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聾学校時代

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幼稚部から中学部まで13年以上通った聾学校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
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2021年7月の記事一覧

聾学校から一般高校への「インテグレーション」へ向けて、私は自身の葬列を歩いていた。行く先にある冷たく暗い何かを大いなる楽観で覆い隠そうとしていた。

聾学校など障害児に特化した教育を行う学校ではなく一般学校で、障害児・生徒が教育を受けることは「インテグレーション」あるいは「統合教育」と呼ばれた。当時、インクルーシブという言葉はまだなかった。 今でこそ、聾学校中学部から一般高校に進学する事例は珍しくないが、私が聾学校にいた当時はとても珍しいことであった。 珍しかったのは、大きくは以下2点の理由によるだろう。 第一に、そンテグレーションの時期だ。 インテグレーションするのは、小学校にあがるタイミングあるいは、小学校低学年で

困惑と萎縮と恥を一緒くたにした表情に笑顔をのせた母は「迷惑をかけないように」と私に言った。絶対的な母はもう居なかった。

入学前の春休みに、私を受け持つ担任の先生が我が家に来た。これからの高校生活にあたっての「事前相談」だ。50代の男性だった。新聞で取り上げられた輝ける私の「実態」もとい「様子」を見にきたのだ。 その先生は、何か私に話しかけたが私はまったく分からなかった。その様子をみていた母が、その会話をひきとった。 そのとき母は、困ったような悲しいような、それでいて、最低限の社交としての笑顔をふりかけのようにパラパラと顔全体にまぶした顔をしていた。私はその母の表情を初めて見たと思った。 その後