「願い」から「Yamabiko」へ
DAWソフトのデータを確認してみると、バンド「Onjuk」で演奏するための最初のデモ音源が作られたのは2020年の2月3日。その時のタイトルは「願い」だった。2月14日に再録したところからタイトルが「Yamabiko」に変わっているので、恐らくその頃に歌詞の大半を書きあげていたのだと思われる。そしてそれから経つこと1年10ヶ月と少し、2021年の12月22日に「Yamabiko」は晴れてレコーディングとミックスダウンを終えて完成した。
noteを遡ると、曲を作った当時に書いた曲のライナーノーツが残っているので読んでみた。そこには、まだ生まれたての曲についての、真っ新な感想や考えが記されていた。作った当時はまだ、ここから世界を覆いつくすことになる感染症はなんだか遠くの国の戦争のように現実味がないものだったし、そもそもこの先自分たちの日々が一変することなど想像だにしていなかった。あくまで「平和な日常」を前提として、「卒業シーズンだし、桜要素も含めた別れの曲を作ろう!」ぐらいの気持ちで作っていたはずだ。実際、ライナーノーツの中でも完全にこの曲は、ストーリーを仕立てた「物語」を歌うフィクションの作品であると位置づけられている。
しかし、完成した今、どうしてもこの曲を自分たちと重ね合わせた「ドキュメンタリー」を歌うノンフィクションの作品であるように聴いてしまう。おそらくOnjukにとって最後にレコーディングする曲になるだろうし、そもそも引退が近づいている。これまでアメ研やバンドで過ごした時間・演奏した曲・経験した色々などなど……。なので、今回は敢えて「今ありき」で、ライナーノーツの続編を書いてみることにする。
まず歌詞の話。いつの間にか、「Yamabiko」は自分たちの過去や今についての曲に変化していた。例えば……
作曲当時のライナーノーツでは、この冒頭部分を「(ストーリー上における)過去の回想」と説明している。それが今となっては、「何の変哲もない景色」「響く話し声」という歌詞を、アメ研の象徴とも言える部室の風景と重ね合わせてしまう。
過去のnoteでも何度か同じようなことを書いてきたけど、引退が近づくにつれて「この曲をこのメンバーで演奏するのは最後だ」とか、「この曲がライブで聴けるのは最後かもしれない」みたいに「最後」を強く意識するようになった。だからこそ、今やっている演奏を大事にしたいし、目の前の演奏をしっかり聴きたい。結局映像には残るしYouTubeで見返すこともできるんだけど、特に自分が演奏するときに考えてる事や、リアルタイムで音を生み出していく感覚ってその瞬間にしか味わう事ができないのだ。
ここで言う「形」とは、音源であり写真であり動画であったり、いわゆる記録と呼べるものを指す。時間の経過(「回り続ける時」)と共に薄れていったり、朧気になっていったり、忘れていってしまうような記憶というふんわりしたものではなく、録音・撮影された瞬間ありのままを切り取った、大袈裟に言えば「物的証拠」みたいなものだ。今はデジタル化が進んでいる事だし、こういう記録媒体はある程度色あせることなくそのままの形で何年も保存し続けられる。
しかし、前述したことにも近いけど「その瞬間にしか味わえないもの」があって、そういうものはやはり記録に落とし込めない。実際に会って話したり、バンドで演奏をするしかない。だからこそ「でも離れられないや」と思ったりする。この部分、フィクションとして作った当初から既に気に入っている一節だったけど、今は自分たちの事も踏まえてより歌詞の意味合いが深まったように思える。
1番の「忘れられそうにはないな」と2番の「忘れられるはずがないんだ」の対比。「投げた言の葉たち」とは、言葉通りに捉えれば「今まで話したこと」みたいなニュアンスに近いけど、現状ありきで考えると「これまでアメ研やバンドで演奏した曲・経験した事」にも思えるし、それを「忘れられるはずがないんだ」と言い切るこの2番のサビが結果的に自分(たち)の今の思いをわかりやすく直接的に吐露することになった。勿論当時はそんな事考えていなかったし……こんなことも初めてだ。
と、ここまでそもそも卒業シーズンを意識した桜ソング要素を持つ「物語の曲」として作った曲が、制作以降に自分たちが経験した色んな事を解釈に組み込むことで、最終的にドキュメンタリーチックな「自分たちの曲」としても捉える事ができるであろうポイントを挙げてきた。
しかしこれらはあくまで「後付け」。あくまで以前書いたライナーノーツが、この曲の意味合いとしては本筋になる。そこで、ここからは前回のライナーノーツには書けない話。すなわち、終わったばかりのレコーディングで「Yamabiko」という曲がどうなったか、ということに論点を移そうと思う。
これまでOnjukは「君がいなくなって」「惜し風」の2曲をレコーディングしてきた。そしてこの2曲を録るうえでなんとなく意識したのは、あくまで「作品を録る」という感覚だった。というのも、完成した2つの音源をそれぞれライブでそのまま再現するというのが不可能なのだ。ギターを重ねて録ったり、ピアノとは別でストリングスやオルガンを重ねてみたり、という試みの結果、4人だけではどうしても生演奏で再現できなくなったということだ。ということで、これはある意味多重録音を前提とした「作品」であり、バンドの生演奏とは全くの別物になるのだ、という考えの元作業を進めていった。
しかし、3作目となる「Yamabiko」は、結果として2曲と比較するとより生演奏での再現がしやすい。言ってみれば「4人の音をそのまま録る」というスタンスでやれるな、と思った。実際、楽器でダビングしたのはリズムギターに重ねたギターソロだけ。構成としてそもそもとてもシンプルな曲なのだ。ちょっとひねった例え方をすると、「素材の味をそのまま」みたいな。Onjukとしてのバンド感が良く出ているな、と思う。
ただその一方で、「重ねたことで作品に深みが出た」と言えるのがコーラス。アウトロの「La La~」は4人の声を重ねているし、全員がユニゾンする同じ音程のコーラスあるいはハーモニーを2本ずつ録音している。正確に何本かは、レコーディングから日が経ってしまいあやふやなので明記できないが、少なくとも7本のコーラスは入っているはずだ。元々「願い」のデモテープから存在したこのコーラス部分、当時は自分1人でオクターブを変えた2つの声部だけだった。それが、月日を経て、レコーディングを経て、4人の声が重なる暖かいコーラスに変わっていく様は、特に作曲者として感慨深いものだった。
この曲におけるアウトロのコーラスは、歌の主人公が言う「響く話し声」「いつもの声」に当たる。先述した歌詞解釈の変化と照らし合わせると、このコーラスはまさしくOnjukで演奏した曲や話したこと、バンドそのものと重なる。それが「忘れられるはずがないんだ」という歌詞の重みを強くしているように思えるし、この曲で一番好きな部分になった理由でもある。とにかく、このコーラスが最高だ。手前味噌だけど、やっぱり最高だ。
ということで、「Yamabiko」はレコーディングを終えて、より深みのある曲へと変化した。楽器は4人の音をそのままにしつつ、そこに暖かさと重みのあるコーラスが加わったことで、限りなく完成に近づいたといえる。では最後に、この曲が本当の意味で「完成」したな、と思った瞬間。すなわち、引退ライブにおける「Yamabiko」を振り返る事にする。(引退ライブ全編については、また別の記事で)
結論から言うと、演奏を終えた時の充実感は今までの何よりも大きかった。1つ前に演奏した「ステップ」という新曲の歌詞がすごく好きで、それと比べた時「Yamabiko」は見劣りするんじゃないか、と思ったりもしたんだけど、たぶんそんな事はなかった。それはきっと、引退という節目に「忘れられるはずがないんだ」という自分たちの強いメッセージが響いて、強く伝わったからだと思う。演奏を終えた後、めちゃくちゃに泣いている同期や後輩を見て、それを強く確信した。別に泣かせたからどうとかいうことではないけど、自分が作った曲や込めたものがしっかり届いて、聴いてくれた人それぞれがそれを受け止めてくれたからこその姿なんじゃないだろうか。そう思ったとき、本当に嬉しかったし、充実感で一杯になった。
「願い」から「Yamabiko」へ。タイトルも変わり、歌詞も変わって、レコーディングを経て大きく良い方向へ変わった大事な曲。だけど、最初に直感でつけた「願い」というタイトルは結果的に案外的外れでもなくて、むしろ「裏テーマ」とでも言えばいいだろうか。「Yamabiko」の本質は「願い」であり、「願い」を歌うのが「Yamabiko」なのだ。2年弱の時間を経て意味合いが変わり、結果として他人の感動を少しでも生むことができた。そんな曲、たぶんそうそう作れないんじゃないだろうか。「Yamabiko」とはバンドOnjukにとっても、自分個人にとっても、本当に大事な曲になった。