ひなビタ♪9-1「咲子と凛のアコースティックール」

倉野川市、日向美商店街。

元気のなくなった地方都市の商店街を盛り上げるために組まれたガールズバンド「日向美ビタースイーツ♪」。

咲子と凛が、凛の部屋で楽曲のギターについて話し合っている。

「ここのパートは、クリーンな方が良いですか?」
「そこはサビに向けて盛り上がるところだから、もう少し歪みを足した方が良くなるわ。」
「はい、分かりました。」
凛のアドバイス通りに咲子がエフェクターを調整し、歪みのゲージを上げる。

「…そうですね、この方がしっくり来ますね。」
「うん、いい感触だわ…。この曲は、今日はここまでにしましょう。だいぶ良い方向に煮詰まって来たし。」

咲子と凛は、日向美ビタースイーツ♪のギター担当であるが、二人の音楽性は大きく異なる。

咲子はアコースティックギター(略称「アコギ」)(オベーション・セレブリティ、愛称「セレさん」)がメイン楽器である。凛の影響により、エレクトリック・ギター(略称「エレキ」)(シュヴァルツ・トイフェル)やメタルにも触れるようになったが、アコースティックポップが根底にある。

一方、凛はエレクトリック・ギター(フェンダー・ジャズマスター)がメイン楽器で、エモ、シューゲイザー、オルタナティブロックという、内向的な音楽を好み、作曲やハーモニー構築にキーボード(鍵盤)を使用することもある。
バンドにおいてメンバーの音楽性は必ずしも一致している必要はなく、むしろ異なるからこそ、面白い音楽が生まれる可能性がある。

咲子と凛はパソコンデスクからテーブルに移り、お茶を飲んで一息ついた。

「…ところで、凛ちゃんはアコースティックギターを弾いたことはありますか?」
「…突然、どうしたの?」
「凛ちゃんのお部屋にないし、弾いてるところを全く見たことがないな、と思って。」
咲子の質問に、凛は少し考え込む。

「…確かに、私の聴いてきた音楽は、エレクトリックで構成されている要素が強いものばかりで、宅録でも使わないから、アコースティックには触れずに来たわね…。」
「そうですよね。凛ちゃんの好きな音楽にアコギを入れたら、その瞬間にフィードバックを起こしそうですしね…。」

フィードバック(ハウリング)とは、マイクとアンプを近付けると起こる反響音のことであり、学校での運動会の校長先生のあいさつの時に「キーン!」と鳴る音、と言えば分かりやすいだろうか。
このフィードバックはエレキでも起こるものだが、アコギの場合はボディ内の空洞が大きいため反響しやすく、フィードバックが起こりやすいのだ。

「…予め計算されたノイズなら良いんだけど、フィードバックはハプニングに近い物だから。勿論、あえてハプニングを狙ってやる場合もあるけど…。いずれにしても、アコギは全くと言って良いほど、弾いたことはないわね。」
こう話す凛に、咲子がこんな提案をした。

「…凛ちゃんの曲を、アコギ主体のアレンジにしてみませんか?」
「…私の曲を?」
「そうです。凛ちゃんの曲は、とってもとってもメロディが綺麗だと思うんです。だけど、ギターの轟音が目立っていて、メロディがあまり注目されてないなと思っていたんですよ。」

ゴンッ!
凛がテーブルに頭を打った。

「ご、轟音って…。そういうアレンジにしてるんだから…。」
凛のリアクションに、咲子があわてる。

「ごっ、ごめんなさい…。それがダメとかではなくて、一度はアコギのアレンジで、凛ちゃんの曲を弾いてみたいなと思って、なんです。」

咲子の提案は、凛の思いもよらないものだった。ハーモニーやアレンジの面は音楽理論や機材を用いて緻密に構築をして来たが、メロディ自体について言われたことは、あまりなかったかも知れない。

「私、日向美ビタースイーツ♪を通して凛ちゃんにいろんな音楽を教えてもらって、メタルを聴くようになって、エレキも弾くようになって、自分が変われたと思ったんです。」
「…貴方の場合は、変わり過ぎとも言えると思うけど…。」
「私は凛ちゃんと比べて、音楽の知識の面では全然敵わないんですけど、それでも凛ちゃんの曲は、理屈抜きに良い曲だと思えるんです。だから、一回でいいのでわがままを聞いてください。」
「…分かったわ。そこまで言うなら、やってみましょう。」
咲子の思いに、凛がほだされた。

「ありがとうございます!とってもとっても、嬉しいです。」
「…でも、私はアコギを持ってないわよ。」
「明日、家から持って来ますね。」

翌日、凛の部屋。
「凛ちゃん、じゃあ『セレさん』と、もう一本、持って来ましたよ。ただ、これは、正確にはクラシック・ギターですね。」
と、咲子がギターのケースを開けて、クラシック・ギターを取り出した。

クラシック・ギターとは、普通に言われるアコギ(フォーク・ギター)やエレキと違いがあり、分かりやすい違いは、
・弦がナイロン製
(アコギやエレキは弦がスチール製)
・ペグやブリッジの構造が異なる
・ネックがアコギやエレキと比べて平べったい
というところか。

「クラシック・ギターは、持つのも初めてね…。ちょっと、弾いてもいい?」
「もちろんですよ。」
凛がクラシック・ギターを手に取った。

「…これは、ピックで弾いても大丈夫よね?」
「正式なクラシックの弾き方は指ですけど、ピックでもかまいませんよ。」

ジャーン…。

おっかなびっくりな感じで、凛が座ってクラシック・ギターを鳴らす。

「ネックがかなり幅が広いのね…。それと、やっぱりボディーが大きいわね。」
「そうですね。だから、座って弾くとどうしても胸が当たって邪魔になるんです。弾くポジションが遠く感じ」
「却下。」
咲子のセリフをさえぎるように、鋭く凛がツッコむ。

「…はい?」
「それ以上言わなくても分かるわ。却下。」
「はっ、はい…。ごめんなさい…。」
凛の静かな迫力に、咲子はそれ以上言葉を続けられなかった。

ジャーン…、ジャーン…。

少しの間、凛はネックをローポジションからハイポジション、ピッキングの場所をネック寄りからブリッジ寄りと、クラシック・ギターの感触を知るために、鳴らし続けた。

「…同じギターでも、全く異なるものなのね。」
「アコギとエレキは、ギターというくくりでは同じになりますけど、別物の楽器と考えている方もいますからね。片方が弾けるともう片方も弾ける、という訳でもないですし。」
「…じゃあ、貴方はすごいのね。両方弾けるなんて。」
凛が感心したように言う。

「アハハハ、私なんて全然ですよ。エレキはまだまだですし。それに、セレさんもエレアコですから、純粋なアコギとは少し違いますしね。」

咲子の愛用ギターの「セレさん」は、エレクトリック・アコースティック・ギター(エレアコ)と言い、簡単に言うと、エレキの機能を持ったアコギである。音を拾うピックアップやボリュームなどのコントロールが付いていて、ライヴで使いやすいといったメリットがある。

「私は、エレキしか知らないから…。」
「凛ちゃんには、セレさんの方が馴染みやすいと思います。ちょっと、セレさんも弾いてみますか?」
咲子が凛からクラシック・ギターを受け取り、セレさんを渡した。

ジャカジャーン…。

凛がクラシックとの違いを確認するように、セレさんを試し弾きする。

「…なるほど。確かに、こちらはエレキに近い感じね。クラシックに比べてネックも細いし、ボディも薄いし。」
「じゃあ、凛ちゃんはセレさんを使いましょうか。クラシックなら、私の方が弾けますし。」
「…そうね。今日は、クラシックも貸してくれない?もう少し、どんなものか探ってみたいから。」
「分かりました!」
「…それで、何の曲をやるの?」
「…あっ、そうですね。それを言ってませんでした、ごめんなさい。」
咲子がいたずらっぽく笑う。

「全く…。」
「えっとですね…、『虚空と光明のディスクール』を、弾いてみたいです。」

「虚空と光明のディスクール」は、凛が日向美ビタースイーツ♪に加入する際に提供した曲である。

「ディスクールを?」
「はい。イントロでアルペジオ(単音弾き)のフレーズがありますし、アコースティックで演奏しても、様になると思いまして。」
「…なるほど。なかなか、良い選択ね。それなら、アレンジは貴方に任せてもいい?貴方の方が、そういう世界を知ってるはずだから。」
「はい!…それと、もう一曲、凛ちゃんに歌って欲しい曲があるんです…。」
凛ににじり寄る。

「…な、何っ?」
「それは…。」
咲子が凛に顔を近づけ、耳打ちをする。

「…、それはまた、意外な曲ね。私の世界にはないものだわ。」
「きっと、かっこよくなると思います!」

その日の夜。

凛は、自分の部屋で咲子が置いていったクラシック・ギターと、セレさんを交互に弾いている。

(…エフェクターやアンプを通さない分、弾いたアタックがダイレクトに音に現れるわね。データ上で音を構築するのとは、全く違う世界だわ…。)

アコースティック楽器は、ある意味でごまかしが効かない。もちろんエレキにもそういう要素はあるが、弾いた音の加工が出来ないため、演奏はよりシビアになる。

(感情を乗せやすい…。喫茶店も、こうやって自分と向き合っていたのかしら…。)

咲子の抱えていた孤独に、思いを馳せた。
かつて、咲子は家族との関係に悩み、優等生の殻をかぶって本当の自分を隠していた。だが、まり花たちに誘われ日向美ビタースイーツ♪に加入し、友情を育んだことで、自分の気持ちを素直に伝える勇気をもらったという経緯がある。

(…考えてみれば、私も、喫茶店も…。いや、洋服屋もはんこ屋も、レコード屋に出会って変わったのよね…。各々の悩みを抱えて、それでも前に進んでいって…。)

あれこれ考えながら、とりとめのないフレーズを爪弾く。歪みのないクリーンな音が、凛を包み込む。

(…みんな、同じなのね…。)
凛は、そう思った。

追体験、ではないが、咲子や他のメンバーの心を少し分かった気がした。

数日後。

咲子と凛は咲子の部屋で、ディスクールのアコースティック・アレンジに取り組んでいる。
ただ、大きく構成を変える訳ではなく、演奏パートをどちらに割り振るかの話が主である。
持つギターは、慣れなどを考慮して、咲子がクラシック・ギター、凛がセレさんになった。

「…アルペジオは、やっぱり私より貴方が弾いた方が、音が綺麗に出るわね。」
「そうですね。凛ちゃんは、バッキングを中心にした方がいいです。ボーカルに慣れないギターだと、負担が掛かりますしね。」
「ただコードをストロークするだけでも、ありきたりよね…。弾き語りと変わらなくなるわ。」
「間奏などのソロっぽいフレーズを、要所要所で同じように弾けばいいと思いますよ。」
二人のやり取りに熱がこもる。
音楽性が違うのは良いことだが、バンドで一緒に演奏するには、互いの意思疎通が大事である。

「やっぱりこの曲は、全編アルペジオが肝になりますから、アコギでも世界観は崩れないですね。」
「…そうね。」
「それも、凛ちゃんの書く曲がいいからですけどね。」
「?…と、突然褒めたって、何も出ないわよ…。」
咲子に褒められて、凛の顔が赤くなる。

「本当ですよ。どんなにアレンジを凝っても、元の曲が良くないと意味がないと思います。」
「…あ、改めてそう言われるのも、恥ずかしいものね…。」
「メロディがいいから、歪みだらけの轟音のアレンジにも耐えられるんですよ。」

ゴンッ!
凛がテーブルに頭を打った。

「だっ、だから…、その、轟音って言い方は…。」
「ああっ…、ごっ、ごめんなさい。悪気はないんです…。でも、紅茶やコーヒーでも同じです。茶葉やコーヒー豆の品質が良くないと、いくら淹れ方やお湯の温度にこだわっても、おいしくはなりません。とってもとっても、骨格が大事なんですよ。」
「なるほど…。どれだけ策を弄しても、基礎が良くないとダメということね。」
加工する前の、素材の良さ。
アレンジばかりに目が行き過ぎるのも、メロディそのものの魅力を曇らせることになるのかも知れない。

咲子が納得したように頷いた。

「…よしっ、ディスクールは、これで良いと思います。では、もう一曲の方に行きましょうか。」
「…貴方がやりたいと言った曲ね。あの曲は、原曲はピアノだけでしょ?」
「ギターに置き換えても、雰囲気は十分出せると思います。アレンジ的には、ギターは一本でもいけますから、私はギターで、凛ちゃんはギターなしで歌いますか?」
「…えっ?手ぶらで歌うの?」

凛がギターを持たずに、ハンドマイクだけで歌うというのも、新鮮な絵面ではある。
「それも、落ち着かないわね…。私は、ギターを持った方が良いわ。」
「分かりました。じゃあ、バッキングのコードを鳴らすようにしますか?」
「…そうね。少しでも弾きながら歌う方が、一緒に演奏をしている感じが出せるし。」
「うん、私もそれが良いと思います。じゃあ、その方向で詰めていきましょう。」

アレンジについての話は白熱し、時間が過ぎていった。

「…うん、こちらも、これで良いですね。」
「こんなに話すのも、普段はなかなかないことね…。」
「ちょっと、休憩しましょうか。」
「…もう、お昼もとっくに過ぎてるわね。」
そう。二人はアレンジに夢中になるあまり、お昼を食べるのを忘れていたのだ。

「あっ!本当ですね…。」
「…空腹の感覚も通り過ぎたし、少し休みましょう。」
と、咲子と凛は、隣り合って座椅子に座り、こたつに入った。

「…貴方、まだこたつをしまってないの?もう、4月の頭よ…。」
「アハハ、まだ朝晩は寒いですからね。」
「別にいいけど…。」
「…凛ちゃん。ちょっとだけ、甘えてもいいですか?」
「…えっ?」

凛の答えを待たずに、咲子は凛の胸にふわっ、と、身体をあずけた。

「…ど、どうしたの…?」
「うふふ…、こんなときでもないと、凛ちゃんをひとり占め出来ませんからね。」
「なっ、何を言ってるのよ…。」
と言いつつも、凛は抵抗せず、咲子がもたれやすいように、身体を向き直す。
凛の心臓の鼓動を、咲子は目を閉じて、耳元で感じている。

「…凛ちゃんの音が聴こえます…。…あったかくて、とってもとっても気持ちいいです…。」
「冷たい人がいたら、命の危機よ…。」
凛にもたれたまま、咲子は話を続ける。

「…私は、まり花ちゃん、イブちゃん、めうちゃん、凛ちゃんに出会えて、本当に幸せだと思ってるんです。ずっと閉じこもってた私に、素直に気持ちを伝える勇気をくれたから…。」
「…そう…。」
「凛ちゃんも、同じじゃないですか?みんなに出会ってなかったら、今の凛ちゃんはいなかったですよ。」
「…そうね…。」
凛が、咲子の頭を優しくなでた。手の感触が、髪を通して伝わる。

「えへへっ…、嬉しいです。」
「貴方も…、私も…、みんなが、お互いに助けられて、歩んでいるわね。」
「そうですよ。私は、日向美ビタースイーツ♪が大好きです。」
「…私も、そうかも知れないわね…。」
「うふふ、凛ちゃんらしい答えですね。…苦しくなかったら、このままお昼寝しちゃってもいいですか…?」
「…私は、大丈夫よ。」
凛は座椅子を深く倒して、横になり眠れる姿勢を取った。

「…貴方こそ、大丈夫?」
「大丈夫です。凛ちゃんの胸が、ちょうどクッションになってい」
「却下。」
「…えっ?」
「それ以上言わなくても(以下略)」
「…ご、ごめんなさい…。」
「…冗談よ…。…おやすみ。」
「うん。ありがとう、凛ちゃん…。大好き…。」

凛と咲子はもたれあって手をつなぎ、互いの体温の心地良さを感じながら、眠りについた。

9-2に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?