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日記12 ナイトドライバー

最近、低気圧に滅法弱くなった。
雨が降ると気持ちが落ちる。元から怠惰なのが、輪をかけて怠惰になる。なので、自分の性格を色々見直してしまう。

自分の心の支えであり、ストレッサーでもある趣味「プロ野球観戦」。毎日テレビを観ながら一喜一憂しているわけですが、プロ野球選手にも色んな人がいる。

その中で、中日の福谷浩司投手がやっている変わったチャレンジが、「毎回の登板結果について、ブログで自己反省・整理する」というもの。福谷投手は、先発投手という、一週間に一試合、試合の最初から投げてチームに流れを作る非常に大事な仕事。そんな週イチの大役を務める上で、自分の投球の感想、一週間練習で意識したこと…なんかをnoteにまとめている。

こういうの、もともとやってる選手はいただろうけど、それを誰でも閲覧できるブログに丸々載っける、ということは前代未聞だった。そしてそういう記事を読みながら、「これは自分でもやってみたら良いかもな」と思った次第です。



昨年秋から続くカウンセリングはいよいよ(ようやく)本質を突き、次第に対処法へと話は移行した。
カウンセリング、昔は「自分の悩みや迷いを、人に話すことで言語化して整理し、スッキリする」くらいの役割だと思っていたけど、ここ数ヶ月はそれ以上に、今まで漠然と抱えていた自分の本質に気付くことができるようになった。

以前、カウンセリングの一環で「WAIS」という知能検査のようなものを受けた。その結果も踏まえて、自分の不安や悩みがちな性格の根本は「情報過多」なのだとわかった。

すなわち、一つの物事をやるにしても、「他のことが気になって集中できない・やることの羅列にプレッシャーを感じる・自分の行動に対する他人の反応を邪推してしまう」ということ。検査の結果に照らし合わせるならば、自分は「知覚推理(非言語的な情報を基に推論する力)」が平均より高い。いろんな情報を集められる。

そして、それらの情報を前にフリーズする。

平たくいえばそんなこと。例えばある大きな仕事をする時…

①「忘れ物はないか」「把握している時間(集合時間とか、期限)は正しいか」といった、前提に関する不安。「こんなの普通にできるのが当たり前です。社会人なんだから」という、常識で有ることがわかっている故に、そこの漏れがないか不安で不安で仕方ない。

②「失敗したらヤバい」「怒られそう」「周りの反応が怖い」という、仕事とその結果に対する不安。これがまあ、そんなの気にしてたら何も……って話になるわけです。

③「失敗しない能力は自分にあるか?」「体がもたないんじゃないか?」という、自分のキャパシティに対する不安。これはフィジカル・メンタル両方についてのこと。

このような不安を「羅列する」能力はあるけど、それらを「いや、まあ大丈夫だって」と処理or自己説得できないので、一個の仕事に対する精神力の消費が半端ない。


「そんなのやってみないとわからんやん!」
「誰も気にせんて!」


…という問題ではない。「気にする」んだよ…。

そして、この「気にする病」の何がマズイって、これは時間経過ではどうにもならないこと。むしろ先のことほど早いうちから気にしちゃうし、仕事が終われば気にしなくなる、ということでもない。フィジカルの疲れはお風呂や睡眠によって回復できるけど、メンタルの疲れはそうもいかないし。こういうこともあって、先述したように一つの仕事でフィジカルの何倍もメンタルが消耗するんですね。

ただ、そんなこと言ってたら何もできないわけで、一個一個やれることを増やしていきましょう……というレベルをまずはやっているのです。



そして今一番の課題は車校。これは、「自分の不安に対する向き合い方の現状」を如実に顕現させてくれるし、それ故に「こうしよう」という対処法を考える余裕や思考に持っていける、絶妙にライトかつハードな「仕事」なのです。

運転は未だに怖い。なぜかって、人の命がかかっているから。自分の命はまだいいにしても、同乗者や自分の周囲にいる人・車にも責任が及んでいると考えると、常に気を張ってやらなきゃいけない。なので、当たり前だけど運転中は必死。1コマの50分は体感20分かそこら。特に路上教習が始まり、路上を走っているときは常にテンパってる感じ。歩行者の有無、信号までの距離、黄色になりそうだけど強行する?止まる?の二択、カーブは?制限速度は?車間距離大丈夫?……などなど。あまり意識しすぎるとかえって一点集中になって危ない……とわかってはいるんだけど、やっぱりひとつひとつの情報を処理しているうちに、余裕がなくなっていくんよね。で、とりあえず速度を落とす……といきたいんだけど、速度を落としたら落としたで今度は後続への迷惑が……!どうする!どうする俺…!毎回、脳内はさながらパニック映画状態なわけです。

とはいえ、現状では横に教官がいて、常に本当にヤバい時のブレーキが準備されている。よっぽどまずいことをしない限り、自分が死ぬことも他人に危害を加えることもないはず、という割り切りもさすがに多少は出来た。なので、とりあえず情報を処理することに慣れていくしかない…という切り替えができるようになった。

こんなことも踏まえて、要は自分に必要なのは「いかに割り切れるか」なんだ、という至極当たり前なようで、でも重要な心理がやっとわかってきた。正直、自分の能力が人より著しく劣っているわけではないという自負もあるし、その気になった時はそれなりに実力を発揮できる自信も経験もある。それを引き出せるのは、「失敗しても大丈夫だわ」或いは「失敗したらしたでその時はその時」という思い切り、割り切りなんだと改めてわかった。

ただし問題なのは、現時点での自分の力では、この割り切りの発動条件が他力依存なこと。つまり、ある程度バックアップしてもらえる環境が整っていないと割り切りの根拠がないので結局オロオロしてしまう……という話。そして、いくらゆとり世代が社会の構成員に占める割合が高まってきているとはいえ、それが叶う環境の方がレアだよね、そんなに甘くないよね、ということもある程度は理解している。

で、ここまでの長〜〜〜い話をまとめると、

①自分の不安の出どころは「情報過多」であること。
②でも「バックアップ体制」があれば、ある程度の「割り切り」によってスイッチが入る。
③後はこの「バックアップ体制」がない場面でいかに自主的に組み上げ、割り切りに繋げられるか。

という……3ステップでまとめられるような、でも自分にとっては今後に関わる深刻な問題で、それは人によっては「今更そんな話を……」「甘えるな!」ということかもしれないけど、(そして前者にはぐうの音も出ません)向こう数年或いは死ぬまでつきまとう課題なのです。それだけに、一刻も早い解決を目指したいし、ただ逆に「無理やりな解決」ではなく、心から自分が納得できる解決でないと意味がないとも思うわけで。手術や入院で改善の余地があるフィジカルよりも少しばかりたちの悪い、メンタルの病気は先が長いなぁ……と書きながら思いました。


で、急に最初に戻るけど、こういうことをずっと考えるようになったのも、就活があるから+「気候」。マジで低気圧ダメ。あとこれは全人類共通だけど湿気。全身が重い。ベタベタしてる感覚。既に東海も梅雨入りしたそうで、これからしばらくこんな感じなのね……という悲壮感が続いている。

とはいえ!楽しいこともある。今生きるモチベーションがないわけじゃない。8月には人生で最後となるかもしれない自主企画のライブもあるし、何より車校を卒業すれば運転ができる。先日、アメ研の人たちと深夜に海に行って以来、夜のドライブの味を知ってしまった。別に運転してたわけじゃない(してたら捕まります)けど、でも良かった。これを自分でもやりたい!という思いが強いのです。

泡沫を駆けるナイトドライバー
この夜が続けばいいと思った

なんてな!(????)
※わかる人にだけ伝わればいいです。




暮れかかる都会の空を
思い出はさすらっていくの
光る風 草の波間を
かけぬける私が見える

青春の後姿を
人はみな忘れてしまう
あの頃のわたしに戻って
あなたに会いたい

今 愛を捨ててしまえば
傷つける人もいないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで帰るわ あの日に

(あの日にかえりたい/荒井由実)