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答えを求めて旅に出る、ということ

永遠なのか 本当か
時の流れはつづくのか
いつまで経っても変わらない
そんなものあるだろうか

見てきたものや 聞いたこと
いままで覚えたぜんぶ
デタラメだったらおもしろい
そんな気持ちわかるでしょう

朝はやくお店にきて、粉をはかったり、掃除をしたり、お米を洗ったり、
いつものように、いつもの作業をはじめから、そんなとき。
ふと口ずさむ、このうた。

いつまでたってもかわらない、そんなお店あるだろうか。
変わっていくけど、かわらない。
変わらないように見えてるけど、中身は変わってしまっている。
だけど、きっと見ている方が変わらないことにしているのだ。
変わらないでいてほしいから。

米粉パンを始める前と、始めてから。

いままで学んだり教わったり、聞いたりして覚えてきたことと、考え方ややり方がまるっと違ってて、いろいろ考えさせられることが増えた。

こうすればこうなる、と思ってたことは、こうしてもこうならない、だったし、
「こうなるためにはこうするだけじゃなくて、こうしてもいいんだ」とか、「こうなるためにこうすると決まったのはそれまでにこういう紆余曲折や失敗の積み重ねがあったんだ」とか、より深く知ることもできて、なんかそれは思わぬ収穫みたいなものだった。

無理だと思ってたやわらかさを手に入れ

無理だと思ってた気泡の細かさを手に入れ

焼きあがりの高さも、最後までわからなかった表面のパサつきも、解決してきた。

始めの頃。気泡が粗くてもちもち、
これはこれでおいしい。

もっと最初の頃。
これをふわっと食パンみたくする方法がわからなかったんだよな〜〜
もちっとしてるけど、翌朝には周りから硬くなっていってしまう。やわらかさが1日持つか持たないかだった....

うまくいかない時期が続いたときは、パンに向いてない素材をパンにする、それは意味のあることなのか?と考えたこともあった。

だけど、米粉だけじゃなくてライ麦や古代麦だってグルテンが少なくて、小麦のようにパンを作れないわけで、それを工夫してそれなりのパンというものに仕上げてきた歴史があるわけで、
食べたいから作ろう、食べたい人がいるから焼こう、そういうとこから始まったはずなのだ。

そう、意味があるからやる・やらない、とかの話ではなくて、出来上がったあとに意味が発生してくる、きっとそういうものなのだ。
そう気持ちが納得してからは、解決するのがはやかった。

やってる人がいるんだからできるはず、そうして調べて調べまくって、何度も試し焼きして、失敗もたくさんした。
正直、お店をはじめてからこんなに何回も失敗したことはなかったので、心のダメージもおおきかった!マジで!

けどまあようやく1つの答えをみつけたのだ。

そしていまは、もう1つ2つくらいの答えがありそうだ、とまた答えを探す旅に出た🌊⛵️🌊

本業があるからこそ、こうしていくばくかの余裕をもってパンの旅に出かけられているわけで、そのあたりを最初から織り込んでお店をやってきてよかったなと思う。

さー今日も出かけてきます🍞
なんか同じようなことを書いてるな。最近。

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