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ぐるっと回ってもとの場所、という話。

ちょうど昨年の今ごろ。
父の煮た渋皮煮が届いて、これをパンにしようと栗いりパンを焼いた。
しっとり甘いパン。
それを気に入ってくれた方がいて、何度か焼いた。
甘いパン。
いつか、自分は焼くことがないだろうと思ってたパン。

そういうのが得意なパン屋さんはたくさんあるし。やわらかくてあまいパンは、コンビニで安く、しかも手軽に買えるし。
そうでないもので、負けないものを手にしたいと思っていた...

ミルクや生クリーム、バターをたくさん、砂糖もしっかり、そうすればやわらかくてふわふわーのパンが焼ける。
それくらいのイメージしかなかったわたしは、
そうじゃなく作るにはどうしたらいいかあれこれ試すうちに、どうやってつくったらいいのかどんどん分からなくなっていった。 

焼き上がりは柔らかいけど、次の日にはかたくなってしまう。
それが、焼き上がりからなんだかかためな仕上がりになっていき。
あれ?進むどころか戻っている?

袋小路に嵌ってしまった気分だった。

・・・・・

それから1年。

なんかねぇ、焼けるようになったんですよ。

やわらかくて、クラストがさっくり

次の日もちゃんとやわらかいパンが焼けるようになった。。
これができるようになったのは、じつは、秋口くらいからのことだ。
失敗を繰り返して繰り返してまた繰り返して、
そのたびに考えて、結果的に同じことを繰り返すこともあり、あっ!とひらめくこともあり。

考えたようなパンが焼けるようになる。
その一文のなかには、「許された時間のなかで仕込みおわり、限られた時間のなかでこねや成形・発酵をすませ、じゅうぶんに焼成し」「できあがったパンはイメージどおりのものである」って意味が含まれている!

これが目指していたとこだー。

パン屋さんじゃないから、仕込みや準備をつつがなく終え、営業もこなし、その合間に作業をいれなければならない。
あっちからこっち、無理なくスイッチできるくらいのオペレーションが自分のなかに出来上がっていなきゃいけないのだ。

これがずっとできなくて、早起きして時間を作ったり、仕事の後に残って作業したり、ってやってたんだけど、ついにできるようになってとってもうれしい。

リーンなパンも、リッチなパンも、ハードなのも、そうでないのも、それぞれの機嫌を見ながら仕上げる、気を使うけどたのしい。
たいちょーから見たら、あれがおわったらこれ、この合間にそれ、あれを片付けたらそっちの仕上げ、オーブンの様子をちらちら見に行って、と忙しくみえるようで心配されたりするけど、楽しいよ。

粉と水分、ときどき砂糖やバター、ナッツ、フルーツ。
こねて寝かせてオーブンにいれたら、パンになっちゃう!なんて魔法🧙‍♀️

で、まあ
パン屋さんにおいてあるようなパンを焼けるようになったんだけど、そーして気づいたことは、やっぱり基本に忠実に作ったベーシックなものっていうのは、作る人の個性をよくあらわすものだなっていうこと...

なんか、肩肘張って自分にしかできないもの、作れないものを見出そうとしてたのがバカらしくなったというか。
ふつーのものをふつーに作れば、そこにアイデンティティが生まれるのにね。

そんなわけで、最近は自分が作りたいパンというよりは誰かが食べたいパンを作ってみようと思っている。
「こんなパンがいいな」ってリクエストを受けて、「えっじゃあこういうの作ろうかな」ってなって、それが自分のラインになる。 

ああそうだ、トロケのメニューもそうだったっけな。
だれかのスペシャルがレギュラーになる。

だれかが好きなハンバーグがレギュラーメニューになり。
だれかが好きなラーメンが季節のメニューになり。
だれかが好きなケーキがベーシックラインになり。

そうしてやってきたんだっけ。

自分で迷路に迷い込みに行って、帰ってきたところは元いたところ、そういう気分、いま。

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