もういくつ寝るとお正月

 20代になると、お正月は親戚の集まりがあって、ご飯を食べて…もしくは友人と初詣や買い物に…またはずっと仕事…など、様々な過ごし方になってくる。早い人は結婚をして子を持ち、お年玉をあげたり、もらったりということもあるだろう。昔は当たり前だった年代だろうが。

 私の場合、親戚の集まりや仕事というスケジュールで、年末から正月は慌ただしく過ぎていくわけだが、近年は毎年色々思うところが出てきた。

 私も成長し、社会人になってみると、やはり周りはそれだけ年を経ていて、近年はそれに気付かされる年越しを迎えている気がする。今年から来年の予定を親から聞いたとき、これまでと違い過ぎて過去数年をすぐ振り返っていた。
 2010年代になってから、周りの親戚が病に伏したり、祖父が病気になって亡くなったりした。祖父は病気がわかって入院し、正月と3月のお彼岸に1,2週間程外泊をもらって4月には亡くなった。あっという間だった。そして喪中でお正月を過ごす年があった。その後、今度は話し相手が居なくなった祖母が認知症になった。以前はおしゃれに気を遣い、髪も丁寧にセットしたりしていた祖母が、身だしなみを気にしなくなったり、同じことを何度も繰り返すようになった。皆仕事があるし、倒れて入院した後、リハビリの病院に転院した。ある正月、外泊し、皆でおせちを食べた。和やかに会は進み、やがて施設へ戻る時間となった。私と母は祖母を車に乗せ、病院へ連れて行った。その時、少し様子がおかしい感じがした。予感は的中し、その日の夜、脳梗塞で救急搬送された。入院中は数度お見舞いに行ったが、施設へ移ってからは場所が分かりづらいのと忙しいのとで足が遠のいていた。そんな時期、なんとなく、また予感がした。

後悔しないように、行動しないと

 そんな矢先、また祖母が脳梗塞になった。今度は発見が遅かったのか、数度目だからなのか、言語障害に麻痺と、ほぼ意志の疎通が取れない状態になっていた。それでも、祖母は祖母で、少し痩せてはいたけれど、私を認識しているのがわかった。手を握り返す力、何かを訴えようとする目。祖母には会いに行けず、寂しい思いをさせてしまったかもしれない。けれど、言葉が交わせなくなったからこそ出来たコミュニケーションがあると私は思う。祖母の状態に多少のショックを受けつつも、私はとても穏やかな気持ちで彼女と面会し、接せられたのだ。
 来年の正月はそれぞれの家でご飯を食べてから親戚で集まり、祖母のお見舞いをし、カラオケに行く予定だという。色々思うところがあるかもしれないが、楽しめるといいなと思う。(しかし、正月のカラオケは人が多そうで少し怖い)


 子どもの頃は当たり前のように祖父母の家や親戚のところへ行き、お年玉をたくさんもらって親戚の子どもたちと遊んで、少し宿題をしたり、もらったお年玉でゲームを買ったり、使いみちを決めたり、楽しいお正月を過ごした。それが当たり前だと思っていた。
 成人し、当たり前に年が過ぎゆくのを、毎年のルーティーンを、出来なくなっていくのが悲しくはあるが、それも1つの年の重ね方なのだろう。

 日常の中の、こうした変化にしっかりと目を向けられ、それに則した考えや行動に移せると比較的自分が楽になる気がする。当たり前を当たり前と思わず、小さな違いを受け止めて1日を大切に過ごしたい。

 貴方にとって素敵なクリスマス、年越しとなりますように。

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