冬のうた/アンコール
11/3、アメ研としてはほぼ1年ぶりのライブは、それは素晴らしいものだった。何か月もあっていない同期は、変わらないままで、でも少しだけ変わっていて、空白の期間がどれだけ長かったか(あるいは、短かったか)を実感するには充分だった。
この数か月、いわゆる「自粛期間」なんて呼ばれた期間に作った曲は、バラバラな題材・バラバラな背景だけど、それぞれに共通するなんとなくのテーマみたいなものがあった気がする。メンバーには送ったけど演奏しなかった曲、メンバーにも送っていない曲…色々あるけど、先日のライブでは、その中から2曲に無事日の目を見せる事が出来た。半年前の「Yamabiko」同様、曲に込めた意味とか、歌詞の解釈とかを、自分でも忘れないように書いていくので、見られる人はライブの映像なんかを観ながら読んでもらえたら。
①「冬のうた/Onjuk」
「夏と冬、どっちの方が好き?」と聞かれたら、大体どのくらいの割合に分かれるのだろうか?
僕は冬が好きだ。自分の誕生日は夏休み真っただ中だけど、冬の方が好きだ。理由は単純で、「寒い方がまだ対処法が多いから」だ。寒い時には厚着をすればいい。そりゃ限度はあるけど、ヒートテックとか、モコモコのコートを着て、マフラーネックウォーマー手袋ニット帽とか色々装備すれば、大体の寒さは「まあ何とか耐えられるか…」くらいにはなるはずだ。寝る時だって、寒くて寝られないならタオルケット、毛布、掛布団を被って丸まっていれば結局暖かい。
一方夏はそうはいかない。いくら暑いからと言っても、衣服で調節しようとすれば「法律」「社会的地位」というどうにも越えられない壁があるので限度が来るのが早い。そのくせ限度のハードルが低いので結局暑い。寝ようにも、いくら通気性の良いシーツを使っていようが、一枚も被らなければ風邪をひくし、扇風機に当たりまくっても風邪をひくし、クーラーをつけまくっても風邪をひく。要は、病弱体質な人間ほど、たぶん夏の方が結局「暑すぎるので辛い」「暑すぎたから冷やそうとしたら冷えすぎて寒い」という、どっちに転んでも地獄という悲しい結果に行きつきやすいのではないだろうか。
…というわけで、生理的な理由で、夏よりも冬の方が良いなと思うのだけど、それに加え、気持ちの面でも、冬の方が楽しみだな、というポイントが多い。なにせ冬は、クリスマスに年越しという世界的な大イベントが立て続けにある。別にそれぞれのイベントがめちゃくちゃ楽しみなわけでもないけど、街とかテレビのCMとかが一気にクリスマスや年越しにかこつけたものに変わったり、音楽の特番も放送されたりして、否が応でも「それっぽい雰囲気」を味わわせてくる。そういう雰囲気を感じるのが、なんとなく楽しい。そして、毎年クリスマス~年越しの間にかけて、それらがテーマとなっている曲を聴くのが好きなのだけど、そういう曲を自分でも作ってみたい!というきっかけから作ったのが、この「冬のうた」という曲だ。
この歌詞は、自分でも近年すごく思うようになったこと。昔の冬ってもうちょっと暖かかった気がするのだけど…数日前(10月下旬)に夜歩いていた時の、「ちょっと肌寒い」くらいで済んでいた気がするけど、もう最近の冬は「冬だぜ~!」って感じでグイグイくる。
さっきも書いたけど、クリスマス前の街の雰囲気って、普段とガラッと変わる。ほとんどイルミネーションのおかげかもしれないけど、商業施設で流れているBGMもそれっぽいものに変わるので、なんとなくいつもは無秩序というか、それぞれがバラバラに存在している街のあれこれに漠然とした統一感が生まれる。そういう雰囲気の時は、やっぱり普段見慣れているモノも、違ったような空気を感じる。
歌詞を推敲しているときに、「バタバタと」「歩いていく」…?という微妙な矛盾を感じながらもそのままスルーした箇所。まあ、あくまで「普段通りの生活の中に、ちょっとした慌ただしさがある」っていうことの比喩業源だと考えれば…?そして後半は、詳しいファンなら知っている、Mr.Childrenのオマージュ。2005年の冬に行われたドームツアーで、ちょうどクリスマスの日に行われた公演があった。その時に、特別にミスチルがアマチュア時代に演奏していて、デビュー後音源化されなかった「2日遅れのクリスマス」という曲がある。ざっくり言うと、仕事で忙しい彼氏目線で、クリスマス当日にプレゼントを渡すことができず、2日遅れになっちゃったけど、そんな2日遅れのクリスマスを一緒に過ごそう…みたいな感じの曲なのだけど、その中にこういう歌詞がある。
現代において、クリスマスを過ぎたからと言って、ケーキが半額になるかと言われたら微妙だけど、とにかく「2日遅れ」という核を、ケーキになぞらえて表現したこの歌詞がすごく好きで、印象に残っていた。
で、そもそもこの曲を作るときに、よくある「クリスマスソング」だけではなくて、実はあんまりテーマにされない「年越し」までひっくるめた、まさしく「冬のうた」(極端に言えば、「12月下旬のうた」)にしたかった。なので、1番はクリスマスの、それ以降は年越し~これからの話…という区別をするために、クリスマスと大みそかの間のなんとなく宙ぶらりんな1週間の感じを表現したくなって、この歌詞をオマージュすることにした。ここの部分だけベースが抜けるのは、なんとなく落ち着いたワクワク感とちょっと空虚な感じを表現したかったからだ。
「誰かが言ってたっけな」とは言いつつも、こここそ具体的な引用元はない。「倦怠期」と「現在地」は、語呂の良さを意識していたのであんまり深い意味がないつもりだったけど、この後来るCメロを考えると、いい繋ぎになったかもしれない。
結局この曲の核心はここに集約される。ここで言う「永遠」は、これから先に広がる未来永劫の時間じゃなくて、これまでに蓄積されてきた長い長い時間が結果として「永遠」と呼べるまでに熟成したものだ、という捉え方をしている。どれだけおしどり夫婦だと持て囃された芸能人のカップルも結局は別れてしまうことだってあるし、極端な話をすればこれから数年後に大戦争が起こって自分たちも戦争に駆り出されるかもしれない。人生何が起きるかわからないもので、結果論的な「永遠の友情」は存在し得ても、「永遠であること」を前提に続いていく友情ってそんなにないものなんじゃないかと思う。「永遠」という表現を遡及的に使うのは誤用かもしれないけど、この曲で言いたいことはそういうことだ。
僕の好きな推理小説作家である歌野晶午さんの『密室殺人ゲーム2.0』という作品の中に、こういうやり取りがある。
結局年越しだ年越しだと騒ぎたてて、元旦に昇る太陽を初日の出だと特別あがめたとて、結局そういうイベント感覚を取っ払ってしまえば、夜が何時間か続いて、しばらくして朝がきた、というだけだ。普段の天体現象と何も変わらない。
すなわち、自分たちの関係も、雇用契約じゃないんだから、年が変わったとしても、一回日を跨いだだけで突発的な変化が起こるわけではない。(少なくとも、年が変わったという事実によって引き起こされる問題は起こらない)
「永遠」とは、過去から今までの蓄積で成り立っていく。年が変わろうと、なんだかんだ幸せな日々を毎日積み重ねていって、また同じ冬を迎えて、その次の冬も、そのまた次の冬も……と続いていった日々の延長線上から振り返った過去が、「永遠」の一部になるのだ、という、単純なクリスマスソングのようで、実は自分の私見がガッツリ入った曲なのです。
②アンコール/makerugakachi
自粛期間に作った、makerugakachi用にそれまでに作った3曲を一旦置いておいて、とにかく「ギター、ギター、ベース、ドラム、歌」というバンドアンサンブルだけで成立しうる、かつバンド感をなるべく全面に押し出せるような曲を作りたい、というのがこの曲の出発点だった。イントロの爆発力とか、リードギターの細かいリフなど、以前(曲だけ)作った「これからのこと」の続編、というつもりで曲を作った。逆に歌詞は、この自粛期間中に、自分のこととか、周りの事とか、いろんなことを考えたんだけど、そういうゴチャゴチャしたあれこれの総決算というか、それらを全て吐き出したうえで、リセットするような気持ちで書いた。
上手くいったライブほど、演奏している間のことを思い出せない。観に行ったライブでも、特にプロのライブなんか見に行くと、本番中は無我夢中で観て、沢山感動して、「ここすごく良い!」ってなるのに、終演後の帰り道ではなんだか記憶に靄がかかったように思い出せない。まあライブって得てしてそういうもので、その一瞬一瞬が最高潮だ!という感じなのだと思う。
色々グルグル思考を巡らせるのは、大体決まって深夜が多い。クリープハイプの「二十九、三十」という曲の、
という歌詞を聴いたとき衝撃を受けたのだけど、まさしくこの「朝恥ずかしくなる」くらいに独り歩きする思考が深夜になると途端に活発になる。でもそういう気持ちは結局その場限りで、朝になると我に返って、「何だったんだあれは…」とか、「いや考えすぎだったな…」という気分になる。
「冬のうた」にも通じるところなんだけど、とにかく自分たちがどうこうできるのは目の前向こう数日ぐらいにある出来事だけで、その先を考えたってどうしようもない。深夜に独り歩きする思考が言わせたことだとしても、そういう一瞬のひらめきって案外面白かったりする。
以前没にした曲でも似たような歌詞を書いたことがあって、その時も同じ事を考えたんだけど、こういう歌詞は全てこれまでの経験から来ている。バンドにしても何にしても、「もっと色々やれただろうに」っていう、やり残しがいくつかあった。特にこの先の人生なんかは何があるかわからないわけで、わからないなりにも、なるべく「なんだかんだ良い経験だったな」と最後に思えるような生活を送っていきたいなぁ、という、漠然とした思いがある。「この未知を」のダブルミーニングは、聴いているだけでは伝わらないけど、結構重要な意味があったりする。
この曲の歌詞で一番気に入っている部分。ここは要するに、「大人になることへの恐怖」であるとか、「こんな大人になりたいな」という漠然とした願望であると同時に大好きな曲のオマージュでもある。
この歌詞もそうだし、アイデアが主題歌に起用された朝ドラ「半分、青い」のオープニング映像がこの部分に大きな影響を与えた。観てもらえればわかるんだけど、身の回りのモノにちょっと書き足して、全く違うモノに似せてみたり、線路や風の音を「モノラルのメロディ」と捉えたり、まさしく遊び心やアイデアという言葉を象徴するものになっている。
「目の前に浮かんでる」と「目の前に続いてる」の対句や、表現の方法に、今出せる自分のアイデアを反映して書けたので、ちょっと気にいっている。
そんな遊び心があれば、一人でいても、かつて鳴らした音がアンコールのように蘇ったり、その時の感情が思い起こせるかもしれない。ちょっと婉曲な表現ではあるけど、要点だけ言えば「柔軟なアイデアや遊び心があれば、将来大人になってふとした時に、昔鳴らした音楽がスっと呼び起こされたりして、また一つ強くなれるかも…?」ということ。そしてそのために、
バンドで言うなら、今この瞬間に鳴らしている音は「いつか消えて」しまう。当然、後になってから「もう一回このバンドでやりたい!」というのも難しい。だからこそ、「過去を超える今を鳴らそう」。そうして生まれた「大切」は、将来のふとしたときに、「心の奥の方で鳴ってる音」として、「大切な音」として蘇ってくる。
決して逆行できない一方通行の道が、大人になっていくにつれていくつも枝分かれしていく。そしてその先、ふとした瞬間に思い返して、たどった道をなぞったら、またその時の音が聴こえるかもしれない。
長々と書いてはみたものの、要約すると「今のバンド生活はもう一生味わえないから、やりたいことやって、後悔しないようにやって、将来『いい思い出だったな』と言えるような残り1年半にしたい!」という曲だ。
2曲とも、文字にしてみるとかなりな量になるくらいには、色々な思いとか、オマージュを込めて書いている。その全てがライブで伝わるかはわからないけど、できる限り、色々な形で表現していきたいと思う。