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聾学校時代

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幼稚部から中学部まで13年以上通った聾学校時代のNoteをまとめています。 ※マガジン分類は今後変わることがあります
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2021年3月の記事一覧

私は、自身の本の世界を聾学校に持ち込まなかった。読書感想文コンクールについても同様で私は、聾学校図書室にあっただけの本について書いた。

聾学校小学部と中学部合同の行事として、毎年、読書感想文コンクールがあった。入選は小学部中学部の生徒全体で、1,2人、佳作は5人ぐらいだったかもしれない。小学部と中学部で、入賞を分ける基準があったのかどうかは分からない。 私は小1、小2のとき、2年間続けて「入選」した。 当たり前だ。母と二人羽織で書いていたのだから。そのことに、私は違和感は持たなかった。その前の聾学校幼稚部時代では、毎日日記を暗唱したが、その文章のベースは、母が書いたものであった。読書感想文を母と一緒に書くこ

聾学校にやってきた人形劇団は、字幕も手話もなしに、人形を操った。人形劇を見る私たちも、「人形」さながらに、鑑賞した。

聾学校にいたとき、何か演劇を文化会館まで見に行ったことがあった。何かチャリティー企画の観劇に招待されたのだと思う。 聾学校の友達のみんなと文化会館に行き、座って見た。どういう内容だったのか全く覚えていない。1~2時間、私たちは座って見た。字幕もない。私はただボーっと見つめた。確か夜の上演で、劇が終わったときは21時を過ぎていた。文化会館を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。夜の時間帯に、学校の友達と外に出ていることがなんだか楽しかった。 聾学校に人形劇団がやってくること

聾学校では2~3年勉強が遅れるのが当たり前だった。私は聾学校の勉強に見切りをつけ、自分で管理をしながら勉強をした。

小学2年生になった私は、聾学校の算数で、かけ算を学び始めた。 私はかけ算を声を出して覚えだした。また、親に買ってもらった、かけ算パネルのおもちゃで家で遊びながら、覚えた。 1の段、2の段…と、一段ずつ暗唱したのを別々の先生に聞いてもらい、間違えずに言えたらスタンプをもらうスタンプラリー企画を、担任の先生がたててくれた。スタンプラリーを1つずつ進めていくのは楽しかった。最後になる9の段は、校長先生だった。校長室に担任の先生と一緒に行き、校長先生の前で暗唱した。校長先生は、スタ

高校合格の新聞取材で、将来の夢は先生になること、と私は口に上せた。しかし、私は全く先生になるつもりはなく、考えたことすらなかった。

聾学校から高校受験をし、合格した私は新聞取材を校長室で受けた。 新聞記者の問いかけはまったく私には分からず、担任の先生に任せて私は黙っていた。担任の先生はしゃべっていた。時折、水を向けられては、言うべき答えを一足飛びにもらい、それを私は復唱した。 取材の終盤のあたりで「将来の夢は?」と聞かれた。私はその質問を担任の先生から伝えてもらった。 将来の夢?中学生の私は、そういうことを長らく考えたことがなかった。幼稚部の頃は、歌手もしくはアイドルになりたいと思っていたそうだが、いつ