日記35 三ヶ月目の雑記
(※個人的な見解です)
「障害者」という立ち位置になって約2年。そして、障害者として働き始めて約3ヶ月。自分なりには激動な日々が続いてきたと思う。家にお金を入れつつある程度の遊び銭で趣味の幅が広げられるようになった一方で、電車には「福祉乗車券」と書かれたICカードを使って乗っている。自立しているようで自立できていないし、果たして社会人と自分の事を名乗ってよいのかわからない程度には、微妙な立ち位置で生きているように感じる。そんな現時点で思うことを、勢いで書き残しておく。
2023年の春頃、就労移行支援事業所にいた時のこと。「感情を理解しよう」という講座を受けた。人間関係のトラブルに関するイラストを見て、「どう言えばトラブルが起こらなかったかな?」とみんなで話し合うというもの。トラブルの中身は、いわゆる小学校の道徳の時間で扱うような内容だった。
あまりに情けなかった。同級生が仕事に励んで自立した日々を生きているときに、自分は何をやっているんだと思うと本当に苦しかったし、耐え難い苦痛を感じた。と同時に、これまでの自分の人生は何だったんだとも思ってしまった。親の理解もあって高校を出て大学に進み、しっかり4年間通って卒業研究もした。すべてが将来に役立ったり結びつくものだとは思わないが、少なくとも今目の前で行われていることは、自分が想定していた未来ではないことは明らかだった。どうにも落ち着かなくて、中座した記憶がある。
その後も、障害者求人を探していく中で、改めてこれまで考えてこなかったような人生の方向に進んでいること、そしてそのことへの苦しみを感じることはあった。仕事の内容、契約期間、待遇などなど。いちいち過去の自分が思い描いていた「大人像」とのギャップを感じたし、一本だと思っていた人生のレールを外れて側線に迷い込んだような気分になった。間違いなく前に進むレールではあるが、知らない場所を通っている。その度にあれ?あれ?と思い、それが澱のように溜まっていく。それが続いた2023年の上半期は、自分の現状だけでなく心理的にも厳しい時期だったなと思う。
そんなことがありつつ、なんだかんだで50%の充実感と50%のモヤモヤとを両立させながら普通に今生きていられるのは、2つの要因があるからだと思う。1つは環境。もう1つは「画一性」と「多様性」とのバランスや棲み分けを考えるようになったことだ。
環境面において、今はすごく充実している。家族は元から息子が精神障害者になったからといって何も変わらない。今まで通り、いつも通りの家族の形を維持しているし、それが間違いなく一番の救いだ。交友関係において、もう少し自分なりに頑張れるところがあるのではないかと思いつつも、大学を卒業した今でもバンドに誘ってくれる人がいることはありがたい。そして職場は、少しずつ雰囲気に慣れてきて、仕事も増えてきた。そして、「障害への理解」と「普通に接する」ところのバランスが自分にとてもマッチしているな、というのが一番の好材料だ。
これは、2つ目の「画一性と多様性のバランス」に通じる。就労移行支援事業所での講座の一件が自分にとって苦しかったのは、障害者支援という非常にデリケートなものに対する画一性と多様性の両立について、そのバランスをあまり理解できていなかったからだと今ではわかる。
働くうえで感情理解と感情表現はある程度取得しておかなければいけない必須のスキルだが、障害の特性によってはそれがうまくいかない人もいるし、逆に感じすぎてしまう人もいる。この講座はそういったところへのアプローチの一つなわけだが、これだけ繊細で多様な障害特性をあまねく網羅した「完璧な講座」を完成させることは難しい。さらに、この講座は(当時自分がそうだと思っていたが)「感情表現や理解に不自由を感じていない人」にとってはそもそも「何のためのものなの?」と思ってしまうことになる。
多様な障害と向き合っていくうえで、画一的・マニュアル的にできることは少ないだろうし、この例もその一つ。たまたま当時の自分にとっては不要だと感じるものだったが、それは講座自体を「精神障害にアプローチする画一的な講座」としか見られなかったから。うまく取捨選択をしていくことができれば、この講座は自分にとってプラスになっただろうな、と今では思う。
それに気づいたことでよりわかることなのかもしれないが、今の環境は自分にとってちょうどいい画一性と多様性のバランスになっている。例えば、働き方や仕事内容を自分の特性に合わせて考えてもらえているのは、多様な障害特性を理解してもらえているからこそ。しかし一方で、これまでの過去の人生や理想の大人像から産まれた「一人の社会人として扱ってほしい」という自分の中のエゴみたいなものに対して、周囲の人たちには(意識してというわけではないと思うが)しっかりと後輩社員として接してもらっている。障害者だからという色眼鏡ではなく、画一的で他の人達と変わらない「後輩社員の一人」として職場にいられるのはすごくありがたい。少なくとも自分にはそう見えているし、自分がそう思えているなら実際がどうであれそれでいい。多様性に配慮しすぎるわけでもなく、かといって全くそれらを無視した画一的な指示が飛ぶわけでもない。絶妙なバランスに支えられて、なんとか生きることができている。
一応いまだに、「普通の人」になりたいと思うことはある。大学時代でも今でもそうだが、周囲の同級生たちがそれぞれ自立への道を歩んでいく中で、ずっと生き遅れている感覚は拭えない。その「生き遅れ」の原因は何なのか、それは障害のせいか、これまでの過去の積み重ねがそうさせているのかはわからない。それでも、今とは全く違う将来があったのではないか?もっと輝かしい(それは栄光に満ちた……とかでもハイレベルな……というわけでもなく、幼い頃に抱いていた大人のイメージ)人生を送ることができていたのではないか?と未だに考えてしまう。
しかし、そう思っていても仕方がないので、ポジティブな思考回路の時には「障害を持ったことでしか生きられない人生にするぞ」と考えるようになった。障害者として同じ障害者を支えるピアサポートという概念を知ることができたのもその一つ。想定していた大人像ルートでは関わりもしない概念だったと思うし、ピアサポーターになることを目標に据えることでなんとか将来の事をぼんやり考えられるようにもなった。
ひとまず三ヶ月目を終えて、現時点ではギリギリ将来を楽観視することを完全に捨ててはいないところで踏みとどまれている。この勢いがどこまで続くかはたまた終わるのかはわからないけれど、とりあえず自分なりに毎日をしっかり消化していこうと思うこの頃です。(オチ迷子)