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コロナ禍でお店を開けていた話(つづき)
(つづきです)
忙しいときは忙しさに合わせて仕事に取り組んで、
暇な時間ができたらそれを楽しむ仕事に投入して、
私たちはそういう部分が合っている。
仲が良いとかそういうのでなく、テンションが合っているから、コロナ禍の波のある(おもに低調な波)日々でもあまり揉めずに、無駄な衝突をせずに、日々仕事をしていられたんだと思う。
仕事って、忙しすぎても暇すぎても揉めることが多くて、そこそこに日々やることがあるくらいがちょうどいい。
そして、仕事以外にも好きなことをみつけて、それを楽しめる余裕があるくらいだと最高。
私は開業したころ趣味という趣味はなくて、クライミングをはじめて、はじめて趣味と呼べるものができた。
ついでに隊長に野球を教えてもらって、野球観戦も趣味になった。
仕事して、メンタルが疲れたらクライミングで発散して、身体が疲れたら野球観戦で刺激を受けて、また仕事に戻る。
自分の中ですべてが回る。
目標を作るのも、モチベーションを上げるのも、回復させるのも、ストレスを発散させるのも、自分のなかで完結する。
そんな生活が強化されて、完成されていって、そういう意味では充実した期間だった。
いつ終わるかわからない期間で、いつまで続くかもわからない期間。
変化させていくか、どのくらい変えていくか、それは続けていけるのか、環境が元に戻っていったらどうするのか、考えても答えは出ないし、お客さんは来ない。
そういう時期に、気持ちが迷わず過ごせたのは良いことだったし、先々にも役に立っていくことなんじゃないかと思った。
ただ、そうやって仕事や自己の世界に没頭していたのは、そうしようという自分の意思だけでもなく、姉の急逝という出来事もあった。
「ちょっと痩せたんじゃない?」
「なんだか、最近あんまり食べられないの」
そういうやりとりから始まって、それから1年、あっという間に姉はいなくなってしまった。
姉はトロケが大好きで、ずっと一番に応援してくれていたから、姉の好きな料理を仕込むことが自分の安らぎになったし、こういうのが食べたいだろうなと想像しながらいろいろ作るのが楽しかった。
なにより、お店をかわりなく営業していくことで、姉がお店に存在し続けている気がして、仕事をしているほうが気が安らいだ。
これもまた、誰に話しても仕方のないことだし、解決しようのないことだし、もう元には戻らないことだ。
だから、ただ一日一日を、一歩一歩進むように過ごしているのが一番よかった。
そうして、それから1年。
緊急事態宣言は解除されるらしい。
とは言っても、感染防止対策をしっかりして、気をつけながら過ごすという前提のもとに、若干の制限緩和がなされるにすぎない。
解除は前のように戻れるということじゃない。
そのうち、前のような生活というのは前時代のことになってしまうのかもしれない。もしかしたら。
大抵の人は変化が好きじゃない、というか「変化させられる」ことが好きじゃない。
自分ではない他の力で変容させられるのがめちゃくちゃ嫌いである。
だから、しばらくの間、かなりの間は揉めながら日々を過ごすしかない気がする。
今回はコロナ禍をすぎてから書いたかのような題名になっているけど、これからもまだまだそういう日々は続く。
(つづく)
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