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工藤公康に教えられた「天才の条件」 23年前に書いた記事に励まされた

新聞は1日3回読む。

1回目。朝、コーヒーを飲みながら、朝日新聞と日刊スポーツに目を通す。このときのマイルールは1つ。時間に余裕がなくても、すべてのページをめくること。じっくり読めなくても、紙面全体の流れや見出しを確認する。

2回目。日刊スポーツには「紙面ビューアー」というものがあり、新聞に掲載されたQRコードをかざせば、スマートフォンやタブレットで紙面をそのまま読める。これは大阪や北海道など他地域だけに掲載された記事も読めるので、移動の電車内や待ち時間に目を通す。

3回目。翌日になることもあるが、切り抜きをしてスクラップブックに貼り付ける。USBメモリーやクラウドへの保存など、さまざまな資料収集を試した上で、結局アナログな形に戻った。

必要事項を素早く引き出すのはデジタルの方が優れているのだが、アイデアがなくて「何を書こうか」と迷っているときはスクラップブックをパラパラとめくる方が適している。

アナログな切り抜き

日課は以上だが、時間があるときに過去に自分が書いた記事の収集もしている。こちらはデジタル版で、社内のデータベースにアクセスして、必要な記事をUSBメモリーに保存している。

今年で55歳。まだ人生の終活とは思っていないが、会社員としては刻々と終わりが近づいている。若い頃に書いた記事を読みながら「懐かしいな」「この頃は楽しかったな」などと、感傷にふけることも多い。

記者として、会社員として、自分の限界を痛感し、前へ進むより過去に向いてしまう機会が増えた。

先日、過去の記事データを整理していて、ふと1つの記事が目に止まった。2001年(平成13年)1月22日付の新聞に掲載した、私が書いたコラムだった。

自分の限界を感じていた私の胸に響いた。23年前の記事を全文引用したい。

 天才の条件。巨人工藤公康投手(37)が宮崎での自主トレでともに汗を流しているダイエー倉野信次投手(26)ロッテ川井貴志投手(24)に言い聞かせていた。夕食の最中だった。
 (工藤) お前らの潜在能力が100とするだろう。すべてを出し切れば、すごい投手になれるけど、それは不可能。ただ、60まできたところで「こんなもんかな」と思ったら、そこで終わる。でも「まだまだ」「オレはこんなもんじゃない」と踏ん張れば、65までいける。70、80までいける。例えば、マラソンならば「苦しい」と思っても、目の前にいる選手を見て「こいつだけは抜いてやる」という気迫だね。精神論になってしまうけど、そういう気持ちがないと、どんなに素晴らしい練習をしても同じだよ。
 工藤は球界でも有数の理論派。練習中も2人にそれぞれのトレーニングの意味や投球フォームを理路整然と教えていた。精神論など振りかざすイメージではないだけに、意外な感じがした。
 ただ、思い当たる節はある。8年60億円の大型複数年契約の球団提示を断り、単年契約にこだわった巨人松井は、その理由を「安心したら、この程度の選手で終わっちゃう」と言った。本塁打、打点の2冠と、MVPを獲得しておきながら「この程度」とは……。高橋由も不調に苦しみながらも月間MVPやゴールデングラブ賞を取ったが「自分を、この程度の選手だとは思っていない」と言った。そして37歳の工藤は夢を口にする。「150㌔を投げる」「メジャーに挑戦したい」。実績を持ちながら、まだ前へ進もうとする。
 だれにでも眠っている能力はある。ただ妥協してしまうから、死ぬまで眠ったままでいる。「天才」とは、それを起こすだけの気力を持つ者のことかもしれない。野球に限らず、どんな分野でも言えることだろう。【飯島智則】

2001年1月22日付の日刊スポーツ紙面より

確かに工藤さんや松井さんは、たぐいまれな才能を持つ人物だろう。ただ、彼らにも壁はあった。間違いなく大きな壁に何度もぶつかった。自分の限界を感じた瞬間もあっただろう。そのとき「もう、ここまでだ」と思うのか、「まだまだ」「オレはこんなもんじゃない」という気持ちで、また前へ進んでいけるのか。

一流選手が優れているのは、技術的な才能よりも「まだまだ」と思える力なのだろう。

まさか、23年前に自分が書いた記事に励まされるとは思わなかった。

「まだまだ」
「オレはこんなもんじゃない」

結局、私はこの程度の人間なのかもしれない。それでも「まだまだ」と言い聞かせて、もう一歩…一歩だけでも、前へ進んでいきたい。


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