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「あっ!」となった話。

うまくできないことを何度もやり直す、というのはよくあるけど、
ぱっと、そこそこうまくできたことを何度もやり直す、というのも(自分に関しては)またよくあることだ。

三日月のも

丸いのもそうだけど
できあがって、まあ「おいしい」と言ってもらったとしても、どこか、わずかに「なんだかどこかがぴったりはまらない」ような、違和感を感じることがあって
例えばそれは、水分の抜け方残り方だったり、クラストの質感だったり、翌日翌々日の食感だったり、生地のつまり具合だったり、ミルキー間だったりする。

どうしたら理想に近づくか、工程のどこかを見直して、組み立てなおして、また焼いてみる。

今日はバッチリ👌
何がって、それはビミョーで「あんま違わないんじゃない」ってことな気もするので書かないけど。
でも、このパンを好きな人にはわかるのだ。
そして、その人、あの人とこの人、好きな人のためにこの調整をするのだ。

ほかのパンや料理でもそうなんだけど、「自分の理想とする形」を追求するというよりは「これを好きなあの人が満足するような形」を追求して作り込んでいく。
それが自分のやりかただ。

まだ見ぬ誰かのために作り込むのは苦手だ、どこを詰めていいか迷ってしまうし。
明確に、この人!という対象があって、はじめて大事にする点や「こうしよう」と変えていく気持ちになれる。

自分にとって、この仕事って
「あの人がよろこぶごはんをつくること」であり、
「あの人が大好きなパンを焼くこと」であり、
「あの人のツボにハマる焼き菓子を焼くこと」であり、
それぞれをずっと続けることである。

だから、特定のなにか、というわけでなく、お店を気に入って新しくでたあれやこれや、試してくれる人の気持ちがよくわからないところがある。
気に入ってくれるのは嬉しいんだけど、「このお店のどこが好きなんだろう?」という感じ。

ふつーなら看板メニューやお店のよいところを明確に定めて、ターゲット層にビッと👉訴求するんだろう。
だけど、自分のターゲットといえば
あの人やあの人やあの人、特定の人たちが頭の中にいて、なんというかターゲットとする「層」というイメージがないのだ。

なんだか、週明けからそんなことを考えていた。

会う人合わない人いるけど。
みんなに合わせていこうとすると、目指すものが見えなくなる。
小さいお店は、そこにある席が埋まるだけのお客さんが来ればいいので、誰にも彼にも合わせる必要はない。
わざと合わせない必要もないけど。

まあ、飲食店てのはお店もお客さんも、それぞれの立場で良いこともリスクもあって、それはけして共有できない、分かりあえないものなのだ。
それはそういうもので、悲しむことでも忌むことでもない。
逆に、分かりあえない立場同士なのに通じたときに思わぬ嬉しさや喜びがあるってことなんじゃーないか。それが店とお客さんとの出会いっていう奇跡なんじゃないかって思う。

そんな感じで(?) ここ最近、料理のこともそうだけどパンのことを考えつづけていて、

このパンの微調整をしたいというのと、
あの製法と、この製法と、リンクさせたらきっとあの人が好きなものができるんじゃーないかっていうのを、頭の奥で反芻しつづけていて、
さっき「あっ!」と思いついたので、明日さっそく試してみよう。

というわけで、おやすみなさい🌙⭐😴

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