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人間都合の、植物のはなし。

こんばんは。
久しぶりのnoteを書きます。
今日は雑多な話。
また気が向いたら美術館と周辺の美味しいご飯のお店について投稿したいと思います。

今日は、ここ最近部屋の観葉植物たちが少しずつ増えてきたので、改めて人が扱う植物について考えていることを書きます。

切り花は生きていくのに必要なのか。

一人暮らしを始めて部屋が落ち着いてきた頃、丁寧な暮らしに憧れて切花を定期的に購入してお部屋に飾っていました。
切花を部屋に飾ると生活が豊かになったように感じる。部屋も綺麗にしなければという良い効果も得られました。
ただ、枯れ始めた切り花に対してどのようにしたら良いのかというのは度々悩みます。
まだ生きている花に対して、美しさの全盛期を超えたからゴミ扱いしてしまうのか。子孫を残すために花を咲かせているのに、人間の目を楽しませるために育てられ一番美しいときに切られ、延命措置のように水の入った花瓶に入れられる。切り花にならなかったらもっと花の人生(花生?)を生きられたのではないか。などと色々と考えてしまう。
枯れ始めても少し待って、これ以上は難しいと判断したらゴミ箱へさようならをする。
自己満足だが、「私の生活を豊かにしてくれてありがとう。」と一言お礼を言ってそっとゴミ箱に捨てる。
そんな中、読書に当時ハマっていたサークル時代の先輩から岡倉天心の「茶の本」を勧められ、あまり読書をしなかった私だがなんとなく読むこととなった。

その中で植物を人間都合で本来と異なる場所に植え替えたり、切り花にして楽しむことについて語られている章があり、ついに私が欲しかった、切り花や野生の草花を人間都合で別の悪い環境へ移すことについて正当化できる答えが得られるのではと期待したが、私としては納得できる解答を得られなかった。
そんなこんなで切り花を飾る習慣はなくなったが、ラナンキュラスと芍薬は好きなので、その時期だけお迎えをしている。
芍薬は本当に旬が短くて、花屋に溢れかえる芍薬を見ては旬は一週間で終わってしまうのに残された子たちはどうなってしまうのだろう、とぼんやりとネガティブな気持ちを抱きながらも精一杯お世話をして愛でられる限界である一輪をお迎えして飾った。

HIDEYO STYLE☆

なんか…蕾から少し咲き始めたアンバランスな形が野口英世みたいで可愛らしい。(あの寝癖みたいな髪型を思い出しました。あれってどうしてあんな髪型なんでしょう。流行っていた…?)
一週間前にお迎えしたこの子、まさに今私の目の前でたくさん花弁を落としています。本来はもうさようならをするべきなんだろうけども…もう少し最後まで見てからさようならをする予定。

観葉植物の可愛らしさ

少し前にお引越しをしまして、日光がよく入ってくるお部屋になったため、少しずつ観葉植物をお迎えしています。
お迎えしてすぐに冬に突入したため、どんなに気を遣っても少しずつ枯れていく様子に責任感を感じていましたが、春になると噂通りどんどん成長していく。生きているのだなと感じると同時に、植物の単位としては1のはずだけれども葉の一枚一枚に愛着が湧き、勝手に葉同士の世界観を妄想してしまう。

去年の秋にお迎えしたセローム。1週間に1本ペースで新しい子が生まれてくる。
今年の春にお迎えしたエバーフレッシュ。新芽が手のようで可愛い。

セロームは春を迎えるまで本当に毎日のように心配をしていたのに、新芽はそんな心配をよそに信じられないほど元気に成長していく。つやっつやで植物に感じたことのない感情が生まれた。
「なんてイケメンなの!こんなにつやつやで!瑞々しくて!今日も可愛いよ!!」
多分自分で育ててなかったら生まれなかった感情だと思う。
親バカであると同時に、心で思っているだけではなくて実際に声に出して言っているとボディビルダーの大会の参加者の気分になってくる。
また予想もしない世界観が生まれて、人生というのは面白いなとつくづく思う。
切り花の話でも触れたがおそらく野生で生まれ育っていたらもしかしたら今より元気に成長していたかもしれない。地植えにしたほうがきっと元気になるだろうし。
そんなことを思いながら…お迎えしたからにはたっぷり愛情を注いで大切に育てていこうと思う。

最近、エバーフレッシュの茎の一部分に規則的に気孔?に小さな水滴が出てくることを発見した。新芽を見たらまるで宝石のように規則的に丸い水滴がついていて思わず見惚れてしまった。


この子も今年の春の始めにお迎えしたポトスグローバルグリーン。割と新しい品種らしい。観葉植物初心者向けとよく聞くのでお迎え。曇りの日は陽の当たる窓辺からデスクやテーブルの見えるところに移動させて楽しんでいる。

観葉植物は植物の少ない東京を救ってくれるのではという正当化をしつつ…必ず責任を持って元気に育てられる範囲で今後も新しい子達をお迎えしたい。
いつかベジタリアンの方達のように、実は植物もこんなに感情を持っていて苦しんでいるという発見がされたら、花屋も制限されたりするんだろうか。そのときベジタリアンたちはどうなってしまうのでしょう。
私は生きていくためには他の肉食動物同様、肉も食べるのは自然だと思うので今後も食べる。
ただ、食べずに破棄してしまうものが多かったり、食材を過度に飾りつけて演出したり(切り身の肉を下品に大盛りにして雑に扱ったり、ド派手に大量の薔薇のように飾りつけたり)というのは生きていくのに不必要だと感じるので反対である。このあたりは永遠の課題なので今後も自分の考え方が変わっていきそうだが、食事で取り入れるのも、生活を豊かにさせるのも、関わっていく動植物に感謝して生きていきたい。

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