して、それを聞いて、リズムを合わせること。
どんなことになるのかはいまだにわからないけど、やってみましょう。

読書という体験を拡張する、と彼は言っていた。
黙読して自分の中に収めていくのではなく、誤読推奨、そして、紙の上に書いてあること、本に綴じられている内容を「いまこの場に」出現し直すこと。みたいなことを言っていたと思う。

朗読は楽しかった、体験として。体験として?体験としてってなんだろう。

なにが起こったか、そこ気になる。


読んで終わりにするんじゃなくて、その本を契機として自分でも書いてしまう、とか。そんな話もしていた。

この朗読会の体験は一回のワークショップで完結。みたいな感じじゃないと思う。振り返ろうと思ったけど、まだ振り返ってはいけなかったかも?


とりあえず、私はもっとおしゃべりしたいなと思った。

気流の鳴る音を読み始めた。
恋人は、覚醒への旅みたいな本を読んでいる。
村上春樹の使うモチーフが、気流の鳴る音に溢れている。困ったな。
言語をもっとうまく使いたい。
ラトゥールのアクターネットワーク理論をもう少し、ちゃんと学びたい。本買うか?
ポストモダンとか、近代とか、その時代性をもう少しわかりたい。
日本語の特性を知りたい。
歳の違う人の声が、今の若者の声を全く違う。いまの20-50?くらいまでの若者?若者でもないけど。発声方法なのか、とりあえず使っている身体の部分が違う、声の響き方がまるで違う。聞いていたいと思えた声だったし、どこか優しく懐かしく、涙が出そうになる声だった。

踊ることについても、もう少し考えたい。
解放させるには何が必要なのだろうか、何かに拘束されることは自由にする助けになるけど、それって「そうせざるを得なかった」みたいな動きになる。それを自由だと思っていたけど、もしかして解放とは違うかも。だから、舞踏があまりしっくりこない。

かといって、解放させて!!とだけ放り投げるのも、また同じように動きづらさがある?
「慣らし」が必要だと思う。補助線的な?助走をつける必要がある。


自分でも何を書いてるのか?

行かなきゃ!


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