お店の対応。
杓子定規に対応するということ。
柔軟に対応するということ。
どっちが絶対にいいというものではなくて、それぞれのお店で違うよなぁー、と思う。
最初のころ、「暇な時には対応できるけど、忙しい時には対応できないケース」について、その時々で対応したりしなかったりしていた。
できる時はやって、できないときは断る。
そうしたら、できない時に「以前はやってくれたのに(今回は損してる気分)」とか「やってもらえると思ってせっかく来たのに」という反応を受けた。
その後、一律に断るようにした。
そうしたら、「なんでいまできる状況なのに断るの?」という不満そうな反応を受けた。
その次は、「こういう状況の時のみできます」と説明をつけて受けたり断ったりした。
そうしたら、「やってくれるならそういう余計な説明はいらないんだけど」という反応を受けた。
さらに、「できないケースが多いなら最初から全部断ってほしい」と言われたりした。
特別対応した人はそれをSNSやログに書き込み、通常で対応してもらえるかのように拡散して、それを期待するお客さんが来るようになった。
期待に応えようとして徐々にズレていく部分が生じてきたことに、ある時気づいた。
お客さんの期待で飾りつけた商品、ブレるサービスを外から見て、なんだか違う気がする...と思う。
そんな悩ましい毎日を過ごしていたことがある。
それをまっさらにして、スタートに戻してくれたのがじつは「コロナ禍」の時期だった。
自分のお店はどうあるべきか?
絶対にブレない部分、原則はなんなのかということに立ち戻って考えなおす期間だった。
たどり着いた結論は、「当店においては、一律に線引きするのがいちばんいい」ということ。
もちろん、柔軟に対応してくれるお店のほうが受けがいいのは知ってます。
そして実際は、いままでかなり柔軟に対応してきたと思う。それで喜んでくれた人がいる。
だけど、それを知って「なんであの人はよくて自分はダメなのか」と不満に思った人もいて。
思われるのはいいんだけど、それがクレームや要望となり、大量の問い合わせメールとなって襲いかかってきたことがある。
そして、その対応に忙殺され、一時メンタルがやられそうになったのであった。
毎日どうしてうまく理解してもらえないんだろう、と悩みに悩みまくっていた。
悩んでいたのは、しっかりとした軸が自分の中になかったからだった。
でもまあ、それは自分というものを作るために、必要な時間だったんだろうなと思う。
あの頃の自分に声をかけられるとしたら。
結論を伝えたら、理解してもらえるだろうか。
きっとしてもらえないだろうな、と思う。
心の底から思い知ったり、ものすごく考え抜いたり、やってみて失敗したりうまくいったり、を経験したからたどり着いた結論なのだ。
めちゃくちゃ時間がかかったけど、そこにたどり着いたから良いと思う。
ここが自分のゴールだったのだ、とそう思える。