彗ちゃん「孤高の孤独」

温泉むすめたちが通う師範学校。

日本舞踊部の練習場で、ただひとり踊っている者がいる。

玉造彗(たまつくりけい)。
島根県松江市玉湯町にある、玉造温泉の温泉むすめである。
鬼怒川日向・別府環綺とアイドルユニット「AKATSUKI(アカツキ)」を組んでおり、メンバー個々が高いパフォーマンス力を持つ。

松江市玉湯町は、かつては八束郡(やつかぐん)に属していたが、2005年3月に旧松江市と合併し、松江市の一部となった。
玉造温泉は約1300年前から湧き出ていて、古くから「美肌の湯」として知られている。山陰を代表する温泉地の一つであり、歴史的な町並みが見られる。
島根県は古代より勾玉が盛んに作られているが、玉湯町近くには花仙山(かせんざん)という山があり、勾玉の材料である瑪瑙(めのう)が採掘され、特に青い瑪瑙は「出雲石」と呼ばれているほど貴重であった。そのため、玉造は勾玉の街と言われるほどになった。
また、温泉街にある「玉作湯神社(たまつくりゆじんじゃ)」には、温泉の神様と勾玉の神様が祀られていて、信仰を集める「願い石」と呼ばれるものがある。お守りとして「叶い石」があり、叶い石を願い石に当てて、石の御力を分けてもらうというものである。

♪…。♪…。

雅な音楽が流れる中、彗はゆっくりと流麗に舞う。
彗はスラッとした長身でスタイルが良く、かつ透き通るように肌が白く美しい。白袴の質素な練習着だが、彗の美しさにより、高貴な着物を着ているように錯覚させる。
そして、その動きには一切のよどみやムラがなく、完璧に体の中に振りがしみこんでいるかのようである。

♪…。

音楽が止まり、踊りが終わった。

彗は最後の振りのままで、しばらく止まった。それは、まるで一枚の絵画のような美しさをたたえていた。

「…ふぅ…。最後の右手の残し方が、今ひとつね…。もっと音楽と同時に踊りもピタッと止まって、一体化させないと。」

額の汗をタオルで拭きながら、先ほどの踊りを振り返り、自己分析をする。
舞いの動きはゆっくりであっても、指先からつま先に至るまで神経を張り詰めているため、一時も気が抜けない。そのため、踊り終わるとどっと汗が出る。

ここに他の部員や観客がいたら、皆が口を揃えて「素晴らしい」「見事だ」と絶賛し、拍手喝采だったことだろう。
だが、彗の中では完成度はまだまだのようだ。

「課題をクリアすると、また他の課題が出てくる…。本当に、きりがないものね…。」

常に女子力、自分を高めることを意識しており、自分磨きに余念がない。それは外見のみならず、内面にも及ぶ。
なので、テレビ番組でも中身のないバラエティは苦手である。モットーである「文武両道」のごとく、総合的に高みを目指している。だけど、礼節を失い、規律に反して高みを求めるのは嫌いである。

私たちが頂にいることは当然。

二番手争いはありえない。

最初から二番手を運命付けられているのは、気の毒なこと。
でも、二番手争いは、切磋琢磨しあえるライバルがいる、ということでもある。

私のライバルは、誰?

頂にいる私は、何を目指すの?

頂点を極めると、あとは降りていくだけ…。
そんなことは、一番避けなければならない。

ライバルは、他人ではない。私の中にいる。
楽な方に行くのは、逃げとしか見られないし、何より自分自身が許せない。

天然石はそのままでも美しいけど、勾玉のように、磨けばより美しく、輝きを増す。

昨日より今日、今日より明日。
ほんの小さな一歩でも、前に進まないと…。

まわりに対して厳しいが、自分に対してはより厳しい。
彗は頂点に立つ者の孤独を、温泉むすめたちの中では一番分かっている存在なのかも知れない。

ガラガラ…。

「彗ちゃん!」
部室の戸が開き、彗を呼ぶ声がした。

その声の主は、松江しんじ湖しじみ。
松江市の、松江しんじ湖温泉の温泉むすめである。二人ともに松江観光大使に任命されており、松江市の魅力を伝える活動もしている。

「あら、しじみ。まだ帰ってなかったの?」
「ちょっと居残りさせられそうになって、慌てて片付けてきたのよ。…ねえ、今日は一緒に夕焼けを見ながら帰らない?」

しじみと彗は、たまに夕日を見る仲である。「たまに」というのは、市町村合併で松江市が広くなり、しじみの旧松江市と彗の旧玉湯町は距離が離れているため、タイミングを合わせないと一緒の行動はなかなか難しいのだ。

「…そうね、もうそろそろ帰らないと。部室も閉まるし。」
「じゃあ、着替えが終わるまで待ってるね。」
と言って、しじみは外に出た。

(…わざわざ誘ってくれるなんて、ありがたいわね…。)

私には、AKATSUKIの仲間や、しじみがいるから、本当の孤独ではない。

彗は素早く着替えを済ませ、しじみのもとに向かった。

「お待たせ、しじみ。」
「全然待ってないわよ。じゃあ、帰ろっか。今日の宍道湖も、きっと夕焼けが綺麗に見えるわよ。」
「しじみは、本当に夕焼けが好きなのね。」
「でも、彗ちゃんと見る方がもっと好きよ。隣にもっと綺麗な人がいるしね。」
「何を言ってるのよ、しじみったら。」
二人は他愛もない話をしながら、宍道湖沿いに向かって歩いた。


終わり。

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