マガジンのカバー画像

聾学校時代

38
幼稚部から中学部まで13年以上通った聾学校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
運営しているクリエイター

#一般学校で学ぶ

私には小学生に上がる前の記憶がほとんどない。驚きにあふれた世界で、子どもらしく生きること。

聾学校幼稚部の年長のときだったと思う。 教室の棚にセロテープがあった。セロテープの歯にそっと人差し指の腹を当ててひっかくと、うっすらと縦何本かのひっかき傷ができる。だが血は出ない。 これを「発見」した私は興奮した。この驚きを誰かに伝えたかった。近くに、1つ下の子がいたので呼び、喜び勇んで教えた。その子も、おおおと驚き、セロテープの前で、2人で興奮していた。 幼稚部にはホールがあって、ホールに3つの教室が面していた。教室への出入りには、ホールを通ることになる。 セロテープ「発

もっと早く手話と出会っていたら。聾学校は手話からあまりにも遠い世界だった。

今、私は一日のすべてを手話で過ごしている。職場で同僚との会話は手話。家では、夫や子供たちとの話は手話。友達との会話も手話。手話ができない人たちとは、筆談をする。 だが、私は高校を卒業するまで手話ができなかった。聾学校を幼稚部小学部中学部までと13年間過ごしたが、中学卒業の時点で、私が知っている手話といえば、1~10までの数字、「男」「女」「嘘」「でたらめ」くらいしかなかった。 その後入った高校は、聾学校高等部ではなく、一般の高校。聞こえない生徒は私1人。3年後の高校卒業時に

「障害を乗り越えて」なんかいなかった。乗り越えたいとも乗り越えようとも思っていなかったが、みんな私を、おいてけぼりにしていった。

私が聾学校中学部から地域の一般高校に入学したのは、当時珍しいことだった。何しろ、新聞に載ったのだから。いまから20数年前の話である。 聾学校に新聞記者がきて校長室で取材を受けた。同席したのは、担任の先生と校長先生。 校長室のソファに初めて座った。初めての座り心地を堪能する間もなく、取材が始まった。記者が私に何かを言った。口は見ていたが、読み取れずまったく分からなかった。そっと周りを見回したが誰も私に教えてくれる雰囲気はなかった。質問の内容を予想し、回答しはじめた。すると隣