サイコーが溢れてる話。
昔はそうじゃなかったけど、いまはだいたいいつでもポジティブ、やることはだいたい何でも楽しいって思う。
いつからか、自分で前向きにもってかないと辛いなって思ってから、そういう風に変わっていった。
周りのネガティブをすべて吸収してもなおプラスでいられるくらいのほうが、自分が楽しく過ごせるし、周りにも良いって思うようになってそうなっていった気がする。
「目指すような感じにうまくいかないなー」って思ったり、転ぶこともたくさんあるけど
そしたらまた起き上がって歩き出せばいいだけだし。
仕事でも趣味でも、打ち込めば打ち込むほど、
打ち込んだ分だけ、投じた分だけ、少なくとも差し引きプラスにならないと割りに合わない、損してる、
そう感じて落ち込んだり、ナーバスになったりする。
それがいいとか悪いとかそういうことじゃーなくて、大体の人はそういうものだと思う。
無意識にそう考えてしまう。
休みなしで朝から晩まで働き続ければ、「こんなに体力も気持ちも消耗して、ほかの楽しいことを我慢して仕事してるんだから、報酬や見返りがないとやってられない」と思う。
毎日朝から晩まで店に出続けて、営業に打ち込み続ければ「こんなに頑張ってるんだから、稼げるはずだ、もっといいお店になるはずだ」 と思う。
他人が見たらそんなわけないって思うのに、こと自分の話になるとそうなるもので....
だから、いろんなとこに足場をつくったりストレス発散の場を持ったりして、リフレッシュしたり、違う刺激を得たりして、気持ちのバランスをとるのがいい。
スポーツ選手だって、メニューを組んで、クロストレーニングっていって自分の種目とは関係ないスポーツをやって、違う刺激を入れたり気持ちを発散させたりするんだし。
人間、ひとつの部位をひとつの方向に使いすぎればどこかに歪みがくる。
それを自分でわかって調整できればいいけど、できなくて(自分で自分の気持ちを持ち上げられない)辛くなる人がいる。
思うようにいかなくて、気持ちが沈みがちになるんだけど、でも自分でもわかってる、
落ち込むようなことじゃない、他人に相談するようなことでもない、そういうものかもしれない、でも思い切れない、みたいに。
だけど、
自分で自分を調整してポジティブな状態にもっていける人は、自分だけじゃなくて周りの人のネガティブも吸い込んで、ポジティブにしてあげたりもできる、そういう余剰のパワーまで作れたりする。
だから、できなくてもそれを直さなきゃならないわけでもなくて、そういうポジティブな人が周りにいればそれで済む話でもある。
人間、ひとりで完結する完全体である必要はないんだし、欠けてるところがあるから補いあったり刺激を受けあったりして楽しいんだと思うから。
いい大人になれば、性質は固定化されてるから相当なことがない限り変わらない。
できないことは結構できないまま済ませてたりするし、やりたくないことはやらないことに決めてたりする。
それもまぁ、修正するのにかかるコストやストレスを考えると、ちょっと割りに合わないってなって、手をつけないってことだったりするからおんなじような話なのかも。
(直すのにすごくコストがかかるしストレスもあるけど、それを補って余りある報酬があるならやる人が多いはず)
うちだって、できないことは無理にやらないからこんな感じなんである。笑
なんかそんなことをつらつらと考えた、
いつからこうなったんだっけ、って。
昔は「こういうお洒落なセンスある店はつくれないなー」とか「こんな繊細な料理はつくれないなー」とか「なんでこんなに」ってマイナスのことをたくさん感じてたけど、
いまは「美味しいチョコレート食べられてしあわせー」とか、「朝にいれたてのコーヒーなんて最高〜」とか「クライミングにいけるなんて楽しすぎるな〜、しかも大好きなおにぎり付き🍙」とか、「このあられ最高うまい」とか、
気分を上げてくれるものが周りに溢れてる(仕事と関係ない....)。
いや、もちろん日々の仕事の中にもそういうおとはたくさんあるけど。
変わっちゃえばその前のことはすっかり忘れちゃうんだから都合のいいもんだなーと思う、
思いつつ、今日もまた、つぎの楽しみにワクワクを抱いて仕事したり、ワークアウトしたりする。
おしまい。笑
(写真は大江戸あられ、ピリッと辛いわさびのと醤油味のと、あまいのが混ざっててさいこーうまくてとまらない🍘)
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