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Yamabiko

確か2014年、今でいう「未確認フェスティバル」がまだ「閃光ライオット」だった時代、試しに行ってみたのが初めてだった。その頃はバンドすらしてなくて、というかそもそも長らく田舎に住んでいたので、ライブハウスというものに行ったことがなく、おそらく人生で初めて入ったライブハウスだった。そのころはとにかく広くて、音もデカくて、そのステージに自分と5つほどしか年が変わらない人が立っていることが信じられなかった。

数年後、バンドをやるようになって、スタジオカナディアにも行ったし、SPADE BOXにも出たし、HeartLandにも観に行ったし、何なら大学に入ってアポロベースにも出ることができた。そしてその都度、「ダイヤモンドホール」の文字を見ては、「いつか出たいなぁ………」となんとなく思ってた気がする。で、ついに昨日(25日)、そのステージに立つことが叶った。

意味もなく楽屋をウロウロしては、「あ~ここをパスピエとかポルカが使ったんだなぁ~」とニヤニヤしたり、袖からチラッと除くステージを見ては、「あ~本番前パスピエやポルカもここで待ってたんだなぁ~」とか、「ここでアンコールの衣装替えとかしたのかな~」とか思ってるうちは気楽でよかったし、ゆったりした時間だったんだけど、やっぱりステージに出るとあっという間だった。

本当はステージに上がって、そこから写真撮りたいくらいだったんだけど、さすがに余裕がなくて、でもやっぱり広かった。普段椅子に座って奥の方にいるから余計にそう感じたのかもしれないけど、なんとなく靄がかかったようなスモーク越しの照明は、ちょっと熱くて、でも確かに客席からずっと見続けてきたそれだった。

今回は「SE」という形で、最初にキーボードの導入を弾いてもらうことにしたんだけど、それもやっぱり正解だった。人生の師であるMr.Childrenがよくやるやつ。曲前に長めのピアノソロがあって、そこから曲が始まる、という、何度も何度も観てきた流れを再現してくれたメンバーに大感謝。

さて、一曲一曲の感想をこの調子で書いていたら終わらないので、今回のタイトルでもあり、ライブの出だしで演奏した「Yamabiko」という曲について、だらだらと書いていこうと思います。

この曲は、というかこの曲も、Mr.Children、というより桜井和寿リスペクト(歌詞とコード進行)が8割、そしてスキマスイッチリスペクト(メロディー)2割で構成されている。そこから影響を沢山受けて、かなり引っ張られた部分も大きいんだけど、そもそもこの曲の根っこは「春の歌」というテーマがある。

「花火(夏合宿)」、「遠い街へ(学祭)」、「冬の匂い(定演)」と、季節にまつわる曲を毎回Onjukでは演奏してきていて、なんとなく「春の歌」があれば四季って感じでちょうどいいな、となんとなく思っていて、そこから考え始めた。で、ライブは2月25日、つまり卒業シーズンということで、「出会い」ではなく「別れ」にシフト。かつ、よくある「桜ソング」というよりかは、桜をメインに据えずに、でも春らしい表現を含めて「春の歌」というお題をクリアしよう、というのがこの曲のとっかかりだった。そこでまず参考にしたのが、桜(櫻)井和寿の活動の一つ、 Bank Bandの「はるまついぶき」という曲。歌詞を引用すると丸パクリなのがバレるので、知りたい人は各自調べてください。そこから、頭の歌詞を書いた。

目を閉じたまま浮かべた 何の変哲もない景色 響く話し声
渇いた記憶の向こう側 投げかけた言葉たち あなたが笑って聞いてる

一応、「Yamabiko」の中での話で言うと、冒頭の部分は過去の回想という感じ。ただ、ここに込めた考えはまたあとで出てくるので、そこで書きます。

暗がりの中で浮かんだ 裸電球みたいな小さな灯り
この長い夜が明けるまで 側で照らしていてほしいんだ
それなら強くいられる

ここでの「裸電球」は、Mr.Childrenの「もっと」という曲からの引用。だいぶ昔、理科の実験キットで豆電球と銅線と電池ボックスがあって、そこに単2電池を入れて指で線をグッと抑えると、豆電球が光りました!みたいなのがあって、ちゃっちい豆電球なので明るさは大してないんだけど、すごくテンションが上がってた。
進級ならともかく、卒業とか、特に遠くへ離れたり、ガラッと環境が変わる時って、色々と不安なもので、どんなに小さな安心感でも欲しくなるよね。なりません?

転んですりむいて起き上がった時の
景色も変わっていた
あの山の向こうに 鎌首をもたげた
僕の未来が待っているんだろう

 Bメロ前半は「旅立ちの唄」のオマージュ。この曲、ミスチルの好きな曲ランキングかなり上位なんだけど、あんまり知られていないので、みんな聴いてください。

転んだ日は 遥か遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん
(旅立ちの唄/Mr.Children)

こういう表現の仕方がすごいなぁと思う。基本的に「Yamabiko」の主人公は、将来を悲観的に見ていて、1番のAメロ2回分は「過去の回想」と「安心感の渇望」と来ている。で、Bメロでは「気づかないうちに成長して、もう大人になってしまっていて、【山】の向こうには(これから旅立つ先の街には)、【鎌首をもたげた(よくない事が起きそうな)】未来が待っているんだろうなぁ~はぁ……」とめっちゃ落ち込み倒している(ちなみにこの「鎌首をもたげた」は、hypnosisという曲の「自分に潜んでた狂気が首をもたげて」という歌詞からきている)。で、この「山」が、この曲を貫くキーワードの1つでもあるし、結局全体の歌詞に一度も登場しない「Yamabiko」という曲名を導く序詞になっている。そして1番のサビでもまだ過去の事を思い返していく。

声を枯らして 息を切らして
二度とこない今を共に歌った
桜が咲いていた 花鳥が鳴いていた
忘れられそうにはないな
あなたを あなたを
あなたの その声がまだ響いているんだ

ここは幼少期?の記憶ゾーンって感じ。「声を枯らして息を切らして歌った」というのは、要するにさっきの「山」に向かって叫んでるということ。その声がまだ響いてて寂しいよ~~~~~というだけの部分。
そしてそこに「桜」を差し込むことで、「春の歌ですよ~」ってことを伝えようとした結果がこれになった。

ずっと見えていた景色を忘れていくのが怖くて
形に残してた
でもどこかが埋まらなくて
贅沢だってわかってるんだ でも離れられないや

なんだかんだこの曲で一番言いたいのがここかもしれない。ちょっと前に祖母が亡くなった時、そういえば祖母の写真とかってほとんどないなと思いながら家に帰ったら、唯一、だいぶ前に来ていた留守電を消してなくて、そこに肉声が残っていた。写真ももちろん大事なんだけど、やっぱり生きて、喋ってる音だったり、動いてる動画だと、その人が生きていたんだな、その人と一緒にいたんだなという感覚が個人的には強い。なので「形に残してた」んだけど、結局それもそれで二次元なわけで、直接会って触れて話してっていうことをしないと得られないものもある気がする。
この主人公も、もういい大人なんだからちゃんとしないと、といいつつ、やっぱり過去に執着してしまう、というジレンマにハマっている。

でここからCメロと最後のサビなんだけど、ここはもうわざわざ取り上げるまでもないくらいに、最後まで結局過去と決別できずに終わっていく。makerugakachiの「追憶」は「前を向いて生きていこう」なんだけど、「Yamabiko」は「ただただあなたが忘れられないんです」っていうだけの歌で終わる。けど、これもこれでアリかなと思うのは、結局いくら前を向こうと思っても、心が追いつかないことってある気がする。辛いときは辛いって言いたいし、しんどいときは「だからどうしなきゃ」とかなしにとりあえずしんどい。素直に言ってみるだけでもいいじゃない?というノリ。

なので、最後に改めて歌詞を全編載せますね。ライブ映像、広いホールで歌がとても綺麗に聴こえるので、ぜひ見てください。デモ音源は、ちょっと作りが雑だけど、どんな曲かはよくわかると思います。

Yamabiko/Onjuk

目を閉じたまま浮かべた
何の変哲もない景色 響く話し声
渇いた記憶の向こう側
投げかけた言葉達 あなたが笑って聞いてる

暗がりの中で浮かんだ
裸電球みたいな 小さな灯り
この長い夜が明けるまで
側で照らしていてほしいんだ
それなら強くいられる

転んで擦りむいて起き上がったときの
景色も変わっていた
あの山の向こうで 鎌首をもたげた
僕の未来が待っているんだろう

声を枯らして 息を切らして
二度と来ない今を共に歌った
桜が咲いていた 花鳥が鳴いていた
忘れられそうにはないな
あなたを あなたを
あなたの その声がまだ響いているんだ

ずっと見えていた景色を
忘れてくのが怖くて 形に残してた
でもどこかが埋まらなくて
贅沢だってわかってるんだ
でも離れられないや 

回り続ける 時の中でいつしか
記憶が消えていこうとも
他のどこか 心の深い場所が
あなたを今日もずっと探してる

声を枯らして 息を切らして
投げた言の葉たちが聴こえた
桜が散っても 夏が過ぎ去っても
忘れられるはずがないんだ
あなたを また今日も僕は探してるんだ
あなたの いつもの声が今日も響いた