正月に令和の4年間を静かに振り返る
(写真は数年前のもの。突然思い立って冬の秋山郷に行きました)
何ヶ月かぶりに、一本書いてみようと思った。
新年だからかはわからない。
昨年の特に後半は、仕事と課外の方でやたら長い文章を書く作業ばかりしていた。
ようやく気持ちに少しゆとりが出てきたらしいので、最近のことや新年の抱負…とまで言うと少し大袈裟なので切れっ端みたいなものを。
具体の話をなるべくそぎ落として、腹の内でぐるぐるしてることだけ書いてみたい。
正月1日は当たりのくじを引いてしまった日直に行った。つつがなく交代時間を迎えて帰宅し、今かと待ち構えていたらしい親戚の子の遊びに付き合わされたり箱根駅伝を見たり見なかったりしてもう2日休んだらあっけなく三が日が終わった。
ここ数年を振り返ってみると、令和に入ってから時間の流れが少し変わった感じがしている。
令和元年…に入る少し前の、平成31年の4月に異動で今の仕事についたその年の秋に台風災害、明けて2年の2月頃からはコロナ禍に突入し、結構な頻度で自宅で仕事をして、3年春からは「リスキリング」とかいう何やらありがたそうなことをさせてもらい昨年は2年目、年末にようやく課題提出を終えてあとは審査、というところまできた。
コロナでどうせ外は出歩けないし、行き先は週一とはいえ通えばとんでもない額の交通費になってしまう距離、リモートで授業をしてくれるのは渡りに船だ、と飛びついたはよかったものの、
職場は学業に専念させてくださるのだが、割と一人親方の仕事を任されている上、送り出したっきり、状況を聞くでも興味を示してくれるふうでもなく、何につけてもまず思った以上に本人のやる気がブレずにあることが重要、というのと、そこがうまく人が求めるものにピッタリハマるかのバランスをどう取るか、と考えることの難しさを感じた。
この2年間でいちばん大きな収穫かもしれない。
まるで新時代のような暮らし方、働き方をちょっとかじってみたものの、
自分以外の人はどのくらい変わっているんだろうと思うことが時々ある。
自分一人だけ浮世離れしてるだけじゃないのか?
この数年間やってきたことが後々何かの役に立つのか?立たないかもしれない。
報われることはあるのか?ないかもしれない。誰も評価なんてしてくれないだろう。
それほど価値あることのようにも思えない。
はっきりいってかなり道草を食った気もする。
ただ、それも自分なりにある程度の時間を賭して、じっくり考えたからこその手応えだと思う。
とにかく、普段考えないようなことをじっくり考え、使わない頭を使ってきたけれども、その鍛錬が役立つ場、生まれてきた考えを活かすゆとりがないし、そういったものを調達すること自体がまず難しかったり手間だということを実感した場面が多かった。
それならそれで仕方ない。どっかで役に立つかもしれない、と思って気長にチャンスを窺ってた方がまだ楽しいが、芽が出るか花が咲くかも分からないことに、そんなに時間と労力を割く人はまずいないだろう。
そうこうしている間に令和は5年目に入った。気がつけば時間はだいぶ経っている。
今年あたりそろそろアフターコロナに向かっていく雰囲気が出てくるのか。
それまでの数年間細々と続けてきたことに関して、もっと大掛かりなことになりそうな向きになっている。
別に自分の徒労がこれを呼び寄せたなどと言う実感は全くなく、偉そうなこと言える活躍など何もしてない。
ただ、「ようやくか」という本音だけある。
前も似たようなことはあった。
誰も見向きもしないときにひっそり必要性を訴え続けて、周りがこちらを向き始めた頃に役目が終わる。
自分はいつも間が悪い、そういう役回りかもしれない。
ところがそこに悲観することすらも、悩みすぎてどうでも良くなってしまい、割り切りのハラが最近ようやく据わってきた感じがする。
ここ最近だけでも、完成形がわからないためにとりあえずジタバタしてみたことが日の目を見なかったことなんて一度や二度の話ではない。今更驚きもしない。
無理矢理にでも、「この4年間で得たものはなんですか?」とまとめようとしてみると、
「孤独と徒労感をじっと堪える忍耐が少々」という感じ。
おかしなもので、自分一人のやりたいことや課題意識を殺すと、迷いがなくなって驚くほど手足がすっと前に出たりする。まず面白い作業にはならない。
人によってはこちらの仕事の方を価値と認める人もいるのだろう。
ところがそれで本当にいいのか、意味のある動きになってるのか、ということは、
真面目に考える人はほぼいないと思ってると間違いないし、考えない方が得をすることになっているようにも感じられる。しかし、評価する側も何が価値かは分かっていないこともある。これからはそういうことが今より増えていくのではないだろうか。
どちらか両極でもやっていけないし、上手いやり方があるのかどうかはまだよくわからない。
そろそろ、少し違った頭の使い方で、これまでやってないことをやっておく必要があるかもしれない。
思うに、この数年間の少々風変わりな経験が、仕事にせよ私的な部分にせよ自分の元々の居場所に帰ったときにどんな形で活かせるのか、この若干諦めつつ妙に静かな気の持ちようがその時どう変わっていくのか、試してみる段階の気がする。
こんなことを色々と考えるのにもだんだん飽きてきたので、「現状からの脱却」のために残しておく。
今年はもっと物事にこだわりを持たず、サッパリいきたいです。
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