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日記30 生きることと知ること

今回は、精神障害を持ちながら働くことを目指し始めてちょうど1年ということで、今思うことを色々と、とりとめなく書いていこうと思います。


知ること

この1年間、精神障害やライフプランについて、様々なことをインプットすることができた。

例えば、そもそも精神障害ってなんだろう。色んな病気や症状がある。今通っている就労移行支援事業所にも色んな人がいて、人の数だけ障害のカタチもあるんだな、と思う。

自分のことで言うならば、注意欠陥多動性障害というのはある意味「手広い障害」に見えることがある。診断に際しても色んな説明を受けたし、企業さんに説明するときにも「自分の場合は…」とより具体的な症状を話さなければならないぐらいに様々なのだ。集中力が切れてしまう人がいれば、逆に集中しすぎてしまう人もいる。いい方向にはたらくものもあれば、パフォーマンスに影響してしまうものもある。多様性の病気、ともとれるこの障害について、自分や自分と同じようにこの症状と付き合いながら生きている周りの人達を通じて、色んなことを理解できた。

それは単に症状のバリエーションが豊かである、ということだけではない。それに対する対策や工夫も色々あるし、或いは障害者雇用の中で企業さんと確認しながら依頼する「配慮事項」についてもそうだ。この「配慮事項」というのは難しい。支援員の人もよく話しているが、配慮事項というのは「その配慮がもらえたら、自分の持つ最大限のパフォーマンスを発揮できますよ!(或いは、健常者と同じパフォーマンスが発揮できますよ!)」というものであって、「甘え」ではないということ。本当に必要な配慮なのか。どこまで配慮してもらって、どこからは自分の工夫で戦っていくのか。その線引をしたり、必要な配慮を考えるためには、第一に「自分を知る」ことが必要で、それが一番難しいということもだんだんわかってきた。

障害を持ちながら生きていく為には、たくさんのことを知っていなければならない。それは障害のこと、国や市の補助制度のこと、自分のこと…などなど。一般論で括りにくい立場として生きていく以上、能動的に一般的以上の情報をかき集め、知ろうとする心持ちでなくてはいけないということが身にしみた1年だった。

そして生きるために頼ることの重要さもそう。障害を持つようになってしばらくの間は、支援員からのサポートに対して「そんなことから(まで)?」「そんなことしなくてもいいのに…」と懐疑的に感じてしまうこともあった。成人になって自立していこう(或いは、自立していかなくてはいけない)という時期にあり、実際に周りの人達がそうなっていく中で、それと逆行するようなことに対する不安や恥じらい、邪魔するプライドがあったことも確かだ。

しかし、そういうことではないのだと気づくようになった。「そんなこと(配慮や助け、支援)をしてもらわないと生きていけない」のではなくて、「それをしてもらえることで、より良い自分でいられる」ための支援なのだ。こと就業にあたって、色んな症状と共存していくことはできなくないかもしれないけど、それを耐え続けていくことで自分がどうなってしまうのか。それを考えた時に、「どうせそうなるなら、アシストを貰いながらでも自分のやりやすい環境で、MAXのパフォーマンスを発揮できる状態でやるほうが、結果的に良いよね」という考え方が芽生えたことは自分にとっていい変化だった。それが先述した「配慮事項を考える」助けにもなったし、積極的に人を頼る姿勢を(全面に押し出さないまでも)どこかに取っておくことが自分には必要なのだ、と思えるようになった。

実際、そうすることで楽になったこともある。自分の迷いをはっきり伝えられるようになったり、環境を整えてもらうことでより効率よく仕事を進めることができるようになって、その中でさらにこの感覚が養われてきたんだなと実感する。


さらに、知ること

そしてもう一つ。「自分は思ったよりも出来ることがあるんだな」ということだ。決してうぬぼれているわけでも、また元々の自己肯定感が地を這うようなものだったわけではない(と思う)。就労移行支援事業所では、色んな作業や仕事がある。中には、「そんなこともやるの?」というものもある。しかしそれが意外と難しくてうまくやれなかったり、逆に意外とできたりするのが面白い。苦手なものでもやりながら工夫できるようになると嬉しいし、達成感もある。

そしてそれは、支援員さんの巧みなテクニックの賜物なのだな、と思うこともある。支援員さんは、よく褒めてくれる。細かいところまで気づいてもらえる(し、それはつまり「細かい所作まで見られている」という緊張感にも繋がるのだが)。そしてその褒められるということは、こちらの自己肯定感やテンションを上げてくれている意味合いもあるのかもしれないが、個人的にはじんわりと抱いている「できたかも」「良かったかも」という達成感のタネみたいなものを、形として具現化することでより強く実感させるためのアシストをしてくれているのだ、と捉えるようになった。

過去のアルバイトの経験からしても、実際の仕事において何から何まで見てもらい、たくさん褒めてもらえるということはそんなにないと思う。しかし、障害という大きなモノを背負って企業に自分の価値をアピールするためには、自分の価値をより確信や自信を持って伝えなければならないのだとわかってきた。

この支援員さんからのアシストは、その自信の材料を増やし、質を高めてくれるものなのだと思う。正直最初は、「そんなことで褒められなくても…」と恥ずかしくなったり、「そんなことを褒められる感じなんだ…」とショックを受けることもあった。しかし、面接に向けて自分のそんなに多くはない「良いところ」の引き出しを引っ掻き回していると、案外その褒められた経験が思い出されることがある。それはエピソードにもなり、「実際に言われたことだからね。嘘じゃないからね!」とアピールする自信だったり、それを強みとすることを自分に納得させる根拠にもなる。

この「褒められること」について、お世辞やレベルどうこうといった穿った見方をしないようになるには少し時間がかかった。が、今では少なくとも1年前より、素直に受け止められるようになってきたと思う。支援には必ず何かの意味があって、その意図はわかったほうが良いときもあるし分からないままのほうが良いときもあるんだろうけど、この褒められるという「支援」については、わかったことでより自分にとって意味のあるものになったと思う。「自分は思ったより出来ることがあるんだな」ということを、自己肯定感だけでなく自己理解として客観的に、冷静に受け止められるようになったことは、この1年間で最も自分が成長したところかなと思ったりする。


さいごに、知ること

今の就労移行支援事業所を利用しようと決めた時に、当時見学を担当してくれた支援員の方に言われたことを思い出す。当時利用を迷っていたところは2箇所あって、今の事業所は「環境的には人が多くてガヤガヤしていて、カッチリキッチリ進めていく厳しい感じのところかな」という印象だった。もう片方のところは、どちらかというとのんびり、自分のペースでじっくりという空気だった(どちらに優劣をつける意図もない)。自分の今後に関わることとしてすごく迷ったし、自分で決めることが大事だよ!とも言われていたので、かなり時間がかかってしまった。そこから結果的に今の事業所に決めたのは、「そういう職場に近い環境にいることで、自分がどういう反応を示すのか。何ができて何ができず、何に困るのか。それを知るのもすごく大事な経験だと思うよ」という支援員さんからの言葉だった。

1年経った今、改めて思う。知るというインプットのフェーズを経て、これからいよいよそれをアウトプットするフェーズへと進もうとしている。(もちろん、まだまだインプットすることがたくさんある)そんな今だからこそ、障害を持って生きるためには「知ること」がいかに大事なのかがわかってきた。

来年の今頃、自分はどうなっているだろう。ちゃんとキビキビ働けていたらいいなと思う。そしてその頃には、もっと色んなことを知り、気づけていたらいいなとも思う。


生きてるってことは輝くこと
誰かに見つけてほしいんだよね
生きてるってことは考えること
僕はどこから来てどこへ向かう?

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