パラリンピックの違和感

パラリンピックって違和感がありませんか?

なかった頃に比べれば、障碍者スポーツの認知度向上に貢献しているのであったほうが良いと思います。でも、なんでオリンピックと別なんでしょう。

100m走だって男と女で分けられているんだから、そのまま『100m男子片足障害』『100m女子片足障害』『100m男子車椅子』……と、同じフィールドで開催すればいいのに。

そもそも、健常者と障碍者という区切りの時点で疑問があります。

電車の席や場所を譲るとして、車いすの方にも、乳母車を引く方にも、大きな荷物を持っている方にも、足元が覚束ない老人にも、顔色が悪い若人にも、私は同じように対応します。

それを、障碍者に対してだけ「可哀そうな人だから○○してあげなくちゃ」とか、「辛いのに頑張ってるね」なんて上から目線で見る人達は、自分より下に人を作らないと自らの心の貧困さを隠せないという劣等感でも持っているんでしょうか。


ハッキリと覚えていないのですが、小さいころに通っていた幼稚園には、生まれつき足が悪い子がいた……らしいです。親や友人達の話によると、私も一緒に遊んでいたみたいだけど、ちゃんと覚えていません。なんで覚えていないかというと、その子が『特別』では無かったからです。

幼稚園側はその子を特別扱いしなかったし、無垢な子供ならなおさら。かけっこが苦手な子がいたら砂場や積み木で遊ぶし、ボール投げが苦手な子がいたら鉄棒で遊ぶ。靴を履くのが大変そうなら手伝うし、外で遊びたくないと言う子がいたら先生のところに絵本を持って行って読んでもらう。これが『普通』でした。

かけっこが苦手な子、ボール投げが苦手な子、読書が苦手な子、木登りが苦手な子、色んな子がいて当たり前でしょう。どこに区切る必要があるのでしょうか。


今朝の東京マラソンで街中を疾走していく車椅子(?)を見てカッコいいと思いました。大会規定に特段の規定が無いのなら、私も車椅子の部で参加できるのでしょうか。もちろん、1年や2年のトレーニングでは到底敵わないのは承知してますが、やってみてた上で、あの方達の偉大さに触れてみたいと思いました。