夕方の衝突の話。

喧嘩とか、ぶつかり合いとか、そういうのってどのくらいの頻度でするものなんだろう。

「長い時間同じ職場で一緒に(働いて)いて、よく揉めないね」と、よく言われるのだけど
いつも「いや、揉めますよ。ほぼ毎日衝突します。」と、返してる。実際そうなんだ。

何でぶつかるのかって、そりゃぁ、大きなことから小さなことまでいろいろあるんです。

さっきだって衝突したばっかりで、昼の営業が終わってから口を聞いてない。

まぁ、それだって今のところ口を聞く必要がないので問題ない、と思うくらいに日常的なことで、仕事が始まれば口を聞く。
だからといって和解はしないけど。

じゃあいつそれは解れるの、というと
「時間が解決する」の一言に尽きる。

自分についてはだけど、仕事が終わったら、揉めたことについての感情は忘れるようにしてる。感情ぬきにして、「あのときはああだったよね、自分はこう思ったんだけど、どうなんだろう?」「ああいう場合はこうだから、こうしてほしい、しなくてもいいけど、その時にはできないのはなんでか一言ほしい」とか、そういう話はする。

頭から払いのけられないくらい腹が立ってたら、とりあえずその日は早く帰ってはやく寝る。

人間、疲れてたり、お腹空いたり、あと、夜になるとなぜか感情的に高ぶりやすくて、
寝て起きると朝にはどうでもよくなってる、そういうことがよくある。

実際、今年に入ってから「寝る」ことの素晴らしさをしみじみ感じてるわけだけど、そのひとつの効用がこれ!

朝に怒りの感情は似合わない。
それに、体力気力が回復してるから、気持ちが安定している。
朝ジムの日ならカンペキで、体を動かしてるうちに負の感情なんてどうでもよくなる....

そもそも、価値観の違う人間同士が長時間同じ空間にいて仕事しつづけて、健全な精神状態を保てるわけない。
これは、隊長とわたしのことだけじゃなくて、人対人、自分対他人である限り、価値観が違う人間であることは当たり前なので、そういうものだと頭に置いた上で、そうじゃなく、スムーズになめらかに関係を保っていたとしたら、それはすごいことだと思ったほうがいい。

つまり、毎日とは言わなくても衝突は避けられないものだ....

できる限り衝突しないためには「受け流す」か「受け止める」ということがベストに見えるけど、受け流し続けて対話しようとしないのは、相手を認めてないことと同義な気がする。

どうでもいいことだから受け流す、
全部受け流すのは、全部どうでもいいからだ。

だからといって、全部受け止める、これもなかなかしんどい。

「理解はできないけど受容する」というのは高度な能力で、頭ではわかっていても「自分の理解できない価値観を受け容れる」のって、たぶんものすごいストレスがかかることなんだ。

「(自分にとっての)ほんとうはそうじゃない!」
って、深いとこで叫んでいる自分に気づいたりする、そういうことがある。

それさえも浮かばないくらい、他人を受容できるのなら問題ないわけなんだけど、まあ、現実はそうそうできた人間であるわけもなく、うまくいかないよね、となる。

閑話休題。

さっき揉めた流れなのだけど、
隊長に言われたことに対して同じくらい、いやそれ以上のボリュームをもって反論して、言いたいこと言ったからもういいや、となって、お互い冷戦状態に入っている、というところ。

「あなたが正しいと思ったことをぶつけてきたので、私もわたしが正しいと思ったことをぶつけた、それだけのこと」なのだけど、文字にすると あ、よくないなー、と気づく。

どっちも正しいと思ってることをぶつけ合う、これは悲劇的なくらい解決の糸口を見つけられないやつ。

お互いが「(自分基準の)正しさ」を主張したら、誰かが判断してくれるまで終わらない、
あるいは、どちらかの上下関係をはっきりさせるまで。

こっちが上、だからこっちの意見の方が正しいことにする。

わかりやすい決め方だけど、うちみたいにどっちが上とかしたとか無い場合はこれができない。

じゃあどうするのかって、やっぱり時間とともに感情を忘れていって、冷静に話しあうこと、
話し合っても解決しなさそうな問題のときは、時間の流れるのとおなじように色褪せるのを待つしかない。

はっきりさせないほうがいいこともある、
というか、そうできないことが世の中にはたくさんある。

こうして書いてたら、書きはじめは夕方だったのにもう寝る時間になってしまったし、
今日はもう忘れる時間だ、
It's over.

おやすみなさい。😴

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